2019年9月6日 更新

殺人ピエロ・ジョンウェインゲイシーの生い立ちや最期の瞬間

ジョンウェインゲイシーという名前を聞いたことがなくても「ピエロの殺人鬼」と言えば思い当たるフシがある人は少なくないでしょう。子供たちを楽しませるためのピエロを恐怖のイメージに塗り替えてしまうほど身の毛もよだつ殺人事件を起こしたジョンウェインゲイシーに迫ります!

目次

4人目のジャック

Clown Evil Halloween - Free image on Pixabay (590383)

酒と麻薬をやってから少年を漁りに出かけ、自分の子供の頃のような少年を見つけては、車に連れ込んでセックスをし、究極に痛めつけてなぶり殺しにする寸前で止めては繰り返す中で、2人目のジャックが現れます。

行為が終わると裸のまま車外に放り出しそのまま逃亡すると、3人目のジャックが現れ、引っ掛けた少年を自宅まで無事に届けるのが3人目のジャックで、心優しい警察官でもある3番目のジャックが少年を諭しているときに突然現れて、手の届かないところへ少年を連れ去るのが4人目のジャックである。

ジョンは「彼の中の4人のジャック」がジョンの肉体をコントロールし、その間の記憶はまったくないのだと説明しました

裁判での主張と判決

Hammer Court Justice - Free photo on Pixabay (590387)

警察がジョンから大量の少年殺人の証言を得たのは、コロンバス・シティズン=ジャーナルが、ビリー・ミリガンの事件について「ミリガンが10の人格を備えている」ということを一面トップの記事にした3か月後の1978年9月27日のことでした。

1980年2月6日、アメリカ中が注目する中、アメリカ屈指の裁判官として知られる『ルイス・B・ギャリッポ』判事を裁判長として、ジョンウェインゲイシーの裁判が始められました。

ジョンウェインゲイシーの主張

Prison Slammer Caught - Free image on Pixabay (590388)

ジョンは「多くの殺人は正当防衛だ!少年達は望んで性行為をしたのだ」と多重人格症として診断されることに全力を尽くしまし無罪を訴えましたが、弁護側は「そんな主張は陪審員の神経を逆なでするだけだ」として、精神異常を訴える作戦に出ました。

ジョンが刑務所内で書いたピエロに扮した自分が「2人めの殺害からは、多くの殺害方法は少年達が首にかけていたロザリオにボールペンを入れてゆっくりねじって窒息させていた」と言う証人喚問での説明を聞いて、気分が悪くなり退廷する陪審員もいました。

裁判での判決

Judge Hammer Auction - Free photo on Pixabay (590390)

1カ月、検察側は「ジョンは悪人」と、弁護団は「ジョンは精神異常」と言う主張を続けましたが、精神科ですらジョンが精神異常という主張に同意できず、陪審団はわずか2時間の協議で検察の主張を支持しジョンに有罪の判決を下しました。3月12日、ギャリッポ判事はジョンに死刑を言い渡し、法廷内は拍手喝采に包まれました。

ジョンは、必死に抵抗を見せ「事件は自分を妬む人間と警察のでっちあげだ」「死刑制度は違法だ」と、1980年に12回の死刑判決と21回の終身刑判決を受けましたたが、アメリカ国内で非難が集中し、より早く死刑執行を願う人たちがデモ活動を行いました。

ジョンは、数百万ドルに及ぶ莫大な資産を利用して、20回以上の上訴と模範的な服役生活により刑を免れ続け、何度も再審請求をしましたが棄却され死刑が確定しました。

心理鑑定

Trust Man Hood - Free photo on Pixabay (590392)

ゲイシーを心理学的に鑑定した臨床医は、彼のIQはかなり高く、神経学テストをはじめとする7種類のテストでも、脳障害の兆候は見られなかったと診断した。一方でロールシャッハテストや主題統覚検査では異常を感じさせる反応を示し、心理面の安定をみるミネソタ多面人格目録(MMPI)でゲイシーが極めて異常であり、思考の混乱から精神分裂かもしくは妄想症の可能性が強い、とされた。

この検査結果では、ゲイシーは「自分を有利にしようと動いているわけではない」ということが認定された。元スタンフォード大学行動科学課長および研究センター会長ローレンス・フリードマンは、ゲイシーを極めて凶暴で歪んだ性欲に巻き込む人格相として存在しているとした。ゲイシーのトラウマをアルコールに耽っていた父親と現在までに及ぶ本人自身の発作によるものと指摘、幼いころから彼を責め苛み続けた心身症と神経症が、彼の犯罪性を作り上げる土壌となったと証言した。一方「このような症例を罰するか罰しないかの判断は、法と社会の境界上の問題であり、心理学の立場からは言及できません」とも話した。

ジョンウェインゲイシーの刑務所での生活

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (590394)

信じられない事態が起こりました。連続殺人鬼のジョンに興味を持つ者が想像以上に多くいたのです。

ジョンには、全米から多い時で週に100通もの手紙が寄せられ、中には熱狂的な信者さえいました。自分は特別な人間だと思い込むようになっていたジョンは、牢獄の中で殺人オーディションを行うことにしました。多くのファンレターの中から自分が殺すに値する少年を探そうとしていたのです。

ジョンウェインゲイシーの刑務所での生活の中で、まさかの殺人事件が未遂でしたが行われました。

18歳の少年との出会い

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (590396)

ジョンは、送られてきた手紙の返事に「誰も私が○○だとは知りません。この空欄を埋めよ」という質問を返しました。FBI行動科学科のプロファイラーを目指す大学生で、18歳の『ジェイソン・モス』は、勉強の一環でジョンの事件を調べていくうちにジョンの虜になり手紙を送っていました。

ジョンの元には殺人オーディションに対する答えが数多く届いていましたが、満足できる答えはありませんでした。

そんな中、ジョンからの返信が「ジョンの好みに合う人物を探しているテストだ」と直感したジェイソンは「誰も私が金儲けのためにヌード・ダンサーになることを考えているのだとは知りません」という無力で弱い立場の青年を表現する答えと共に自分の写真を送り、ジョンを満足させ殺意に火をつけました。

刑務所内で殺人を試みる

Hand Faust Violent - Free photo on Pixabay (590398)

ジョンは、自分に興味を持ち手紙を送ってきたジェイソン少年と文通を始め、彼の電話番号を突き止め、電話でのやりとりまで行い始め「人殺しをした本当の理由を教えてあげる」と刑務所に招待し面会し、性欲を抑えきれなくなったジョンは、この少年を34人目の被害者にしようと企んでいました。

本来は規則違反でしたが、ジョンは模範囚としての信用を利用し、金で看守を買収し、仕切りなどがない面会室で少年と2人きりの面会を取りつけました。監視カメラの死角に少年を誘い出して犯行に及びましたが、2人が部屋に入っていくのを他の囚人が見ており、間一髪で看守が通りかかったことで未遂に終わりました。

少年のその後

Fence Freedom Prison - Free photo on Pixabay (590399)

ジョンにか殺害されそうになり間一髪で命拾いしたジェイソン少年は、ジョンに手紙を出す以前にもチャールズ・マンソンやジェフリー・ダーマーなどの服役中の凶悪殺人犯と手紙のやり取りを行い、相手の深層心理を研究することを趣味にしていました。

ジョンに襲われて以降、この趣味はなりを潜めましたが、これら一連の連続殺人犯たちとの文通や面会について『「連続殺人犯」の心理分析』という本に記しました。

ジェイソン少年は、わずか10歳で大統領顕彰の成績優秀学生賞を受賞したアメリカ有数の成績優秀者で、その後ネバダ大学ラスベガス校を首席で卒業し、2002年にミシガン大学ロースクールを卒業し、犯罪被害者の弁護士になりましたが、2006年6月6日にネヴァダ州ヘンダーソンの自宅で銃で自殺しました。

ジョンウェインゲイシーの死刑執行

Hanging Rope Hangman - Free vector graphic on Pixabay (590401)

1980年5月12日、ジョンは21回の終身刑と12回の死刑を宣告されましたが、この期に及んでも自身の容疑を否定し、20回もの再審請求を行い、陰謀論を執拗に主張しました。ですが、獄中で34人目の犠牲者を出しかけた事が死刑への決定打になりました。

ジョンの死刑は、死刑宣告を受けた14年後の1994年に執行されましたが、この事件には多くの謎が残されており、当時ジョンをジョリエット刑務所へ移動させたデス・プレーンズ署員によると、ジョンは「遺体は45体は見つかるはずだ」と捨て台詞を吐いていたと言いました。

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