2019年9月30日 更新

川俣軍司の事件詳細と現在!犯人の生い立ちや祖父の奇妙なエピソード

昭和の日本中を震撼させた通り魔事件「深川通り魔殺人事件」 犯人のインパクトが強く、大地康雄さんが主演のドラマも非常にリアルで反響を呼びました。 彼の現在はどうなっているのでしょうか。生い立ち、そして軍司の祖父と被害者の関係とは。

目次

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川俣軍司は供述の中で薬物の使用を否定しています。しかし、逮捕された時の尿検査では陽性反応がありました。

「去年の七月に道交法違反で捕まるまでは覚せい剤をやっていた。今は使っていないから、おれは正常だ。今度のことは真剣な気持ちでやったんだ」

「俺は人一倍冷静な人間で被害妄想ではない。バカに4人も殺せるか。このへんで人生を終わらせたかったのだ」

とは供述していますが、この道交法で出所したのは事件から2ヶ月も経っていない頃。出所してからすぐに覚醒剤に手を出したということになります。

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覚醒剤を否定する一方で

「役人が電波で指図して、俺の就職を妨害した。その報復だ」

などと供述しており、この電波とは覚醒剤による幻覚などの副作用と言われています。

裁判での判決

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川俣軍司はここまで残虐な行為を繰り返したにも関わらず、死刑になることはありませんでした。深川通り魔事件の裁判は実に30回以上にもなりました。

日本の死刑の基準は9つの基準で判決が決まりますが、2人以上殺害すると概ね死刑になると言われています。

しかし川俣軍司は覚醒剤を使用していたため、心神耗弱状態になっていました。裁判中でも「電波がひどくて」「殺せという声がいつも聞こえた」と話しており、事件から一年半に及ぶ裁判の結果、無期懲役の判決となりました。
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「被告人は本件犯行時に、是非善悪を弁識しその弁識にしたがって行為を制御する能力が減弱していたと認められるので、刑法第32条2項にのっとり、被告人を無期懲役に処すると相当と思料する」

というのが判決内容です。昭和57年12月23日東京地裁でのことでした。

川俣軍司は控訴を考えていましたが「被害の重大さを考えなさい」「命が助かれば上々ではないか」と弁護人に諭され、刑を受け入れることになりました。

川俣軍司の現在

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無期懲役の判決が下った川俣軍司、現在は宮城刑務所にいるという話です。現在68歳くらいになっています。
裁判での判決が下って控訴しようとした際に諭した弁護士に「模範囚になる」と言っていたそうです。

しかしこの宮城刑務所は東北の刑務所の中で唯一死刑執行を行う場所があり、受刑者は男性のみであるのが特徴です。長期再犯者や身体障害者と言った処遇困難者が収容されているところです。

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受刑者には収容分類というわけ方があり、無期懲役の判決になり、何度も犯罪を繰り返している川俣軍司は一番罪の重い位置付けとなります。

噂では川俣軍司は独房にいると言われています。宮城刑務所で唯一の規律違反を犯したからだそうで、その規律違反とは刑務所所長への直訴。この行為は大罪とされていて前代未聞。軍司は独房行きとなったのでした。

模範囚になると言ったとはいえ、真面目な顔から急に豹変することもあり、模範囚とは程遠いそう。しかし、元の根は真面目であるため、独房のある第五舎で仕事を毎日こなしているそうです。

川俣軍司の連行時の格好について

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深川通り魔殺人事件が世の中に広く知れ渡ったのは、事件の大きさや立てこもって何時間も出てこず、テレビの中継で大きく報道されたのが理由だけではありませんでした。

注目された理由の一つに逮捕された時の川俣軍司の姿にあります。白いソックス、真っ白なブリーフに猿轡、しかも猿轡の中に割り箸が入っていて軍司はその割り箸をかまされていたのでした。

この姿のインパクトが非常に強かったため、深川通り魔殺人事件といえば、ブリーフに猿轡というイメージが定着しました。こんな姿になったのは訳がありました。

連行時の姿

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逮捕された時の川俣軍司の姿、おかしいと思うところはありませんか。出で立ちのことではありません。あれだけの殺戮を繰り返し、特に長野親子は非常に凄惨な状態で倒れていました。あたりは血だらけだったのです。

それから石塚真里を人質に7時間も立て篭もり、その間にも彼女の体を傷つけ続けたにもかかわらず、血液が付いていないのです。事件を起こした時何も身につけていない素っ裸だったという噂もあります。

しかし、柳刃包丁まで持って面接の結果を聞きに行ったのに全裸ということはあるでしょうか。あの格好になったのは警察側とメディア側の理由でした。

ブリーフを履いていた理由

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中華料理店に石塚真里を人質にして立て篭っていた時、川俣軍司は覚せい剤による精神錯乱状態でした。その間に元々履いていたズボンや下着は脱いでいたということだそうです。

あのブリーフは警察が急遽買ってきて履かせたものです。警察は軍司を説得している間、下半身に何も身につけていないということを確認していたのでした。テレビ中継でカメラもたくさんあったため、連行される様子も映すことになります。

それに履いていたものは鑑識課に回さないといけません。ですから白黒の写真で見た時でもわかるほどの新品のブリーフだった訳です。

猿轡をしていた理由

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川俣軍司は逮捕された時猿轡をしていました。タオルのようなものをかまされ後ろで手錠をかけられています。タオルのようなものと一緒に割り箸もかまされているのですが、こちらも警察がとっさに近くにあった割り箸をかませたものです。

精神錯乱の状態にあった軍司はそのまま舌を噛み切って自殺する恐れがありました。そのための緊急の自殺防止措置だったようです。

川俣軍司の生い立ちや経歴

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日本中を震撼させ、逮捕の直前まで凶暴な姿を見せた川俣軍司、彼の生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。

高度経済成長と言われ、国民みんながお金を持っているような華やかなイメージのある昭和50年代。軍司本人も恵まれた家庭で育ったかと言われれば、決してそうではないようです。

この国の影のような、非常に貧しい人生を歩み続けてきたようです。こちらでは軍司の子供の頃から仕事を転々とするまでを時系列でご紹介します。

茨城県で生まれる

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