目次
- 校門圧死事件が社会にうったえる本当の問題
- 校門圧死事件とは
- 神戸高塚高校は遅刻者の取り締まりを強化していた
- 登校の時刻を過ぎると校門を閉鎖する取り組みを行っていた
- 1990年7月従来通り校門を閉鎖した
- 閉鎖間際当時15歳の女子生徒が挟まれた
- 校門はヘルメットが割れるほどの速度で閉められていた
- 女子生徒は脳挫滅により搬送先の病院で死亡
- 当日の試験は予定通り行われた
- 校門を閉めた教師は試験監督を勤めていた
- 校門圧死事件への批判
- 重量のある校門を強制的に閉める危険行為
- 大事故があったにも関わらず試験を続行した
- 女子生徒の容態について嘘を付いた
- 関係教師を試験監督として勤務させていた
- 校長は教員個人の責任だと主張した
- 刑事裁判では学校の責任について言及されていない
- 保護者会の内容の公開拒否
- 批判への学校の弁明
- 女子生徒の状態を伝えることは生徒の混乱を招く
- 教員の独断行為であり学校に責任はない
- 女子生徒の容態がはっきりしない段階では教員は職務を全うするべき
- マスコミの報道によって生徒が混乱している
- 校門圧死事件後の教師たちの処分
- 校門を閉めた教諭は懲戒免職
- 校長は戒告
- 教頭及び教育長は訓告
- その他教諭2名厳重注意
- 校門を閉める方法を提案した他教諭は処分無し
- 校門圧死事件後の学校と親族
- 学校側が過失を認め謝罪
- 被害者遺族に損害賠償金を支払い示談が成立
- 保護者会の開催を打ち切る
- 校門圧死事件後の刑事処分
- 業務上過失致死容疑で調べが始まる
- 教諭側は開閉行為が合理的で安全な方法と主張
- 学校側からの安全指導もなかったため「業務」に当たらないと主張
- 教育理念を押し付けた学校管理者及び教育委員会に問題があると主張
- 1993年検察庁の主張を認め執行猶予つき有罪判決を下す
- 判決に不服としながらも「家族の心労」を理由に控訴を断念
- 校門圧死事件に隠れた神戸高塚高校の問題行動
- 遅刻者に校庭を走らせる
- スクワット等柔軟体操を数十回課す
- 敢て出席確認に間に合わせないように仕向けた
- 生徒を「家畜」と呼びそれらを放置
- 生理中の女子生徒を水泳授業に参加させていた
- 当初5人体制で始まった遅刻取り締まりは事件時3人となっていた
- 校門を閉めた教諭の思い
- 教諭免許失効は不当
- 学校側の指示に従っただけ
- 遅刻者を取り締まることは正義
- 罪を認めたのではなく家族を想ったため受け入れた
- 校門圧死事件後の学校の対応
- 校長が変わる
- 事件のあった門扉の撤去
- インターハイ出場と推薦校の辞退
- 校門圧死事件の本当の問題
- 教諭であっても自己判断ができず自らの言動に責任感が持てない
- 事件があった事柄を撤去すればいいという短絡的な思考
- 教育委員会の存在意義
- 閉鎖空間のモラル・秩序
- 危険行為を黙認していた学校及び保護者
- 高校生の想像力のなさ・未熟さ
- 加害者家族への同類扱い
- 教諭への過剰な要求
- 著書「校門の時計だけが知っているー私の校門圧死事件」について
- 細井敏彦が執筆した校門圧死事件
- 教諭としての思いや当時の心境について綴られている
- 著書については酷評が目立つ
- 発売に関して出版社及び細井敏彦に批判が集まる
- 現在の教育現場にも通ずる問題が数多く存在する
via pixabay.com
今回の事故により、細井自身や学校の教育が「管理教育」という一言で断罪されたのは心外。今回の事故は管理が中途半端であったために起こった事故であり、生徒の安全管理がもっとシステム化されていれば、起こりえなかった事故だったと書いています。
あくまで管理システムの問題であり、自分が安全に関して考えていなかったことに対して、一切の反省は書いていませんでした。自分の行動に対して、安全配慮の義務はないとでもいうのでしょうか。その神経が信じられません。
あくまで管理システムの問題であり、自分が安全に関して考えていなかったことに対して、一切の反省は書いていませんでした。自分の行動に対して、安全配慮の義務はないとでもいうのでしょうか。その神経が信じられません。
発売に関して出版社及び細井敏彦に批判が集まる
via pixabay.com
著書「校門の時計だけが知っているー私の校門圧死事件」は、発売に関して出版社や細井敏彦に批判が集まったといいます。
著書は反省の言葉はなく、個人の責任にした学校や暴力教師のレッテルを貼ったマスコミが悪いという自己弁護・言い訳ばかりが並んでいるものでした。真実を追求することが、15歳にして亡くなられた生徒の霊に報いる唯一の道だという考えで執筆したと述べていますが、被害者に対して平然と言ってのける神経がわかりません。
著書は反省の言葉はなく、個人の責任にした学校や暴力教師のレッテルを貼ったマスコミが悪いという自己弁護・言い訳ばかりが並んでいるものでした。真実を追求することが、15歳にして亡くなられた生徒の霊に報いる唯一の道だという考えで執筆したと述べていますが、被害者に対して平然と言ってのける神経がわかりません。
現在の教育現場にも通ずる問題が数多く存在する
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神戸高塚高校の校門圧死事件は、教育の場で絶対にあってはならない事故でした。学校や生徒、そして保護者が真剣に向き合い、管理教育について考えていかなければいけないのです。
今、この時代であっても合理性を欠くような校則は、決して消滅しておらず、むしろ強化あるいは拡散している印象があります。例えば下着の色が決められていたり、もともと茶色の髪だったり縮れていたりする場合は「地毛証明書」を提出学校もあるのです。
今、この時代であっても合理性を欠くような校則は、決して消滅しておらず、むしろ強化あるいは拡散している印象があります。例えば下着の色が決められていたり、もともと茶色の髪だったり縮れていたりする場合は「地毛証明書」を提出学校もあるのです。
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ときに教育の場では、厳しさが必要になる場面があるかもしれません。しかし、体罰や規則、管理教育でどうにかしようとするのではなく、話し合うことで解決していけるような力を身に着けさせる必要があるのではないでしょうか。
本来であれば、社会や家庭が担うべき生徒たちの「躾や生活の管理」といった役割を、学校に押し付けてきた結果なのかもしれません。もちろん、最低限のルールは必要であり、守るべきものだと思います。この事件を風化させることなく、自分を律することが出来るような人を育てていける社会になって欲しいと思います。
本来であれば、社会や家庭が担うべき生徒たちの「躾や生活の管理」といった役割を、学校に押し付けてきた結果なのかもしれません。もちろん、最低限のルールは必要であり、守るべきものだと思います。この事件を風化させることなく、自分を律することが出来るような人を育てていける社会になって欲しいと思います。
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