2019年9月30日 更新

川俣軍司の事件詳細と現在!犯人の生い立ちや祖父の奇妙なエピソード

昭和の日本中を震撼させた通り魔事件「深川通り魔殺人事件」 犯人のインパクトが強く、大地康雄さんが主演のドラマも非常にリアルで反響を呼びました。 彼の現在はどうなっているのでしょうか。生い立ち、そして軍司の祖父と被害者の関係とは。

目次

Baby Care Child - Free photo on Pixabay (665904)

川俣軍司は茨城県神栖市で生まれ育ちました。常陸利根川のほとりにある家で、実家はシジミ漁をして生計を立てていました。農家が多い土地ですが、軍司の家は土地もなく、周りでは群を抜いて貧しかったと言います。

シジミ漁は他の家では農繁期の合間を縫ってやるものでしたが、土地を持っていない軍司の家はシジミ漁のみ。ミルクも買えず、母親は栄養不足で母乳が出なくなります。赤ちゃんの頃から軍司は重湯で育てられたのでした。

家の家賃は当時約25000円ほど。夫婦2人で済むのにちょうどいい家の広さだったようです。貧しいけれど暖かな家庭ということでもなく、いつも父親の怒鳴り声が聞こえていた家でした。

川俣軍司の家族

Boys Playing Friends Children - Free photo on Pixabay (665941)

川俣軍司の家族は両親と兄、姉、弟2人がいることがわかっています。姉は幼くして亡くなっています。父は東京の下町で生まれ育ちましたが、戦後茨城に越してシジミ漁をしていたようです。軍司ものちにシジミ漁を手伝っています。

初めはまじめに父のいうことを聞いていたものの、しばらくすると一人前になったと思ったのか父に「海に突き落とすぞ」と凄んだりして見せたと言います。

気に入らないことがあると母の作った料理を御膳ごとひっくり返したと言います。両親は堪らず遠方に住んでいた軍司の兄のところへ身を寄せることになり、軍司は一人家で暮らすことになるのでした。
Handcuffs Cuffs Arrest - Free vector graphic on Pixabay (665955)

そして兄の方も今から50年ほど前に殺人事件を起こしています。勤めていた鉄工所の社長を刺してしまったのです。50年前ということは、軍司が実家に戻った頃にはすでに出所していたということですが、兄弟揃って犯罪者だったということになります。

川俣軍司の幼少期の性格

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幼少期の川俣軍司はどのような子供だったのでしょうか。調べてみるといつも怒鳴られて育てられたせいか、とてもおとなしい性格だったようで、話しかけても笑顔を浮かべるだけで友達もいませんでした。目立つ方でもなかったと言います。

何を話しかけても笑顔でいるだけのため、周りは次第にニヤニヤしているだけの気持ち悪いやつというイメージになりますます孤立していったのでした。

中学時代の成績

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中学校の成績もさほどいいとは言えません。5段階評価のうち、だいたいが2。それでも高校に行けるほどの学力ではあったため、父も高校進学を勧めます。

当時高校の進学率はすでに90%以上になっていましたが、軍司は進学を希望することはなかったようです。

父が苦労していたところを見ていた軍司は「父ちゃんがこんなに困っているのに、自分だけ上の学校に行くわけにはいがねえ」と、中学卒業後、進学せずに板前の仕事を選んで東京の築地の寿司屋に就職します。

築地の寿司店で修行

Sushi Japanese Asian - Free photo on Pixabay (666846)

中学を卒業後、川俣軍司は住み込みで築地の寿司屋に就職します。板前や寿司屋は修行期間が必要になります。

見習い期間の間、休日以外はまじめに休まず働き続けていた軍司。その甲斐あってか三年半後、海苔巻きを任せられる「下板」になりました。

覚醒剤や度重なる犯罪でどうしようもないやつかと思えば、まじめな一面も持っていたようです。

仕事は順調にいっていたかのように見えました。しかしその半年後、とある男の出現で川俣軍司の人生は転落を始めます。

後輩からのイジメ

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軍司が下板になったその半年後、1人の男が職場に入ってきました。少年院上がりの少年で、軍司とそりが合わず、後輩である男に軍司はいじめられ続けていたと言います。

結局軍司はそのいじめに我慢ができなくなり、寿司屋を辞めてしまいます。

そこからはあちこちの寿司屋を転々としていますが、長続きせず、数日で辞めたりお客や従業員とのトラブルで解雇されたりを繰り返していました。

進学もしておらず、寿司屋も長続きしない。軍司の心はどんどん荒んでいったのです。

刺青で解雇

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仕事でのトラブルの中の原因の一つに刺青がありました。次に就職した先に刺青を彫っていた先輩がいて羨ましくどうしても彫りたかったそうです。

周りは止めたのですが、前の職で軍司をいじめていた後輩にも刺青があり、そのことも影響したのでしょう。結局刺青を全身に入れました。この頃軍司はまだ10代という若さ。若気の至りではあるでしょう。

しかし、それが原因で解雇となります。刺青だけが原因ではなく、客に勧められた酒で酔った挙句、客にからみ、それで刺青をちらつかせるなどの問題があったからだそう。

次々と転職

Truck Heavy Duty Tractor - Free photo on Pixabay (667264)

その後、東京の寿司店を転々としましたが、どこも長続きしません。短い時は数日で解雇させられてしまいます。

19歳の時に実家に帰り、近くの寿司屋で働きながら運転免許を取得しました。客商売は向いていないと思ったのか、今度はトラックの運送業者で働き始めますが、長く勤めることはできませんでした。

その後、再び東京へ出て土建会社に勤め始めます。この頃から酒に酔い、立て続けに事件を起こすようになったのです。

解雇の原因や理由

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それ以降も軍司は転々と職を変え続けますが、ことごとく解雇されています。原因は酒。酔った勢いでのトラブルが絶えることがありません。刺青をちらつかせ、相手によっても大きく態度を変えることもありました。

途中から酒が覚醒剤に変わっただけで、素行が良くなることはありませんでした。軍司は何度も警察に逮捕されることになります。

川俣軍司の逮捕歴詳細

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