2019年9月30日 更新

川俣軍司の事件詳細と現在!犯人の生い立ちや祖父の奇妙なエピソード

昭和の日本中を震撼させた通り魔事件「深川通り魔殺人事件」 犯人のインパクトが強く、大地康雄さんが主演のドラマも非常にリアルで反響を呼びました。 彼の現在はどうなっているのでしょうか。生い立ち、そして軍司の祖父と被害者の関係とは。

目次

東京に戻った川俣軍司は何度もトラブルを起こし、警察に逮捕されています。深掘り通り魔殺人事件を起こした時はまだ29歳でしたが、前科はすでにかなり付いていたようです。

酒に酔った挙句の犯行が多いですが、刑務所にいた時も素行が悪く、仮出所はつかず、満期出所のこともあったようです。刑務所を出た後にすぐ職を探すもトラブルになって逮捕されるため、それが原因で解雇になることもありました。

軍司が起こしたトラブルはここでは書ききれないほどではありますが、通り魔事件までの犯罪歴をまとめてみました。刑法が現在と違っていますので注意してください。

恐喝罪

Egg Hammer Threaten - Free photo on Pixabay (667396)

最初の犯罪は昭和46年6月6日、台東区浅草で通行人を脅して現金を出させ、恐喝罪により東京地裁で懲役2年・執行猶予3年の判決。19歳の時でした。免許を取得したのと同じ年です。

暴行傷害事件

Punch Fist Hand - Free photo on Pixabay (667419)

昭和47年3月8日、20歳になった軍司は、足立区千住で暴行傷害事件を起こします。更に9月29日、富坂で暴行傷害事件を起こし、東京地裁で懲役10ヶ月の実刑判決。

この時、恐喝罪の執行猶予も取り消され、川越少年刑務所で2年10ヶ月服役することになります。服役態度が悪かったのか、昭和50年9月に満期出所しています。

その後、秋葉原の会社でトラック運転手をするも、昭和51年に道路交通法違反を起こし、罰金4万円を受けています。

少年刑務所で服役

Prison Cell Slammer - Free photo on Pixabay (668032)

昭和51年5月、飲み屋でやけ酒を飲み凄んだところ110番通報されてしまいます。それにカッとなった軍司は客や店員相手に暴れているところを逮捕され、懲役10ヶ月となりました。昭和52年4月に刑務所を出所しています。

軍司は水戸市にある少年院に送られます。名称は少年ではありましたが、実際は30歳未満の初犯者が多数を占めたところでした。

その後実家に戻り父のしじみ漁を継ぐことになりますが、船の上で注意されると「川に突き落とすぞ」と凄んだり、母の作った料理が気に入らないと「こんなもの食えるか」と御膳ごとひっくり返したりしていました。

絶えかねた両親は利根川を隔てた長男の家に逃れることになるのです。

ホステスを切りつけて逮捕

Bar Street City - Free photo on Pixabay (668092)

昭和53年ごろ、軍司は金回りが良くなり、毎晩飲み歩くようになりました。この頃から覚醒剤を使い始めたと言います。

10月に惚れ込んでいたナンバーワンホステスに夫がいたのですが、お客を失いたくないため公開していませんでした。軍司は夫がいることがわかると激怒。

刺青をチラつかせるため、お店には出禁になっていましたが、ホステスの送迎用のマイクロバスが来る時間に待ち伏せ、彼女が乗り込む所を呼び止めると包丁で切りつけたのです。

これで懲役1年となりました。

その後も服役を繰り返す

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (668130)

その後も軍司は服役を繰り返します。飲酒運転や接触事故で相手を殴り逮捕されたり、母の葬式で暴れ、懲役7ヶ月の判決を言い渡されています。

出所してから事件を起こす合間にも、仕事を探して更生しようとしたいたようですが無断欠勤や休日出勤を拒否して居づらくなるなどで何度も解雇させられています。

この頃から覚醒剤の症状が出始め、おかしなことを言い始めたり青ざめた顔で脂汗をかいたりしていました。覇気もなくボーッとしているので職場の人間からは気味わるがられていたようです。

川俣軍司がみせた覚醒剤中毒症状

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薬物を使用することで軍司は様々なトラブルを起こし続けることになります。ホステスを切りつけて逮捕されてから府中刑務所を出所しますが、母の回復の見込みのない子宮ガンでの入院もあり、そこからどんどん薬物にのめり込んでいくのでした。

深川通り魔殺人事件を起こすまで、言動や行動、身体的異変が随所に出てきています。元の言動の荒っぽさも手伝ってトラブルも起こし続けていました。

軍司が見せた薬物の中毒症状はどういったものだったのでしょうか。

母親の葬儀

Addict The Dependence Of Drug - Free photo on Pixabay (668190)

昭和55年、軍司が28歳の時に母が子宮ガンで亡くなりました。葬式の時に大声で喚き周りから顰蹙を買い、止めに入った弟と口論になります。

口論の中で軍司はお坊さんが自分のことを海坊主と振り返って喧嘩を売ってきたり、自分の母親の悪口を言ったと話しています。もちろんそんなことはないので、これは覚醒剤による中毒症状と言っていいでしょう。

最終的に弟とは取っ組み合いの喧嘩となり、人前で醜態を晒すことになります。酒も飲んでいないのにこれはおかしいと親族から覚醒剤を使っているのではないかと噂されることになりました。この喧嘩で軍司は懲役7ヶ月を言い渡されています。

兄に語った意味不明な発言

Question Mark Faq - Free image on Pixabay (668203)

懲役7ヶ月を満期出所した軍司は刑務所の門を出た足で父に電話をかけましたが相手にしてもらえず、兄に電話することにします。その時に話したのが

「今回の懲役ほど、苦労したことはなかった。親兄弟までグルになって、俺をいじめるとは思わなかったが、おかげで、“電波・テープ”にひっつかれた。俺は黒幕から麻酔を注射して殺される。その前にいっそ、舌を噛んで死んでやるが、それでも兄貴は平気か?」

普通の人が聞いたら何のことかわからない、意味不明な言動ですよね。
Mma Network Cage - Free photo on Pixabay (668211)

兄も何度もトラブルを起こし刑務所を行き来する弟の出所に愕然としていました。しかし、援助することを約束し、その日に軍司に会って4万円程渡して家に戻ってこないことを約束させました。軍司は

「頼まれても家になんか、帰ってやるもんか。親兄弟までグルになって、俺を苦しめやがってよ。だが、俺は負けるもんじゃねえ。世間のヤツがどんなに妨害しようと、俺は結婚して子供を作る」

と言いながら寿司職人の求人を見せつけたということです。

江東区の寿司店での行動

Sushi Japan Food Japanese - Free photo on Pixabay (668219)

軍司は江東区にある寿司屋で仕事が決まりました。

面接の時に出前でも何でもやりますと言っていた軍司でしたが、採用された翌日、昼にみんなで食事をしていた時にそれまで普通だった軍司が体を丸めてうめき始め、青ざめて脂汗が滴り落ちていました。

店主は覚醒剤をやっているのではないかと後で軍司に問いただしたようです。この頃テレビなどでは覚醒剤の禁断症状の話をよくやっていたのです。店主も妻から早くクビにしてと強く言われていて、パートのおばさんも気味悪がっていました。

次の日軍司は解雇になりました。

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