2019年8月16日 更新

フリッツル事件の概要とその動機!事件のその後と子供たちの現在は?

この『フリッツル』という男の顔を知らない人はいないほど「人間じゃない」「動機はなぜ?」と、海外ではおぞましい『フリッツル事件』の犯人として有名です。未だに「その後の現在どうなっているの?」「子供たちは?」と定期的にマスコミで特集が組まれています。

目次

2008年4月19日午前7時、父ヨーゼフと娘のエリーザベトの間にできた長女『ケルスティン』が意識を失い、父ヨーゼフはオーストリアのアムシュテッテンの救急センターに病院に「ケルスティン・フリッツルという19歳の娘の容態が悪い」と連絡し、すぐに救急車が手配されました。

父ヨーゼフが娘との間の子『ケルスティン』を地下室から運び出すのを手伝った娘のエリーザベトは、24年ぶりに外の景色を眺めましたが、病院についていくことは許されず地下室に戻されました。

父と娘の子『ケルスティン』は、救急車で地元の病院(Landesklinikum Amstetten)に運ばれ、命に関わる重篤な腎不全と診断され生死を彷徨っている状態でした。

ヨーゼフに不信感を持った病院側が通報

Nurse Stethoscope Medicine - Free photo on Pixabay (556745)

遅れて病院に到着した父ヨーゼフは「ケルスティンの祖父だ」と名乗り「母親である娘エリーザベトは宗教団体の『セクト』に入り一緒には住んでいない」と説明しました。

さらに、娘のエリーザベトが「娘を助けてください。人見知りが激しい子で一度も病院に行ったことがなく脅えていると思うので優しくしてください」書き置きしたという手紙を医師に手渡し「娘には家出癖があり、子どもたちを置いて家出してしまうのだ」と説明しました。

「話が矛盾している」と判断した病院のスタッフが警察に通報し、治療法を決めるために母親と話す必要があると焦ったケルスティンの担当医が、ニュース番組に出演し「これまでの病歴などを知りたいので母親から話しが聞きたい。すぐに連絡を下さい」と呼びかけました。

警察はエリーザベトの捜索を再開

Squad Car Police Lights - Free photo on Pixabay (556746)

警察は、エリーザベトの失踪に関する捜査を再開し、父ヨーゼフは「2008年1月の日付で『チマテンインチロル(Kematen in Tirol)』から投函された娘のエリーザベトからの手紙があり、娘はカルト宗教に入信した」と主張しました。

警察は、教会でカルト宗教に関する情報を集めているマンフレート・ヴォルハールトと接触し、ヴォルハールトは「ヨーゼフの主張するカルト宗教はない」と説明し、さらに娘のエリーザベトからの手紙について「言われたことを書かされたような奇妙なものに見える」と指摘しました。

監禁部屋に備え付けられたテレビで世間の様子を知る

Library Books Tv - Free photo on Pixabay (556747)

この事件はニュースにより報じられ、監禁さている娘のエリーザベトは、地下室のテレビでこのニュースを知り、父ヨーゼフに病院に行かせてもらうように頼み込み、父が娘を強姦したことで生まれた孫にあたる息子の『シュテファン』と『フェリックス』と共に娘のエリーザベトを解放しました。

娘を強姦してできた長女『ケルスティン』が病院に運ばれてから1週間後に、父ヨーゼフは妻に「娘のエリーザベトが24年ぶりに帰って来ることを決意した」と話し、母と娘は24年ぶりに対面しました。

エリーザベトは病院で保護される

Woman Desperate Sad - Free photo on Pixabay (556748)

実の母と24年ぶりの対面もままならないまま、娘のエリザベスは、父と一緒に父から強姦されてできた長女の『ケルスティン』のことが一番の気がかりで、すぐに病院に向かいました。

警察は病院側から「ケルスティンは母のエリザベスからネグレクトを受けていた疑いがある」と説明されていたので、エリザベスは警察署に連行されました。

しかし、最初口を閉ざしていたエリーザベトは、夜更けになりポツリと「子どもをネグレクトしたことなど一度もありません。私はは24年間監禁されていたんです」とつぶやき「もし、父親に二度と会わないように約束してくれれば全てをお話します」と言い、約束後に24年間の全てを説明しました。

2008年ヨーゼフは様々な罪で逮捕される

Handcuffs Law Enforcement Cuffs - Free vector graphic on Pixabay (556749)

エリーザベトは「18歳の頃から父のヨーゼフに自宅の地下に作られた監禁室にずっと閉じ込められていた」「父親から繰り返し強姦され、7人の子どもを出産した」ことを堰を切ったように2時間ノンストップで話し始めました。

想像をはるかに超える話で、にわかには信じられなかった警察でしたが、明らかにおかしい彼女の身なりや外見から「長期間監禁されていたのは間違いないだろう」と確信しました。

深夜を過ぎた頃、警察官は3ページの調書をまとめあげ、父ヨーゼフは家族に対する不法監禁、強姦、過失致死、近親相姦等の重罪の疑いで逮捕されました。

子どもと共にロゼマリアも保護された

Trauma Injured Violent - Free photo on Pixabay (556750)

父ヨーゼフが逮捕された次の夜に、監禁されていた娘のエリーザベトとその子供、娘のエリーザベトの母のロゼマリアは警察に保護されました。

翌日、父ヨーゼフは「娘のエリーザベトを24年間に渡って監禁し、7人の子供を産ませた」と認めました。警察は「父ヨーゼフは地下室に入る時、遠隔キーで秘密のドアを通っていた」と明らかにし「母のロゼマリアは娘のエリーザベトに何が起こっていたか全く知らなかった」と述べました。

その翌日、DNA鑑定により「父ヨーゼフが娘のエリーザベト子供の「生物学的な父」である」と証明されました。

実の父親との間に誕生した7人の子供

Baby Newborn Tears - Free photo on Pixabay (556751)

実の父に監禁され性奴隷にされていた娘のエリーザベトと、その6人の子供と、娘の母ロゼマリアは、警察に保護された後、地元の病院に入院して外部の環境から守られ、医療的、精神的な治療を受けました。

監禁されていた娘エリーザベトとその子供の4人は、ほとんど日光に当たっていなかったために、肌が異常に青白く自然光には耐えられませんでした。また、ビタミンD欠乏症で貧血で免疫系が未発達でした。

病院長のベルトールト・ケッペルリンゲルは「この家族は数か月の入院が必要で、娘のエリーザベトとその2人の子供は光に慣れるためにさらに治療が必要である」と説明しました。娘のエリーザベト長女ケルスティンは、2008年6月8日に家族と合流し昏睡状態から目覚め回復しました。

1989年誕生ケルスティン(長女)

Children'S Eyes Blue Eye - Free photo on Pixabay (556752)

生死をさまようほどの衰弱し、救急車で病院に緊急入院することになったケルスティンは、19歳なのに歯がほとんどありませんでした。不審に感じた医師が「母親によるネグレクト事件ではないか」と懸念し警察に通報したのです。

ケルスティンが生まれたのは、実父に地下室に監禁され性奴隷という終わりの見えない地獄のような日々を送っていた娘のエリーザベトが、監禁4年目似できた子供です。

1988年、父ヨーゼフに強姦されたことで妊娠した娘のエリーザベトは、第一子になる長女ケルスティンを出産し、監禁されていた地下で一人きりで出産しました。ケルスティンが生まれた後も、父ヨーゼフは全く態度を変えることなく娘のエリーザベトを監禁したまま強姦し続けました。

1990年誕生シュテファン(長男)

Portrayal Portrait Crying - Free photo on Pixabay (556753)

父ヨーゼフから娘のエリーザベトに強姦され続けできた長女『ケルスティン』が生まれた後も、父ヨーゼフは全く態度を変えることなく娘のエリーザベトを監禁したまま強姦し続けることでできたのが長男『シュテファン』です。

シュテファンは、18歳になる2008年まで地下室で過ごしました。生まれてからずっと地下室にいることで、肌は異常に青白くビタミンD不足で、免疫力に問題がありましたが、この生活しか知らない子供は「この生活が普通だ」と思いました。

1992年誕生リザ(次女)

Baby Crying Cry - Free photo on Pixabay (556755)

3 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪