2019年8月8日 更新

校門圧死事件の概要!神戸高塚高校で起きたこの事件の本当の問題とは?

神戸高塚高校で起きた校門圧死事件とはどんな事件なのでしょうか。この事件により罪に問われた教諭・細井敏彦とはどんな人物なのでしょうか?教諭一人の問題なのか、それともこの事件の本当の問題が別にあるのか?それを紹介していきたいと思います。

目次

教育委員会の存在意義

Question Mark Important Sign - Free image on Pixabay (541764)

神戸高塚高校は当時、遅刻者に校庭を2周走らせるペナルティを課していたこと・生徒を家畜呼ばわりする言葉の暴力の容認・女子生徒が生理の日でも水泳をさせられることなどの人権侵害など管理教育の問題が事件の背景にありました。

しかし、裁判において教育委員会の管理責任が問われることはありませんでした。高塚高校のような問題のある学校を放置していた教育委員会の存在意義はあるのでしょうか。現場のことはあくまで現場で対処するものであり、教育委員会は関係ないとするなら、教育委員会はいらないのかもしれません。

閉鎖空間のモラル・秩序

Monument Friars Carthusians - Free photo on Pixabay (541770)

1980年代以降、校則は管理教育を象徴とするものとして、その過剰で細かい規定事項が厳しい批判の対象とされてきました。校則の異常性というのは、今日ではずいぶんと減ってきたとさえ思う人も少なくないかもしれません。

しかし学校という閉鎖空間でのモラル・秩序というのは一歩外を出てしまえば見えなくなるものです。2017年に入ってから、校則のよる黒髪の強要が話題になりましたが、閉鎖空間での異常なモラルの押し付けは現代であっても消えておらず、生徒を管理するのが正義だと思っているのではないでしょうか。

危険行為を黙認していた学校及び保護者

Police Brutality Warning - Free vector graphic on Pixabay (541777)

この事件が起きた時に、たまたま校門の開閉行為をしていたわけではなく、以前から行っていたものです。遅刻者を取り締まることが正義であり業務の一貫として行われており、その危険行為は黙認されていました。

事件以前に生徒のスカートが挟まれたことがあったにも関わらず、学校も保護者も、そして生徒さえ校門の開閉行為が危険であることを黙認し誰も声を上げる人がいなかったのです。誰かが声を上げていれば、変わっていたかもしれません。

高校生の想像力のなさ・未熟さ

Thought Idea Innovation - Free photo on Pixabay (541784)

被害者の生徒が門扉に挟まれたとき、彼女の後ろには十何人もの生徒がいたと言います。そして門が1回開いたときに何人か中に入ったという情報があります。

一人の生徒が門扉に挟まれたにも関わらず、その生徒の安否を気にするわけでもなく遅刻しないことで頭がいっぱいだったのかもしれません。高校生の想像力のなさ、そして危険であると声を上げることが出来ない未熟さがあると言えます。管理というなの規則で押さえつけられてきた結果とも言えます。

加害者家族への同類扱い

Fog Mist Golden - Free photo on Pixabay (541789)

加害者家族に関して、あまり情報加得られていません。しかし、害者家族への同類扱い、つまり「生徒の命を奪った」という社会の厳しい・非難の目が向かったのではないだろうか。

この事件だけでなく、何か事件が起きると加害者家族への取材は殺到し、マスコミは世論の代表だという思いで取材をするのだろうが、いかにスクープを取るかが目的であり、加害者家族は傷つけても構わないという風潮があるのは否めない印象です。家族も同類という厳しい・非難の目は、なくさなければいけないのではないだろうか。

教諭への過剰な要求

Teacher Property Plant And - Free photo on Pixabay (541794)

一方で、教諭に関して過剰な要求があった一面があります。遅刻する生徒が多い結果の校門の開閉行為を行って可能性もあります。なぜ、学校に行くのか、目的がしっかりしていれば遅刻せず通えるのではないかという考えも出てきます。

しかし、学校や教諭に対して、子供のしつけを全て任せてしまう保護者も少なからずいるのではないだろうか。現代ではモンスターペアレントと呼ばれるようなクレームを言う親が増えてきており、学校も教諭も疲弊しているのです。子供の躾は、あくまで保護者の仕事です。遅刻を防ぐような対策を保護者はしてきたのだろうか。

著書「校門の時計だけが知っているー私の校門圧死事件」について

Old Books Book - Free photo on Pixabay (541813)

兵庫の公立高校は当時は偏差値輪切り制で、つまり各校区内で学力順に進学先が分かれるようになっています。生徒の管理体制は学力・進学率に反比例して進学校は管理が緩やかで、そうでない高校は“刑務所”系となる。事件のあった高校はその校区ではほぼ最下位だったそうです。

その高校で事件の加害者となった教諭であった細井敏彦は、実名で著書「校門の時計だけが知っているー私の校門圧死事件」を出版しています。その内容について説明していきます。

細井敏彦が執筆した校門圧死事件

Pen Fountain Ink - Free photo on Pixabay (541836)

加害者となった細井敏彦が執筆した校門圧死事件は、終始、自己弁護しているという印象があります。あくまで業務の一つとして校門の開閉行為をしただけであり、その行動は間違っていない・生徒の管理を行っていただけだと語っています。

彼は「教育の入り口校門で死に至らしめたという厳然たる事実として正面からしっかり見据えなければならない。しかしマスコミによって教師としての教育活動が全て否定され暴力教師のレッテルが張られた」と非難しているのです。反省していないと感じても仕方がないのではないだろうか。

教諭としての思いや当時の心境について綴られている

Background Hand Heart - Free image on Pixabay (541843)

「管理教育を全て肯定しているわけではない。あそこまでやる必要があったのかという思いにとらわれることはあるが、職務を出来るだけ忠実に遂行しようとする教員であり、熱意のあまり現実の一部が見えなくなっていたのかもしれない」と語っています。

門から締め出された生徒は、遅刻であり即ペナルティを科されるため、教師も指導しやすく生徒も納得しやすいとも語っています。鉄則を貫くことが教育であると信じ、管理しやすいという理由で校門の開閉行為に疑問を持たないことが不思議です。

著書については酷評が目立つ

Angry Man Point Finger - Free photo on Pixabay (541665)

「すべてが自己正当化に終始して、マスコミは悪者扱いにしている。前途ある若者を一人殺しておいて、その手記を売ろうと言うのがまず凄い」など、酷評が目立ちます。読んで良かったと高評価をしている人はいませんでした。

「私の15年間の教師生活は、悲しい事故によって断ち切られたとはいえ、多くの教え子の心の中に生きつづけてくれるだろう」と書いているが、断ち切られたという表現は、如何なものだろうか。あまりに被害者面していないだろうか。自己弁護の言葉が並ぶ著書という印象です。

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