目次
- 殺人ピエロのジョンウェインゲイシー
- ジョンウェインゲイシーの殺人事件
- 最初の犯行
- 殺人が習慣化
- 殺人ピエロの由来
- 被害者たち
- 被害者たちの遺体
- ジョンウェインゲイシーの犯行の特徴
- 少年への性的暴行
- 誘い言葉
- 殺害方法
- ジョンウェインゲイシー逮捕までの経緯
- 15歳の少年の行方不明事件
- 麻薬不法所持の現行犯で逮捕
- ジョンウェインゲイシーの家宅捜索
- 死体の捜索と分析
- ジョンウェインゲイシーの4人の人格
- 1人目のジャック
- 2人目のジャック
- 3人目のジャック
- 4人目のジャック
- 裁判での主張と判決
- ジョンウェインゲイシーの主張
- 裁判での判決
- 心理鑑定
- ジョンウェインゲイシーの刑務所での生活
- 18歳の少年との出会い
- 刑務所内で殺人を試みる
- 少年のその後
- ジョンウェインゲイシーの死刑執行
- ジョリエット刑務所での死刑執行
- 最期の食事
- 最期の言葉
- 死刑執行の様子
- ジョンウェインゲイシーが残した絵画
- マニアからの人気を集める
- ジョニー・デップもゲイシーの絵画ファン
- 死刑執行後の絵画の行方
- 絵画の金額は?
- ジョンウェインゲイシーの生い立ち
- 父親について
- 待望の息子は心臓に疾患を抱えていた
- 父親からの虐待
- ストレスからの失神
- 高校落第
- 怠学補導教官の助手として勤務
- 父親の気を惹こうと努力するも
- 思春期の女性関係
- 20歳からジョンウェインゲイシーの異常性が現れだす
- 葬儀屋でのアルバイト
- 死体置き場の行為については否定
- セールスマンとして優秀な成績を残す
- 22歳で結婚
- 青年会議所の次期会長選出候補
- 「眠らない男ゲイシー」として人望を集める
- ジョンウェインゲイシーの性的嗜好
- 23歳で男性とオーラルセックス
- 26歳で15歳の少年と関係をもつ
- 15歳の少年に訴えられ逮捕
- 懲役10年で服役
- 服役中の離婚と父親の死去
- 釈放後からの生活
- 釈放から半年で再逮捕
- 29歳で家を購入
- 地域でも尊敬される存在に
- 道化師「ポゴ」として人気を集める
- 元大統領ジミー・カーターの妻との握手写真
- 33歳で離婚
- ジョンウェインゲイシーをモデルとした作品「IT」
- アメリカを震撼させた最も有名なピエロ
ジョリエット刑務所での死刑執行
via pixabay.com
1994年5月10日深夜、遂にアメリカ国民が望んだジョンの死刑が、イリノイ州ジュリエット刑務所で執行されました。麻酔薬のパヴノールにより、心停止を起こす塩化カリウムによる薬物注射刑でした。
33人もの私利私欲だけの快楽殺人を、何度も何度もむごたらしく繰り返し堪能していたジョンの死刑としては「甘すぎるもの」でしたが、現代での死刑の方法は決まっているものしかなく、遺族の方々やこの事件に心を痛めていた国民にとっては仕方なくというものだったでしょう。
33人もの私利私欲だけの快楽殺人を、何度も何度もむごたらしく繰り返し堪能していたジョンの死刑としては「甘すぎるもの」でしたが、現代での死刑の方法は決まっているものしかなく、遺族の方々やこの事件に心を痛めていた国民にとっては仕方なくというものだったでしょう。
最期の食事
via pixabay.com
死刑の慣習として、死刑囚は刑執行前の食事を『スペシャル・ミール』と呼ばれ、ある程度の希望をかなえられるという制度が組まれています。
ジョンが注文したのは「揚げエビ12尾、フライドポテト、イチゴ450g、ダイエットコーク」と、かつて自身が経営を任されていた「ケンタッキーフライドチキンのオリジナルレシピによる山盛りのチキン」など、若き日の自分の成功を象徴するものばかりでありました。
かつて父に意味不明なほど虐待されて失神していた少年は、最後の最後まで自分で自分を称賛しつくすような人間になっていました。
ジョンが注文したのは「揚げエビ12尾、フライドポテト、イチゴ450g、ダイエットコーク」と、かつて自身が経営を任されていた「ケンタッキーフライドチキンのオリジナルレシピによる山盛りのチキン」など、若き日の自分の成功を象徴するものばかりでありました。
かつて父に意味不明なほど虐待されて失神していた少年は、最後の最後まで自分で自分を称賛しつくすような人間になっていました。
最期の言葉
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全米を恐怖の渦に巻き込んだシリアルキラー『ジョンウェインゲイシー』の恐怖の種を植え付ける能力は、生前も死後もすさまじい影響力を誇っています。
1994年、死刑執行が行われる直前にジョンが刑務官に言った最期の言葉は「アイツらは何の意味もないガラクタだ」「クソ喰らえだ」だったそうです。
誰に向かって放たれた言葉なのか?どのような意味が残されているのか?今でも議論されてることの一つでもあります。それを見越して残した言葉だったのでしょうか?
1994年、死刑執行が行われる直前にジョンが刑務官に言った最期の言葉は「アイツらは何の意味もないガラクタだ」「クソ喰らえだ」だったそうです。
誰に向かって放たれた言葉なのか?どのような意味が残されているのか?今でも議論されてることの一つでもあります。それを見越して残した言葉だったのでしょうか?
死刑執行の様子
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通常、薬物注射による死刑は平均で7分前後で静かに絶命すると言われていますが、何らかの手違いか?多くの恨みの感情を持つ何者かによる意図があったのか?薬効にムラが生じゲイシーは窒息するまで意識を失わず、絶命するまで18分もかかりました。
つまり、ジョンは20分近く苦しみながら絶命したのです。この件についてコメントを求められた担当検事のウィリアム・カンクルは「33人以上の青少年を性的虐待、拷問の末に殺害された被害者が受けた苦痛に比べれば、ジョンの苦痛など大したことではないね」と述べました。
つまり、ジョンは20分近く苦しみながら絶命したのです。この件についてコメントを求められた担当検事のウィリアム・カンクルは「33人以上の青少年を性的虐待、拷問の末に殺害された被害者が受けた苦痛に比べれば、ジョンの苦痛など大したことではないね」と述べました。
ジョンウェインゲイシーが残した絵画
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ジョンは、日曜絵描きでした。一般の画家として刑務所に服役中に描いていたそうです。ジョンの死刑執行後、残された絵画は多くのオークションにかけられ、ジョンから直接絵画の販売委託を任されていたディーラーは、19枚の絵を売却しました。
ピエロの絵画はマニアの間では人気でしたが、オークションで最安値がついたのは鳥が描かれたアクリル絵画で195ドル、最高値はディズニーの7人の小人が大リーグのシカゴ・カブスと野球を行っている絵画『Dwarf's Baseball』で9500ドルだったそうです。
この野球の絵画には、デッド・ウィリアムズ、ウィーリー・メイズ、ミッキー・マントル、ジョー・ディマジオなど殿堂入りした選手が『殺人ピエロ』と知らされないまま、ジョンが選手たちに会って直筆サインを入れてもらったものです。
ピエロの絵画はマニアの間では人気でしたが、オークションで最安値がついたのは鳥が描かれたアクリル絵画で195ドル、最高値はディズニーの7人の小人が大リーグのシカゴ・カブスと野球を行っている絵画『Dwarf's Baseball』で9500ドルだったそうです。
この野球の絵画には、デッド・ウィリアムズ、ウィーリー・メイズ、ミッキー・マントル、ジョー・ディマジオなど殿堂入りした選手が『殺人ピエロ』と知らされないまま、ジョンが選手たちに会って直筆サインを入れてもらったものです。
マニアからの人気を集める
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ジョン・ウェイン・ゲイシーは「殺人ピエロ」という名前で気味が悪いほど有名になりましたが、ピエロは彼の絵画のメインテーマにもなっており、ジョンは収監中に一般人に向けて大量の絵画を残しており、ピエロやディズニー作品の『白雪姫』に登場する7人の小人などをモチーフにしたカラフルな作品もあります。
油絵の具が不均等に塗りたくられ、ところどころにキャンバスから絵の具が盛りあがった部分もあり、カラフルで人工着色料たっぷりの輸入菓子のような毒々しい色味は、グラデーションされている部分はあまりなく、絵の具チューブからそのまま絞りだしたような原色です。
獄中のジョンは、なんとファンへの販売のためリスト化し同じモチーフを量産していました。展示されるような一点物の作品と見比べると、その製作への姿勢の違いは明らかです。
油絵の具が不均等に塗りたくられ、ところどころにキャンバスから絵の具が盛りあがった部分もあり、カラフルで人工着色料たっぷりの輸入菓子のような毒々しい色味は、グラデーションされている部分はあまりなく、絵の具チューブからそのまま絞りだしたような原色です。
獄中のジョンは、なんとファンへの販売のためリスト化し同じモチーフを量産していました。展示されるような一点物の作品と見比べると、その製作への姿勢の違いは明らかです。
ジョニー・デップもゲイシーの絵画ファン
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なんとあのジョニー・デップも、ジョンの書いたピエロの絵画を購入して所有しているそうです。 ジョニー・デップが苦手なもの=ピエロはファンの間では当たり前に有名な話だそうです。他に、お化けや蜘蛛も苦手らしいとか。
なぜそんなものを持っているのかといえば、彼は重度のピエロ恐怖症であり、それを克服するために自分の周囲に多数のピエログッズを置いて生活しているのだとか。この『道化恐怖症(ピエロ恐怖症)』とは、実は我々日本人が思っている以上に深刻なものであり、7人に1人がこの症状に悩まされているそうです。
ピエロ(道化師全般)を直視することが出来ず恐怖におののいてしまったり、ピエロを見てしまうとめまい、動悸、息切れに襲われる人もいたり、マクドナル○のキャラクターさえも恐怖の対象になる人もいるそうです。ジョニー・デップは、ピエロを見て克服しようとしているのだとか。
なぜそんなものを持っているのかといえば、彼は重度のピエロ恐怖症であり、それを克服するために自分の周囲に多数のピエログッズを置いて生活しているのだとか。この『道化恐怖症(ピエロ恐怖症)』とは、実は我々日本人が思っている以上に深刻なものであり、7人に1人がこの症状に悩まされているそうです。
ピエロ(道化師全般)を直視することが出来ず恐怖におののいてしまったり、ピエロを見てしまうとめまい、動悸、息切れに襲われる人もいたり、マクドナル○のキャラクターさえも恐怖の対象になる人もいるそうです。ジョニー・デップは、ピエロを見て克服しようとしているのだとか。
死刑執行後の絵画の行方
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ジョンの残した絵画は、イリノイ州のネイバービルでジョンに惨たらしく殺害された9つの遺族を含めた300人の遺族たちが、資金を募り共同で絵画25点を購入し焼却したそうです。一時期は、彼の絵画を購入し焼却する団体も存在していていると言われていましたが、実際はそのような団体は存在していませんでした。
しかし、あるトラックパーツ会社のオーナーは、イリノイ州ネイパービルのオークションで15000ドルから20000ドルの絵画30点ほどを買い上げ「この世からこの絵を消し去る」とネット上の新聞に宣言したそうです。
それを知ったニューヨークの画廊から「絵画を燃やさないでくれ」と苦情がきたそうですが、それを聞かず「シカゴで来月に燃やす」とオーナーは発表し、別の新聞に燃やされた記事が載っていたそうです。
しかし、あるトラックパーツ会社のオーナーは、イリノイ州ネイパービルのオークションで15000ドルから20000ドルの絵画30点ほどを買い上げ「この世からこの絵を消し去る」とネット上の新聞に宣言したそうです。
それを知ったニューヨークの画廊から「絵画を燃やさないでくれ」と苦情がきたそうですが、それを聞かず「シカゴで来月に燃やす」とオーナーは発表し、別の新聞に燃やされた記事が載っていたそうです。
絵画の金額は?
via pixabay.com
ジョンのピエロの絵画は、特にマニアには大変人気だったようですが、被害者の遺族によって大部分が焼却されたと言われています。現在でも残りの作品で展示会が開かれたり、オークションで取引は行われています。
著名人ではジョニー・デップがジョンのコレクターとして知られていまが、ラスベガスで行われた『Arts Factory Gallery』のオークションでは、ジョンのセルフポートレート作品「Goodbye Pogo』を4500ドルで販売し、ペインティング、ドローイング、音声記録などの73点も販売し、売上金は慈善団体に寄付したそうです。
国立犯罪被害者センターは商業ギャラリーに対し、ゲイシーの名前を使って絵画販売することを停止する命令を出しましたが、いわゆる「殺人者の作品」に販売を取り締まる法律はなく倫理的にはグレーなので、オークションが行われるたびに論争になるのです。
著名人ではジョニー・デップがジョンのコレクターとして知られていまが、ラスベガスで行われた『Arts Factory Gallery』のオークションでは、ジョンのセルフポートレート作品「Goodbye Pogo』を4500ドルで販売し、ペインティング、ドローイング、音声記録などの73点も販売し、売上金は慈善団体に寄付したそうです。
国立犯罪被害者センターは商業ギャラリーに対し、ゲイシーの名前を使って絵画販売することを停止する命令を出しましたが、いわゆる「殺人者の作品」に販売を取り締まる法律はなく倫理的にはグレーなので、オークションが行われるたびに論争になるのです。
ジョンウェインゲイシーの生い立ち
via pixabay.com
ジョンウェインゲイシーは、1942年3月17日、アメリカイリノイ州のシカゴに生まれました。ジョンには姉と妹がいましたが、高圧的な父は姉と妹は可愛がりましたが、ジョンは決して父から愛されることはなく虐待され続けました。ジョンは最後まで父親の愛情を求め続け、努力し続けましたが叶うことはありませんでした。
ジョンは、成人するまで父からのいわれなき非難を浴び続け、その言い逃れをしながら生きてきたのです。ジョンは、父に認められるため、父に傷つけられた自尊心を取り戻すために一生を捧げたと言っても過言ではないでしょう。
ジョンは、成人するまで父からのいわれなき非難を浴び続け、その言い逃れをしながら生きてきたのです。ジョンは、父に認められるため、父に傷つけられた自尊心を取り戻すために一生を捧げたと言っても過言ではないでしょう。
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