2019年9月30日 更新

川俣軍司の事件詳細と現在!犯人の生い立ちや祖父の奇妙なエピソード

昭和の日本中を震撼させた通り魔事件「深川通り魔殺人事件」 犯人のインパクトが強く、大地康雄さんが主演のドラマも非常にリアルで反響を呼びました。 彼の現在はどうなっているのでしょうか。生い立ち、そして軍司の祖父と被害者の関係とは。

目次

篭城している間軍司は「オレはいま人殺しをしてきた、お前も逃げようとしたら殺すぞ」と脅迫しながら石塚真里の体を傷つけていました。

首、肩、背中など、実に37箇所もの場所を傷つけており、7時間もの間、石塚真里は生死をさまようことになったのです。

警察に差し入れ要求

Thai Curry Green - Free photo on Pixabay (664555)

7時間もの間、警察は説得しますが川俣軍司は応じようとしません。「電波でひっついてる役人を全員連れて来い」などの意味不明な暴言を吐きながら立て篭もり続けます。

立てこもっている間、警察に軍司は食べ物を要求します。被害にあった人達が亡くなったことを聞いたにもかかわらず、警察に要求して差し入れさせたカレーライスや牛乳、ジュースなどを平然と平らげていました。

差し入れの要求は食べ物だけではなく、包丁を研ぐための砥石まで要求していました。もしかしたら研いだ後にも石塚真里をさらに傷つけていた可能性もありますね。

石塚真里の脱走

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川俣軍司も7時間ともなれば油断が生じてきたようです。石塚真里も軍司の様子を伺っていたと言います。一瞬の隙をついて逃げ出したのです。

午後6時54分。石塚真里は隙をついて傷だらけの状態で中華料理店から飛び出してきました。それと同時に入れ替わるように警察が突入。軍司も凶器の柳刃包丁で応戦しますが、すぐに複数の刑事に取り押さえられ逮捕となりました。

犯人の要求

Faust Violent Stop - Free photo on Pixabay (664639)

6人もの人々を死傷させた挙句に立てこもりまで起こした川俣軍司の目的はなんだったのでしょうか。立てこもりの間、警察に意味不明な暴言を繰り返し吐いています。

立てこもりの間、軍司は石塚真里に紙に要求を書いています。

「それまで自分を解雇したすし店や水産会社の社長らを連れて来い。みんな電波でひっついてるから悪い。」

など、普通に聞いたら意味不明ですよね。
Hand Blood Smeared - Free image on Pixabay (664660)

この他にも川俣軍司は警察に様々な意味不明な暴言を繰り返しています。

この「電波でひっついてる役人を全員連れて来い」という要求は、川俣軍司を、これまでにクビにしたり、不採用にした経営者や、その妻を呼びつけて現場で中継するテレビカメラの前へ出すことで責任を取らせて恥をかかせる、信用をなくして倒産させてやると考えていたようです。

実際に暴言の中に、軍司が受けた企業やお店の経営者の名前を叫んでいたものがありました。
警察はその要求に応じることはありませんでした。

事件目撃者の証言

Eye Woman Face - Free photo on Pixabay (664700)

川俣軍司が犯行に至ったのは午前11時半ごろ。お昼時で商店街ということもあり、沢山の買い物客でにぎわっていました。そのため目撃証言や、被害者を介抱していた人もいて、その凄惨さを語っていました。

特に一番最初に殺された長野親子の状態は、まさに生き地獄のようだったと言われています。血飛沫が飛び散る中に軍司が勢い余って吹っ飛ばしたベビーカーやおもちゃが散らばり、3歳の女の子からは腸が飛び出していました。

女の子は腸を両手で掴みながら仰向けに倒れ苦しんでいたそうです。とどめを刺された男の子も苦しんでいましたが、駆けつけた医者が「間も無く死ぬ」と介抱していた人に呟くと、両手を上げて目を開けたまま息を引き取ったと言います。
Sad Depressed Depression - Free photo on Pixabay (664765)

喫茶店「ロアール」の前に倒れていた母親は子供達のことが気にしているように「痛い、痛い」と言いながら何か訴えているようでした。

介抱していた人が「助けがすぐ来る」「お子さんは大丈夫よ」と話しかけると途端に動かなくなったそうです。

取り調べでの発言と犯行動機

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警察に逮捕され、深川署に連行された川俣軍司は供述を始めます。その証言や動機は意味不明だったり矛盾が生じるものばかり。ですが、あれだけの事件を起こしたにもかかわらず、意外にもスラスラと饒舌に話したと言います。

ここまで大きな事件になった事件の動機はなんだったのでしょうか。

面接を断られた

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事件の日、川俣軍司は180円と柳刃包丁の入ったカバンを持って電話ボックスに向かいました。数日前に受けた寿司屋の面接の結果を聞くためです。

川俣軍司の生活は貧しいものでした。職も転々と繰り返していたため、今回も元々職にしていた寿司屋に転職しようとしていたのです。柳刃包丁も持って行ったのはすぐにきてくれとの連絡を期待していたのではないでしょうか。

結果は軍司の期待を大きく裏切る「不採用」の一言。その時カッとなって次々襲ったと供述しています。

子供を持つ家庭への嫉妬

Hands Love Hand - Free photo on Pixabay (664934)

二つ目は幸せそうな家庭への嫉妬です。面接に落とされ、生活も貧しく仕事を転々としている。川俣軍司の子供の頃も家は非常に貧しかったと言います。そんな自分と対照的な幸せそうな親子が妬ましかったのです。

「子どもを持つヤツらが羨ましく、手当たりしだいうっぷんを晴らしてやった。死んだ人に気の毒とは思わない。子どもの父親が来たら、いつでも会って怨みを晴らさせてやる。おれの腹を刺せばいんだ」

と供述しており、最初に被害のあった長野親子が他の被害者に比べて滅多刺しにされるなど被害の大きいことからしてもその嫉妬が伺えますね。

俺は侍

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川俣軍司は自分が侍だということも語っています。

「死んだ人間は、これも運命だ。俺は侍だから殺された町人も幸せだろ。刺した時は気分がスッとした。うまく殺せたと思う」

と、意味不明な供述です。

覚醒剤はやってない

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