2019年9月6日 更新

殺人ピエロ・ジョンウェインゲイシーの生い立ちや最期の瞬間

ジョンウェインゲイシーという名前を聞いたことがなくても「ピエロの殺人鬼」と言えば思い当たるフシがある人は少なくないでしょう。子供たちを楽しませるためのピエロを恐怖のイメージに塗り替えてしまうほど身の毛もよだつ殺人事件を起こしたジョンウェインゲイシーに迫ります!

目次

父親について

Baby Hand Infant - Free photo on Pixabay (590440)

ジョンウェインゲイシーの父親『ジョン・スタンリー・ゲイシー』は、ポーランド系の移民でした。叩き上げの熟練自動車修理技師である父スタンリーは、移民という貧しさの中で育ち「人には負けない」「弱みを見せてはならない」という人生哲学を持っていました。

そして、父スタンリーには、手術が不可能な脳内の部位に腫瘍があり、たびたび発作的な癇癪を起こしました。その情緒は極めて不安定で、やり場のない怒りが突如湧き上がると自分の家族に矛先を向けていました。

待望の息子は心臓に疾患を抱えていた

Baby Handle Tiny - Free photo on Pixabay (590442)

父スタンリーは、初めて生まれた我が一人息子に期待を込めて、西部劇で人気を博し「アメリカ男性の象徴」ともされた名優ジョン・ウェインの名を授けましたが、生まれたばかりの息子に心臓疾患があるとわかった途端に失望し見限ってしまいました。

アメリカは、特に男性は「やるかorやられるか」の文化の国であり、その上貧しい移民の子供として生まれたからには「強くなければ生まれてくる意味がない」と、移民の父親は身を持って感じていたのでしょう。

父親からの虐待

Hiding Boy Girl - Free photo on Pixabay (590446)

父スタンリーに対するジョンの幼いころの記憶は「しつけや礼儀作法に厳しく、小さな失敗をしても革砥で打擲される」というものが多く、わけがわからないまま徹底的な『しつけ』という名の『虐待』を受けていました。

父は身体の弱いジョンをことあるごとに「クズ」「間抜け」「オカマ」「このままだとお前はホモになる」となどと常に責め立て、肉体と精神の両面で痛めつけました。

息子の体質に責任を感じていた母は、息子と父の間を取り持とうとしていましたが「ママのかわい子ちゃん」と言われ返って裏目になり、ジョンが三歳のころ、母は父に半殺しにされるほど殴られ、近所に助けを求めたこともありました。母はジョンの味方であっても無力だったのです。

ストレスからの失神

Child Suffering Look - Free image on Pixabay (590447)

ジョンの父は「子供はどんなに鍛えても、鍛えすぎることはない」というのが持論であり、ジョンは、連日の度重なる父からのいわれなき虐待を受けることにより、パニック障害や心臓発作を頻繁に起こしていました。

意味なく罵倒され続けることを我慢し続けることを強いられていましたが、ストレスや体の不調を我慢しているので必ず失神してしまい、そのたびにさらに激しく罵られたのです。

失神の直接の原因は病院では分かりませんでした。ジョンを診察した医師は「再発性の失神症」と診断し、ジョンの母は「息子の体をいたわって欲しい」と夫に懇願すると、ジョンの父は「あのガキは親の気を惹いてやがる」と鼻で笑いました。

高校落第

Lacrosse Champions Winners - Free photo on Pixabay (590456)

ジョンの父スタンリーには親しい男友達がおり、よくジョンと遊んでくれましたが、必ずやろうと言ってくる「レスリングごっこ」は耐え難いものでした。

ジョンの体をくすぐり、横倒しにしたあげく、股間を顔にうずめたまま、なかなか離そうとしなかったのです。立派な性的虐待でしたが、父に「オカマ野郎」と罵倒されるのが恐ろしく、父に打ち明けることはできませんでした。

ジョンは、このような生活のまま入院や治療などが重なり学校を4回変わったため、普通高校は落第してしまいました。

ジョンは14歳から18歳までのあいだ、1年以上の入院治療と、高校を4つ変わったことで普通高校を落第となる。

怠学補導教官の助手として勤務

School Lockers Hallway High - Free photo on Pixabay (590450)

ジョンは、普通高校を落第してしまいましたが、その後職業訓練校に編入し優秀な成績をおさめました。その結果、教師のお使い役をひきうけたり、怠学補導教官の助手として事務室で働くように勧められるようになりました。

その他にも、ジョンは新聞配達、ボランティア活動、自警団の組織、民主党立候補の応援などを積極的に行いました。母にはかばってもらいましたが、どうしても父の愛情を手に入れたかったジョンは必死に父に認められるように行動しました。

父親の気を惹こうと努力するも

Silhouette Father And Son Sundown - Free photo on Pixabay (590458)

このころのジョンは、父スタンリーの気を惹くように、スタンリーお気に入りの民主党立候補議員の応援をするようになりました。ですが、ジョンの病歴から兵役審査で不合格になり兵役免除になると、父は再びジョンを罵倒するようになりました。

必死で父の愛情を手に入れるためだけに、自分の至らなさを恥じて自分の人生を巻き返そうとしていたジョンは絶望しました。ジョンは、父のことを絶大に尊敬し愛されたがりながら、怖れてもいるといういびつな形の父と息子でした。

思春期の女性関係

Nature Love Couple In - Free photo on Pixabay (590461)

18歳のとき、当時の女友達と性交に及ぼうとしたジョンは、ペッティングの最中に意識を失いました。嘆くジョンに対して、その事態をを知った父スタンリーは「お前の中のオカマが登場した仕業だよ」と捨て台詞を吐いきました。

ジョンは、最終的には家を追い出されてしまいましたが、それでも自身を罵倒し続けた父親を心から愛しており、いつか父親に認めてもらおうと一生懸命に働き続けました。

こんなジョンが、アメリカを全世界を震撼させるほどのシリアルキラーになるとは、誰も思いもしなかったでしょう。

20歳からジョンウェインゲイシーの異常性が現れだす

Adult Blur Bokeh - Free photo on Pixabay (592925)

生まれた時から非力で、愛する父から愛されることを知らないまま20歳になったジョンは、自立できることでいろんな意味で自分の知らなかった才能に目覚め始めました。

自分の父に、自分が飼っている愛犬を目の前で射殺されても、毎日気絶するほど罵倒され続けても、ジョンウェインゲイシーは父親の愛を求め続けていました。

なぜ、ジョンは父親の愛情を求め続けたのでしょうか?ここではジョンの表の顔がどのようなものだったのかを解説していきます。

葬儀屋でのアルバイト

Casket Dead Death - Free image on Pixabay (590469)

1962年、20歳になったジョンは、父の車を貸してもらおうとして口論となり「タイヤの空気を入れてくる」と言い残したままラスベガスへ家出しました。

そして、母が引き取りに来るまでの3か月間、葬儀屋のアルバイトを勤めました。昼間はここで死体に防腐処置を施すための血抜きを手伝い、夜は死体を安置している処置室の隣に置いてある簡易ベッドで寝起きしたのですが、しだいに少年の遺体に興奮するようになり始めました。

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