2019年8月8日 更新

校門圧死事件の概要!神戸高塚高校で起きたこの事件の本当の問題とは?

神戸高塚高校で起きた校門圧死事件とはどんな事件なのでしょうか。この事件により罪に問われた教諭・細井敏彦とはどんな人物なのでしょうか?教諭一人の問題なのか、それともこの事件の本当の問題が別にあるのか?それを紹介していきたいと思います。

目次

校門圧死事件が社会にうったえる本当の問題

Goal Garden Gate Wooden - Free image on Pixabay (493145)

校門圧死事件を知っていますか?この事件は、神戸高塚高校で門扉とコンクリートの間に女子生徒が挟まれたことにより、脳挫滅で死亡しました。とある学校の事件として風化させるのではなく、その裏に隠された社会に訴える本当の問題があるのです。

高校の厳しい校則、そして教諭個人が引き起こした悲しい事件と片付けるのではなく、その裏に隠された問題が多くあること・それを解決しなければ事件は終わらないと理解する必要があるのではないでしょうか。

校門圧死事件とは

Goal Metal Input - Free image on Pixabay (504428)

校門圧死事件とは、1990年7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の教諭であった細井敏彦が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒が門扉に圧潰されて、死亡した事件です。

生徒が死亡する事件となった神戸高塚高校とはどんな高校なのか、なぜ門扉を閉めるという対応を取っていたのかなど、事件の詳細について紹介していきます。

神戸高塚高校は遅刻者の取り締まりを強化していた

Clock Pocket Watch Movement - Free photo on Pixabay (504434)

神戸高塚高校は、最寄り駅からほぼ一直線の道をひたすら12~13分ほど歩きます。マンモス校で1546人の生徒の大半が、最寄り駅から歩くわけで、この一本道に長い列が出来るのは想像できるのではないでしょうか。

校則は厳しく、学校には大体あるはずの生徒用のロッカーは置いておらず、私物があれば即、没収という対応をしていたと言います。高校というより刑務所という印象が強い神戸高塚高校ですが、当時、遅刻者の取り締まりについては強化していたそうです。

登校の時刻を過ぎると校門を閉鎖する取り組みを行っていた

Pocket Watch Time Of Sand - Free photo on Pixabay (504440)

神戸高塚高校の校門のすぐ後ろには時計塔があり、午前8時30分を指すと同時にチャイムが響き渡ります。生徒が駆け込むと同時にチャイムが鳴りやむという光景は、時刻に制御され、計算しつくしたかのような動きです。

1本道を歩く生徒の流れを強制的に遮断し、遅刻者を明らかにするため・ペナルティーを課すために、校門を閉鎖する取り組みを行っていました。校門を閉鎖する取り組みは、神戸高塚高校が珍しいのではなく、他の高校も行っていたようです。

1990年7月従来通り校門を閉鎖した

Door Lock Closure Black - Free photo on Pixabay (504448)

1990年7月6日、教師3人が登校する生徒を指導していました。2人は門扉の外に立って、ハンドマイクで登校を急ぐように呼びかけ、残る1人が内側から門扉の後ろを押すという対応でした。

分単位で生徒の流れを見る教師たち。1分前になると校門沿いのフェンスから「閉めるぞー」と声をかけていったと言います。門扉を閉めた教師は、午前8時29分30秒頃に校門を閉める姿勢を取り、時計塔のチャイムが鳴ると同時に門扉を閉めました。

閉鎖間際当時15歳の女子生徒が挟まれた

Street People Children - Free photo on Pixabay (504463)

門扉はかなりの重量があり、低い姿勢で両手を添えて頭を下げ押さないと動き始めないと言います。途中から惰性がつき軽くなったので、頭を上げ前方を見ながら押し切ろうとしました。そして、遅刻しまいとそこへ駆け込んだ女子生徒が門扉と門柱の間に強く挟まれたのです。

しかし、門扉を閉めた教師は女子生徒が挟まれたことに気づかず、現場に居た別の生徒が「なんちゅうことすんねん」「むちゃくちゃすんな」などと叫んだりしたことで、教諭は初めて事件に気付いたのです。

校門はヘルメットが割れるほどの速度で閉められていた

Safety Helmet Safe - Free vector graphic on Pixabay (504473)

7月21日に、兵庫県警察による実況見分が行われ、その結果、門扉はヘルメットが割れるほどの速度で押されていたことが分かりました。生徒が集団で登校しているのに教諭が勢いよく門扉を閉めたこと、またこの教諭は過去にも門扉で生徒のスカートなどを挟んだことがあったことが問題となりました。

そして、この教諭は門扉を閉めることの危険性を把握しながら安全を充分確認しなかったことに対して、業務上過失致死の容疑で取り調べられることになりました。

女子生徒は脳挫滅により搬送先の病院で死亡

Surgery Hospital Doctor - Free photo on Pixabay (504478)

女子生徒は、門扉と門柱の間に頭を強く挟まれたことなどにより、頭蓋底粉砕骨折等の重傷を負い、搬送先の神戸大学医学部附属病院で緊急手術を行いますが、午前10時25分に脳挫滅による死亡が確認されました。

現場に付着した女子生徒の血液は、報道陣が駆け付ける前、そして警察の現場検証前に学校により洗い流されていました。事件が表面に出たのは、救急病院から警察へ、警察から記者クラブへというルートであって、学校からの連絡はなかったのです。

当日の試験は予定通り行われた

Board School Uni - Free image on Pixabay (504522)

事件のあった1990年7月6日、神戸高塚高校はこの日、期末試験テストの初日でした。当日の試験は予定通り実施されました。事件に遭遇した生徒は「散れ」と追い返され、教室に入ると教師は事件について何も触れずテストがそのまま始まったと話しています。

事件を目の当たりにした生徒が居たにも関わらず、学校側はテストを中止するわけでも、説明するわけでもなくテストを続行。目の当たりにした生徒は、テストに集中できるわけがないのは想像が出来ます。

校門を閉めた教師は試験監督を勤めていた

Student Professor Uni - Free image on Pixabay (504615)

1 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪