2019年8月8日 更新

校門圧死事件の概要!神戸高塚高校で起きたこの事件の本当の問題とは?

神戸高塚高校で起きた校門圧死事件とはどんな事件なのでしょうか。この事件により罪に問われた教諭・細井敏彦とはどんな人物なのでしょうか?教諭一人の問題なのか、それともこの事件の本当の問題が別にあるのか?それを紹介していきたいと思います。

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今回の事故により、細井自身や学校の教育が「管理教育」という一言で断罪されたのは心外。今回の事故は管理が中途半端であったために起こった事故であり、生徒の安全管理がもっとシステム化されていれば、起こりえなかった事故だったと書いています。

あくまで管理システムの問題であり、自分が安全に関して考えていなかったことに対して、一切の反省は書いていませんでした。自分の行動に対して、安全配慮の義務はないとでもいうのでしょうか。その神経が信じられません。

発売に関して出版社及び細井敏彦に批判が集まる

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著書「校門の時計だけが知っているー私の校門圧死事件」は、発売に関して出版社や細井敏彦に批判が集まったといいます。

著書は反省の言葉はなく、個人の責任にした学校や暴力教師のレッテルを貼ったマスコミが悪いという自己弁護・言い訳ばかりが並んでいるものでした。真実を追求することが、15歳にして亡くなられた生徒の霊に報いる唯一の道だという考えで執筆したと述べていますが、被害者に対して平然と言ってのける神経がわかりません。

現在の教育現場にも通ずる問題が数多く存在する

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神戸高塚高校の校門圧死事件は、教育の場で絶対にあってはならない事故でした。学校や生徒、そして保護者が真剣に向き合い、管理教育について考えていかなければいけないのです。

今、この時代であっても合理性を欠くような校則は、決して消滅しておらず、むしろ強化あるいは拡散している印象があります。例えば下着の色が決められていたり、もともと茶色の髪だったり縮れていたりする場合は「地毛証明書」を提出学校もあるのです。
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ときに教育の場では、厳しさが必要になる場面があるかもしれません。しかし、体罰や規則、管理教育でどうにかしようとするのではなく、話し合うことで解決していけるような力を身に着けさせる必要があるのではないでしょうか。

本来であれば、社会や家庭が担うべき生徒たちの「躾や生活の管理」といった役割を、学校に押し付けてきた結果なのかもしれません。もちろん、最低限のルールは必要であり、守るべきものだと思います。この事件を風化させることなく、自分を律することが出来るような人を育てていける社会になって欲しいと思います。

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