2019年8月16日 更新

フリッツル事件の概要とその動機!事件のその後と子供たちの現在は?

この『フリッツル』という男の顔を知らない人はいないほど「人間じゃない」「動機はなぜ?」と、海外ではおぞましい『フリッツル事件』の犯人として有名です。未だに「その後の現在どうなっているの?」「子供たちは?」と定期的にマスコミで特集が組まれています。

目次

1990年に2子目となる長男『シュテファン』が生まれた後に、父ヨーゼフから娘のエリーザベトへ休むことなく強姦され続けることでできたの3子目になる次女の『リザ』です。

1993年5月、『リザ』が9か月の時に、家の外でダンボールに入っているの捨て子が発見され、母にあたるエリーザベトの母ローズマリーが、夫のヨーゼフから言いつけられ『里子』として育てられました。里子として育てられたのには理由があり、国民の当然の権利として、国から毎月約400ユーロ(約5万6000円)の手当てが出るためでした。

1994年誕生モニカ(三女)

Crying Baby Face - Free photo on Pixabay (556756)

1992年に3子目となる次女『リザ』が生まれた後にも、父ヨーゼフから娘のエリーザベトへ休むことなく強姦され続けることでできたの4子目になる三女の『モニカ』です。

モニカは1994年に10か月で、3人の子供を行方不明の娘エリーザベトが父ヨーゼフに書くように脅されて書いた「育てられないのでお願いします」という置き手紙と共にドアの前に置いて行ったと装われ、拾ったことにされました。

拾われた直後、母ロゼマリアの元に娘のエリーザベトから「子供を育てるように頼む」電話があり、母ロゼマリアは、娘のエリーザベトが新しい電話番号を知っていたことに驚き警察に通報しました。しかし、これは父ヨーゼフが娘のエリーザベトを脅して声を録音しておいたものでした。

1996年誕生アレクサンダー・ミヒャエル(双子)

Twins Boys Babies - Free photo on Pixabay (556757)

1994年に4子目となる三女『モニカ』が生まれた後にも、父ヨーゼフから娘のエリーザベトへ休むことなく強姦され続けることでできたの5子目と6子目になる双子の『アレクサンダー』『ミヒャエル』です。

しかし、ミヒャエルは3日後に死亡し、父ヨーゼフにより家の庭で火葬され埋葬されました。残ったアレクサンダーは15か月の時に、2人の姉と同じような状況で「発見」され、母にあたるエリーザベトの母ロゼマリアに育てられました。

2002年誕生フェリックス(三男)

Child Person Infant - Free photo on Pixabay (556759)

1996年に5子目と6子目となる双子『アレクサンダー』『ミヒャエル』が生まれた後にも、父ヨーゼフから娘のエリーザベトへ休むことなく強姦され続けることでできたのが7子目となるのが三男の『フェリックス』です。

父ヨーゼフにより「妻のロゼマリアがこれ以上の子供の面倒を見ることができないから」という無茶苦茶な理由で地下室に残されました。

19歳の長女ケルスティンが生死をさまようほどの状態になったことから救急車で運ばたことがきっかけで、18歳の長男シュテファンと共に、2008年に地下室から開放されました。

ヨーゼフフリッツルの生い立ち

Boy Child Sad - Free photo on Pixabay (556761)

フリッツル事件発覚後、父ヨーゼフにより24年もの間性奴隷にさて続けていた娘のエリーザベトは、68歳の母ロゼマリアと同じ年齢に見えるほど老けていました。

父から娘への監禁強姦により自宅の地下で産み落とされ、そこに残され監禁されていた子ども達は、生まれてから一度も日光に当たることがなく、肌が異常に青白く、極度のビタミンD欠乏症で、貧血を患い、視聴と視覚に障害を持つなど、近親相姦により産まれた子どもによくある障害も抱えていました。

この事件の犯人『ヨーゼフ』とは、一体どんな生い立ちから、「モンスター」=「怪物」と呼ばれるような事件を起こすように育って生きてきたのでしょうか?

1935年4月9日誕生

Baby Birth Child - Free photo on Pixabay (556767)

ヨーゼフ・フリッツルは、1935年4月9日に、オーストリア(Austria)とニーダーエスターライヒ州(Lower Austria)の自治体であるアムシュテッテン (Amstetten)で、ヨーゼフ・フリッツル・シニアとマリア・フリッツルの間に産まれました。

オーストリアは通称で、正式国名は『オーストリア共和国(ドイツ語: Republik Österreich)』です。首都は『音楽の都』として有名な、ドイツ語で Wien(ヴィーン)、英語でVienna(ヴィエナ)、日本語で『ウィーン』と呼ばれる都市です。

ニーダーエスターライヒ州は、オーストリアの北東部に位置する連邦州で、州名は「低地オーストリア」という意味で、首都は『ザンクト・ペルテン(ドイツ語: Sankt Pölten)』です。オーストリアで2番目に人口の多い州で、州内はドナウ川が流れ、ウィーンは地理的にはこの州内にありますが行政的には独立しています。

幼少期に父親は家を出る

Father And Son Walking Love - Free photo on Pixabay (556768)

父は、ヨーゼフが4歳の時に家族を捨て蒸発し、二度と連絡を取ってくることはありませんでした。その後、父は第二次世界大戦でドイツ国防軍として戦い、1944年に戦死したため、彼の名前はアムシュテッテンの記念碑に刻まれています。

お幼い頃に「父親に捨てられた」という記憶を持つ人は、幼い頃に「父親とは子供を粗末に扱ってもよい人」と言う潜在意識を植え付けられると言います。

実の娘を溺愛するあまり「父の目線で娘を愛する」ということができずに「監禁して性奴隷にしてしまおう」と言う発想ができるのは、このような背景から生まれたものでしょう。

母親に厳しく育てられる

Mother Daughter Love - Free photo on Pixabay (556769)

ヨーゼフは、『使用人』という仕事を持つ母親に「母一人子一人」という環境で育てられました。母親は仕事でも学習でも非常に厳格な女性であり、「しつけ」と称し息子に暴力をふるう女性で、親に愛された記憶を持たないまま、母を恐れ期待に答えられるよう真面目な青年に成長しました。

ヨーゼフが、自分の妻や子供達に対して『恐怖』で支配していたのは、母親からの教育によるものだったのでしょう。

ヨーゼフは、HTL工科大学で電子工学を修めた後、オーストリアの都市リンツ(Linz)の鉄鋼会社ヴォーストアルピナでエンジニアとして働き始めました。

21歳でロゼマリアと結婚

Heart Wedding Marriage - Free photo on Pixabay (556770)

1956年に21歳で当時17歳だったロゼマリアと結婚し、次々と子どもをもうけ、彼が絶対的権力を持ち支配する『エンパイア=帝国』というような家族をを築き上げていきました。結婚後にいくつかの家を持ち、大家としても収入を得るようになりました。

一家は近隣住民たちと交流を持ちませんでしたが、ヨーゼフが厳格な人間で一家の中で強い支配力を持っていることは近所で有名でした。ヨーゼフはローズマリーとの間に5人の娘、2人の息子の7人の子供をもうけていましたが、妻子供たちは父に絶対服従していました。

母親を約20年間監禁

Chains Feet Sand - Free photo on Pixabay (556772)

ヨーゼフは、ロゼマリアと結婚した当時から、「母一人子一人」という環境で育てられた厳格な母と一緒に同居生活を始めていたそうです。

結婚後も、厳格な母からのチェックと厳しい規律による環境下で過ごしていたことから「愛された記憶も持たない母親からの厳しいチェックを受ける必要はもうない」と、母親を軟禁状態にしてしまうことにしたのです。

「実の娘を監禁しよう」と考える前に、すでに「実の母親を軟禁してしまおう」と考え実行に移していたそうです。

強姦及び未遂事件を起こしている

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (556774)

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