2019年8月16日 更新

フリッツル事件の概要とその動機!事件のその後と子供たちの現在は?

この『フリッツル』という男の顔を知らない人はいないほど「人間じゃない」「動機はなぜ?」と、海外ではおぞましい『フリッツル事件』の犯人として有名です。未だに「その後の現在どうなっているの?」「子供たちは?」と定期的にマスコミで特集が組まれています。

目次

遺伝子学上の父親『ヨーゼフ・フリッツル』は、実の娘『エリーザベト・フリッツル』が11歳になった1977年から、性的虐待を繰り返していたとされています。父ヨーゼフは第4子である娘のエリーザベトを溺愛し、幼い頃から父親に絶対服従する環境で育て拒否したり立ち向かうことは許されませんでした。

フリッツル一家は、近隣住民たちと交流を持ちませんでしたが、父ヨーゼフは「厳格な人間で一家の中で強い支配力を持っている」と近所で有名でした。5人の娘と2人の息子の7人の子供たちは父に絶対服従をさせられ、彼の言うことは絶対で、妻も同じように扱われていました。

1983年自宅から逃げだす

Scary Eerie Spooky - Free image on Pixabay (556734)

エリーザベト・フリッツルは、実の父親から度重なる性的虐待親をされていることを誰にも言えないまま絶望的な日々を送っていました。

15歳のときに、たまたま受講した「ウェイトレス・トレーニング」の学校が寄宿制だったため、一時的に父親と離れられることができ「家を出れば父から強姦されない」ということを知り家出することを決意しました。

16歳になる年の1983年1月に家からこっそり逃げ出し、仕事仲間とともにウィーンで隠れ住みました。

3週間後警察によって自宅に連れ戻される

Bodyworn Body Camera Police - Free photo on Pixabay (556736)

自分の異常な性欲をたびたび発散できる獲物としての実の娘を『父親』という最高の看板を持つ鬼畜な男が逃がすはずがありません。

未成年のエリーザベト・フリッツルは、3週間以内に警官に発見され両親の元に帰されました。さらに激しい性的暴力という制裁が始まりましたが、彼女は性的暴力をし続ける『鬼畜』な父親から逃げることを諦めてはいませんでした。

再び、ウェートレスになる訓練を始め、1984年中旬に終了し、リンツ近郊の都市で仕事を得ました。一日でも早く家を出る方法は、ウェートレスになるしかなかったのです。

地下室の改造を始める

Hand Fear Despair - Free photo on Pixabay (556731)

ヨーゼフ・フリッツルの自宅は、1890年頃に建設され、1978年に増築が開始され、1983年、土地家屋調査士が家に訪れ建築許可に適合していることが確認されましたが、ヨーゼフ・フリッツルは過剰に地下を掘削したがり、違法な部屋の増築を行い、ヨーゼフ・フリッツルだけが知る秘密の廊下もつくりました。

隠し地下室には、5mの回廊、貯蔵庫、3つの小部屋が設けられました。狭い廊下で繋がれ、台所と風呂に続いて2つの寝室が作られ、それぞれに2つずつのベッドが備えられました。広さは約55m2で、高さは1.70m。隠し地下室には2つの出入り口があり、開き戸は重さが500kgでした。

コンクリートで補強された金属のドアは重さ300kg、高さ1m、幅60cmで、地下の仕事場の戸棚の裏に隠され、遠隔操作の電気コードで守られ、このドアに辿り着くために、5つのドアの鍵を解錠する必要があり、エリーザベトやその子供達がいる部屋までは、2つのドアの電子を含む合計8つのドアを解錠する必要がました。 

1984年自宅に監禁される

Plank Choice Home Or Lost - Free photo on Pixabay (556737)

1984年8月29日、父親であるヨーゼフは「ドアを運ぶから手伝ってくれるか?」と娘のエリーザベトを自宅の地下室に誘い出しました。この『ドア』は、娘を閉じ込める地下室を密閉するための最後の部品だったので、彼女自身に手伝わせなければならなかったのです。

父のヨーゼフが枠の長さを測っている間、娘のエリーザベトは言われたとおりドアを支えていました。ドアがはまると、父親は娘の顔めがけてエーテルを染み込ませたタオルを投げ、意識を失うまで顔に押しつけました。父親はその後、娘を地下室に投げ入れドアに鍵を閉めました。

ロゼマリアは失踪届を提出

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娘のエリーザベトがいなくなると、母のロゼマリアは失踪届を書きました。この母親は、警察から自分の夫が何度も強姦犯であることを知らされているはずですし、この男には強姦による服役で18ヶ月もいなかった時期があったのですから、自分の夫が娘に対して度々行っていた性的暴力のことを知っていたと考えるのが普通でしょう。

日本では性犯罪者に対する罰則はとても甘いですが、世界では性犯罪者に対する罰則はとても厳しいです。なぜかというと、治らないものだということがわかっているからです。性犯罪者の情報を晒されることもあります。

ヨーゼフは嘘の手紙を警察に提出

Writing Pen Man - Free photo on Pixabay (556740)

父ヨーゼフは、娘のエリーザベトに地下室で無理矢理書かせた「初めての」手紙を警察に届けました。

この手紙には、オーストリアのザルツブルクから北へ60kmの、オーバーエスターライヒ州西北部のイン川の畔にある基礎自治体(Gemeinde)で、ドイツとの国境にある街で、東南部にオーストリアで三番目に大きい都市のリンツがある『ブラウナウ・アム・イン(Braunau am Inn)』の消印が押されていました。

この嘘の娘のエリーザベトからの手紙には「家族に飽き飽きして友達と一緒おり、両親が自分を探すようなことがあれば出国する」とことが書かれており、父ヨーゼフは「娘のエリーザベトは、狂信的なカルト宗教に入った可能性が高い」と警察に述べました。

当初は脱出を試みた

Run Child Wall - Free photo on Pixabay (556741)

地下室に閉じ込められた娘のエリーザベトは、何が起こったのか理解することができず、最初の数日は壁に体当たりし、天井を引っ掻き、痛みに呻き助けを求めて苦悶していました。彼女の爪は剥がれ、腕に血が垂れるまで指の皮膚で引っ掻き続けました。

数日経つと、彼女は休日にハイキングに来ていると思い込もうとしました。かつて見たことのある遠くの山を選び、心の中でそこに辿り着くまでの計画を立て来たのだと。

地下室の階段の段数を知っていたので電気を消し、2時間経つと夜明けの雰囲気を出すために電気を点けました。眠りにつく時には、オーストリアの古い賛美歌『Still, Still, Still』を口ずさみました。

ヨーゼフは3日に1回食糧等を運び入れた

Fried Eggs Breakfast Toast - Free photo on Pixabay (556742)

完全に性犯罪者である父フリッツルは、何年もかけて綿密に「どうすれば娘を自分の奴隷にできるか?」を考え、実行に移し続け娘を監禁できる地下室を作り上げました。

娘のエリーザベトを地下室に閉じ込めてから24年の間、3日に1度人一人通れるか通れないかくらいの2つのドアの電子を含む合計8つのドアを解錠して食糧や日用品を与え続けました。

父からの本格的な強姦は閉じ込められた次の日から始まり、もちろん食料や日用品が届く日はもれなく強姦され続けました。

子どもが増えたため監禁部屋を拡張した

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娘のエリーザベトは、父親に監禁強姦されている間に7人の子供を産みました。1人目は生後すぐに死に、次に生まれた『リザ』『モニカ』『アレクサンダー』と勝手に名付けられた3人の子供は、生後すぐに父ヨーゼフと母ロゼマリアと暮らし始めました。

夫妻は地元の社会福祉事務所を訪れ、父ヨーゼフは、3人の赤ん坊が家のドアの前に置かれていた状況を「非常にもっともらしく」説明し、3人を養子として育てました。ソーシャルワーカーも何度も訪れましたが、不満も聞かれずおかしいと感じることもありませんでした。

1994年、娘のエリーザベトが4人目を出産し、父ヨーゼフは娘のエリーザベトとその子供達のために、35m2だった地下室をから55m2に拡張しました。テレビ、ラジオ、ビデオ等も与えられ、食糧は冷蔵庫で保存し、ホットプレートで調理されました。父ヨーゼフを怒らせると、数日間地下室の電気と食糧を止められました。

2008年娘が意識を失い病院に連れて行った

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