2019年8月8日 更新

校門圧死事件の概要!神戸高塚高校で起きたこの事件の本当の問題とは?

神戸高塚高校で起きた校門圧死事件とはどんな事件なのでしょうか。この事件により罪に問われた教諭・細井敏彦とはどんな人物なのでしょうか?教諭一人の問題なのか、それともこの事件の本当の問題が別にあるのか?それを紹介していきたいと思います。

目次

学校側の指示に従っただけ

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当事者である教諭は、「気がつくとそういうシステムの中に嵌め込まれ、そうすることが教師として当然の義務のように思い込まされてきた。私は決められたことを忠実に実行しただけであった。」と語っています。

何かと罰と称して走らされていた生徒が、遅刻しまいと走り込んだ結果、重い門扉に挟まれ命を奪われたことに対して、異常とも思わず、学校側に指示に従っただけと言ってしまうということは、教員の意思というものが学校には存在しないということになります。

遅刻者を取り締まることは正義

Justice Statue Lady Greek - Free photo on Pixabay (523494)

当事者の教諭は、「私ははっきり言って校門事件当時は、校門を閉鎖して遅刻生徒を取り締まることは正しいと信じて疑わなかった。しかしこうして尊い生徒の生命が失われてみると、他に方法はなかったのだろうかと考えさせられることがある。」と語っています。

門扉がスライドして閉められる。間に合わなければグラウンド2周のペナルティが科せられる。門扉をくぐり抜けようと、女子生徒は飛び込んでいくという異様な光景を、何の疑問も抱かず「正義」と主張しているのです。教諭の言う「正義」とは一体何なのでしょうか。

罪を認めたのではなく家族を想ったため受け入れた

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教諭にとって、校門の開閉行為は仕事の一貫で忠実に実行した「業務」であり、遅刻した生徒を取り締まることは正義だと思っていました。なので、事件として禁固1年・執行猶予3年の判決は不服でしかありません。

しかし教諭は、被害者の家族の心労を想い判決を受け入れたと言います。その優しさがあるのであれば、生徒の命に対しても優しさが欲しかったとしか言いようがありません。一度失った命は戻らない、その命を奪ったのだという自覚はあるのでしょうか。

校門圧死事件後の学校の対応

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高校で遅刻の取り締まりのために校門の開閉行為を行い、その行為により門扉に挟まれ生徒一人の命が奪われました。事件直後から、学校側は警察が来る前に血を洗い流すなど、隠蔽とも取れる行動をしていました。

規律を重んじ生徒を徹底的に管理することが生徒の命よりも大事だったのではないかと錯覚してしまいますが、そんな学校は校門圧死事件後、どんな対応をしてきたのでしょうか。その対応は納得出来るものだったのでしょうか。

校長が変わる

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9月に教育委員会から新校長が就任し「校門指導は継続」という方針を述べ、その後、事件の説明を含む今後の保護者会の開催を打ち切ることを宣言しました。

新しい校長によって、事件の詳細がわかるかもしれない・学校は変わっていくかもしれないという保護者や生徒の思いは打ち砕かれました。学校と保護者、生徒ととが話し合いをして解決していくというのが本来の姿だと思うが、保護者会は打ち切られ、学校側と保護者・生徒との間には溝が深まるばかりだったのです。

事件のあった門扉の撤去

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学校は、事件現場となった校門の門扉を事件直後に撤去しようとしたが、「事件の風化を図っている」などとして保護者や一部住民らが反発し、「判決前の撤去は好ましくない」とする裁判所の意見を受けて保留したが、教諭の有罪確定を受けて再び校門撤去を進めました。

撤去後の門扉を溶解工程に回すことなどの決定がPTAや保護者に説明することなく記者会見で明らかにされて、保護者や住民らは反対しましたが、1993年7月30日に小競り合いの中で撤去されて従前よりも小型で軽量な門扉が設置されました。

インターハイ出場と推薦校の辞退

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神戸高塚高校は、事件年度のインターハイの出場と大学からの推薦校の指定を辞退しました。全日制高校生のスポーツの祭典であるインターハイや、推薦校は学校間(指定校と大学等の間)同士の信頼関係という土台の上で成り立っているのが特徴なので、事件年度の辞退は致し方ないのかもしれません。

この校門圧死事件によって、生徒の命だけでなく、生徒の未来まで奪ってしまうことになったのです。学校・教員が目指した管理体制は生徒を管理するものではなく、生徒の未来を奪うものでしかありませんでした。

校門圧死事件の本当の問題

Police Crime Scene Blue Light - Free image on Pixabay (541711)

神戸高塚高校で起きた校門圧死事件。生徒一人の命が奪われるという悲しい事件でしたが、本当の問題はどこにあるのでしょうか。高塚高校では毎日のように遅刻者が20人以上いたという情報もあり、そもそも遅刻が当たり前になっていることが問題なのではないでしょうか。

それとも加害者となった教諭一人の問題なのでしょうか。「管理教育」という理念のもと、生徒を管理することだけが学校にとって大切なものとなっていたのでしょうか。本当の問題はどこにあるのでしょうか。

教諭であっても自己判断ができず自らの言動に責任感が持てない

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門扉を閉めた教諭は、「事件当時は、校門を閉鎖して遅刻生徒を取り締まることは正しいと信じて疑わなかった。気が付くとそういうシステムの中に嵌め込まれ、そうすることが教師として当然の義務にように思いこまされてきた。私は決められたことを忠実に実行しただけであった」と著書に記しています。

正しい判断が出来ず自らの行動に責任感もなく、ただやっているというだけ。当時、自分の行動が異常であるということに気づくことさえできなかった管理体制に、一体どんな意味があるのでしょうか。

事件があった事柄を撤去すればいいという短絡的な思考

Goal Metal Input - Free image on Pixabay (541756)

神戸高塚高校は、校門についた大量の犠牲者の血を、警察や報道陣が駆け付ける前に洗うという暴挙に出ました。また、事件現場となった校門の門扉を事件直後に撤去しようとするのです。1993年7月30日に小競り合いの中で撤去されて従前よりも小型で軽量な門扉が設置されました。

血を洗う行為は隠蔽であり、門扉を撤去するのは門扉を撤去してしまえば事件を忘れていくだろうという短絡的な思考でしかありません。門扉を撤去したところで人の記憶というのは簡単に消えるものではないのです。

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