2019年9月30日 更新

川俣軍司の事件詳細と現在!犯人の生い立ちや祖父の奇妙なエピソード

昭和の日本中を震撼させた通り魔事件「深川通り魔殺人事件」 犯人のインパクトが強く、大地康雄さんが主演のドラマも非常にリアルで反響を呼びました。 彼の現在はどうなっているのでしょうか。生い立ち、そして軍司の祖父と被害者の関係とは。

目次

川俣軍司は中学を卒業後、寿司屋に就職します。その後職を転々としていますが、次第に酒に酔って事件を繰り返し起こすことになります。

1971年6月には台東区での恐喝事件、1972年3月には足立区での暴行傷害事件、同年9月に富坂での暴行事件など立て続けに逮捕されています。

深川通り魔殺人事件を起こすまで、逮捕歴は実に7回にも及んでいます。主に暴力行為での逮捕ですが、言動などもおかしなことが増えていきます。その時雇っていた経営者などは軍司が覚醒剤を使っているのではないかと疑うようになっていきました。

覚醒剤を常用

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川俣軍司は実際に覚醒剤も常用していました。地元の茨城県の歓楽街に入り浸っていた頃、ヤクザと知り合いから買って使うようになっていたと言います。この頃すでに軍司は前科七犯となっていました。

この頃、労働者の間では覚醒剤が広く蔓延しており、軍司の起こした通り魔事件だけではなく他にも覚醒剤の幻覚作用での通り魔事件や殺人事件などの重大事件が頻発していました。

一億総中流と言われていたものの、貧富の差は激しく、ヤクザや在日朝鮮グループが覚醒剤を売りつけることが後をたたなかったのです。覚醒剤の流入が増えていたのもちょうどこの時期でした。

事件の被害者

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被害者のことについてまとめていきましょう。昭和のニュースは事件の被害者であっても、現在と違い細かく報じられていたようです。

深川通り魔殺人事件では被害者は女性と子供ばかり。お昼時の商店街ということもあり、男性がほとんどいなかったということもありますが、本当に無差別に刺していたのかというと疑問が残ります。

覚醒剤を使用しいていたとは言いながらも、真っ先に被害にあったのは赤ちゃんです。

被害にあったのは合計六名。それぞれどのような人たちだったのでしょうか。

長野親子

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事件の最初の被害者たちです。喫茶店「ロアール」の前で倒れていました。

ベビーカーに乗った1歳の男の子、3歳の女の子、27歳の母親の3人になります。3人が被害にあった場所は辺り一面血の海になり、転がったベビーカーやおもちゃはまさに惨状でした。

一番最初に被害にあったのは、ベビーカーに乗った男の子でした。腹部を二回刺した後、悲鳴を上げて逃げようとする母親の長野るみ子の背後を二回突き刺しました。

そのあと呆然と立っていたもう一人の女の子の胸部を4回滅多刺しにし、もう一度男の子の腹部を刺してとどめを刺したのです。


母親は介抱していた人が「お子さんたちは大丈夫よ」と声をかけると途端に動かなくなったと言います。親子で被害にあい、凄惨な状態で一番の被害者であることから情報が現在でもよく伝えられています。

二本松美代子

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33歳女性です。買い物帰りに偶然現場に出てきました。長野親子の惨状を見て立ちすくんでしまったのでした。それを見た軍司は上腹部を指して惨殺しています。

加藤貞子

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77歳女性です。
近くのバス停留所でバスから降りてきたところを正面から体当たりするようにして大腿部を一回突き刺されました。自分に何が起きたか理解できなかったと言います。

少し先の森下診療所の前にいたと言われています。

最初の事件現場から15メートルほど。かなりの狭い範囲で犠牲者を出したことになりますね。

吉野千鶴子

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39歳女性です。事件の騒ぎを聞きつけ店舗の中から出てきたのでした。吉野さんに軍司は腹部めがけて突きかかりましたが、吉野さんは刺されると思い、右手で払ったと言います。

その時に手に怪我を負い、全治2週間の重傷となってしまいました。

立て籠りまでの経緯

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川俣軍司は通り魔として人を刺しただけではなく、その後、たまたま道を通っていた女性を捕まえて人質にし、中華料理店に立てこもります。

その時間約7時間。テレビの中継も各局でしていたため、人々の注目を集めることとなりました。

警察の説得を拒否するどころか、食事の要求までしています。結局女性は隙をついて逃げ、川俣軍司は逮捕となりましたが、女性は包丁で切られて傷だらけの状態でした。

ここでは立て篭もりの詳細についてまとめています。

柳刃包丁の破損

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川俣軍司が立てこもりを決行しようとしたのは柳刃包丁の破損です。

元々細くて切るために特化した柳刃包丁は6人も突き刺して死傷させているうちに5ミリほど欠けていたのでした。

本当はまだ殺戮を繰り返そうとしていたようですが、これでは無理と考え、軍司は女性を人質に立てこもりを考えたと言います。

石塚真里を人質に

Psycho Shower Stabbing - Free vector graphic on Pixabay (664448)

人質となった石塚真里は偶然事件現場付近を通りかかっていました。

川俣軍司はすれ違いざまに同女の頸部に左腕を回して、右手で柳刃包丁を喉元に突きつけ脅すなどして人質にし、近くの中華料理屋『萬來』に引きずり込んだのです。

この時萬來は営業時間外。お客は誰もおらず、経営者の夫婦とその息子だけがいました。その人達を追い出し、お店の2階に立てこもります。

この家族は隙をついて勝手口から逃げ出したとも言われています。お店の女性は逃げる時に背中に傷を負わされました。

37箇所もの傷を負わせる

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