目次
- 三毛別羆事件とは
- 羆の剥製
- 苫前町郷土資料館・考古資料館
- 渓谷の次郎
- 北海太郎
- 三毛別羆事件の展示も
- 漫画「羆風 飴色角と三本指」
- 漫画家、矢口高雄さん
- リアルな描写
- 三毛別羆事件を題材にした映画
- リメインズ 美しき勇者たち
- 監督は千葉真一
- ユキ役は村松美香
- 三毛別羆事件の詳細
- 人肉の味を覚えてしまった羆
- 事件一日目(12月9日)
- 事件二日目(12月10日)
- 事件三日目(12月11日)
- 事件四日目(12月12日)
- 事件五日目(12月13日)
- 事件六日目(12月14日)
- 死亡者は7人、けが人は3人
- 事件後の生存者の行方
- 事件後の村
- 三毛別羆事件の生き残り
- 大川与三吉の息子、大川春義
- 羆の因縁
- 死亡日の朝も健康そのものであった
- 今回の事件の戒め
- 火を恐れることはない
- 執着心がとても強い
- 背を向け逃げる動物を追う
- 人間の味を覚えた動物は危険
- 死んだふりは無効
- 三毛別羆事件は世界的に見ても無残な事件
三毛別羆事件とは
via pixabay.com
世の中には様々な凶悪犯罪、殺人事件が存在しますが、動物によって人間が殺傷される事件を獣害事件と言います。
三毛別羆事件は1915年(大正4年)12月9日~12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢(現苫前町三渓)で発生した、蝦夷羆(エゾヒグマ)による殺傷事件です。
六線沢熊害事件、苫前羆事件、苫前三毛別事件の別名でも知られるこの事件は、当時の北海道住民7名を死亡、3名を重傷に追いやったことから、日本はもとより世界史上でも類を見ない凶悪事件に数えられています。
三毛別羆事件は1915年(大正4年)12月9日~12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢(現苫前町三渓)で発生した、蝦夷羆(エゾヒグマ)による殺傷事件です。
六線沢熊害事件、苫前羆事件、苫前三毛別事件の別名でも知られるこの事件は、当時の北海道住民7名を死亡、3名を重傷に追いやったことから、日本はもとより世界史上でも類を見ない凶悪事件に数えられています。
via pixabay.com
事件現場となった三毛別六線沢は、日本海の沿岸から内陸へ30kmほど入った地区にあり、当時は開拓民の集落が築かれていました。
集落を襲ったヒグマ(♂)は、冬眠に失敗した「穴持たず」と呼ばれる個体で、推定7、8歳。体長2.7m、体重340kg。前脚の平手は幅20cm、後脚のそれは30cmもあったと言われています。
集落を襲ったヒグマ(♂)は、冬眠に失敗した「穴持たず」と呼ばれる個体で、推定7、8歳。体長2.7m、体重340kg。前脚の平手は幅20cm、後脚のそれは30cmもあったと言われています。
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ヒグマは牛や馬を一撃で殴り倒す腕力、時速50kmで走る脚力、動物の骨や木の枝を軽々噛み砕く咬力を備え、事件発生六日後に討伐隊の手で射殺されたとはいえ、そこに至るまでの過程は容易ではありませんでした。
ここでは事件の資料館や羆の剥製、事件を題材にした創作を紹介しながら、事件の顛末についても詳しく解説していきます。他の凶悪事件の記事については、こちらから。
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林真須美は冤罪だった?和歌山毒物カレー事件の概要と関係者の現在 - POUCHS
和歌山毒物カレー事件を覚えていますか?記憶に新しいと思う方も多いのではないでしょうか?この事件での犯人とされる、林真須美の死刑が確定しました。ですがこの事件には様々な疑問が残り、冤罪なのではないか?と世間で騒がれているのです。
羆の剥製
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苫前町郷土資料館・考古資料館には、三毛別羆事件に関する資料が数多く残されています。中にはヒグマの剥製もあり、その迫力が密かな人気を博しています。
ここでは資料館のアクセス方法、主な施設、三毛別羆事件を取り扱った歴史資料、剥製などの展示品についても解説していきます。
ここでは資料館のアクセス方法、主な施設、三毛別羆事件を取り扱った歴史資料、剥製などの展示品についても解説していきます。
苫前町郷土資料館・考古資料館
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資料館は苫前バス停留所から徒歩5分の場所にあります。公開期間は5月1日~10月31日(月曜日のみ休館)。入館料は210円。この建物は町役場として1928年に建てられ、1984年に資料館として改装されました。
建物向かって正面右側には、苫前町の歴史と文化に関する展示があり、詳しい年表や歴史資料だけでなく、昔の漁具や農具、アザラシ、エゾシカの剥製等が多数展示されています。
左側には、資料館のメインとも言うべき三毛別羆事件の展示があります。展示物は少なめですが、施設のおよそ半分は三毛別羆事件の資料で占められています。
建物向かって正面右側には、苫前町の歴史と文化に関する展示があり、詳しい年表や歴史資料だけでなく、昔の漁具や農具、アザラシ、エゾシカの剥製等が多数展示されています。
左側には、資料館のメインとも言うべき三毛別羆事件の展示があります。展示物は少なめですが、施設のおよそ半分は三毛別羆事件の資料で占められています。
渓谷の次郎
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渓谷の次郎は展示館の入り口(受付所)に屹立しているヒグマの剥製です。6歳のオスで、大きさは約170cmと小柄ですが、体重が350kgもあることから、たくましい体躯をしていることが分かります。
昭和60年(1985年)、苫前町字三渓に二名の猟師が入り、サカンベツ沢の奥、46林班の崖、積雪1.5m、大きく開いた雪の割れ目で、仮眠中の羆『渓谷の次郎』を発見。
午後4時02分に約40mの距離から発砲。下アゴから頭部へ2発の弾丸が命中して射止められました。苫前町内の山林で羆が射止められたのは7年ぶりだと言われています(資料館案内板より)。
昭和60年(1985年)、苫前町字三渓に二名の猟師が入り、サカンベツ沢の奥、46林班の崖、積雪1.5m、大きく開いた雪の割れ目で、仮眠中の羆『渓谷の次郎』を発見。
午後4時02分に約40mの距離から発砲。下アゴから頭部へ2発の弾丸が命中して射止められました。苫前町内の山林で羆が射止められたのは7年ぶりだと言われています(資料館案内板より)。
北海太郎
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北海太郎は日本最大記録を持つヒグマで、18歳オス。全長2m43cm、体重は500kgにも及ぶと言われています。幻のクマとして8年もの間ハンターに追われ、羽幌町の山中で冬眠しているところを昭和55年(1980年)に射止められました。
体格では渓谷の次郎を遥かに上回る北海太郎ですが、意外にも穏やかな顔をしているのが特徴です。北海太郎は人を襲った記録が存在せず、元から凶暴なヒグマではなかったとも言われています。
体格では渓谷の次郎を遥かに上回る北海太郎ですが、意外にも穏やかな顔をしているのが特徴です。北海太郎は人を襲った記録が存在せず、元から凶暴なヒグマではなかったとも言われています。
三毛別羆事件の展示も
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先述の通り、苫前町郷土資料館の半分は三毛別羆事件で占められているといっても過言ではありません。館内には事件の詳細を伝えるパネル、写真、図表の他、ヒグマが民家を襲う様子を再現した、実物大の展示物(人形館)もあります。
旧町長室はビデオ展示室になっており、三毛別羆事件を題材にした実写映画『熊嵐(三國連太郎主演)』が公開されています。
苫前町の奥地には三毛別羆事件復元地という施設もあり、資料館の人形館よりもリアルな、ヒグマが民家を襲う様子が展示されています。本物のヒグマが出没する可能性もあるので、念のため大きな音が出る物を携帯することをおすすめします。
旧町長室はビデオ展示室になっており、三毛別羆事件を題材にした実写映画『熊嵐(三國連太郎主演)』が公開されています。
苫前町の奥地には三毛別羆事件復元地という施設もあり、資料館の人形館よりもリアルな、ヒグマが民家を襲う様子が展示されています。本物のヒグマが出没する可能性もあるので、念のため大きな音が出る物を携帯することをおすすめします。
漫画「羆風 飴色角と三本指」
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『羆風 飴色角と三本指』は、三毛別羆事件を題材とした漫画作品です。月刊ビッグゴールド(ビッグコミックの増刊誌。1999年に廃刊)にて1996年8月号~1997年12月号まで連載されました。コミックスでは上、中、下の三巻構成となっています。
本作は戸川幸夫さんの小説『羆風』を原作としながらも、木村盛武さん(元北海道庁の林務官、ヒグマの会理事)に取材を行い、独自のアレンジを加えているのが特徴です。
本作は戸川幸夫さんの小説『羆風』を原作としながらも、木村盛武さん(元北海道庁の林務官、ヒグマの会理事)に取材を行い、独自のアレンジを加えているのが特徴です。
漫画家、矢口高雄さん
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矢口高雄さんは日本の漫画家で、本名は高橋高雄さん。主な作品に『釣りキチ三平』『幻の怪蛇バチヘビ』等があり、日本の自然や生き物を取り扱った作品が多く存在します。
出身は秋田県横手市。実家は町の中心部から20km離れた山村にあり、自然に囲まれて育った子供時代の生活が、後の漫画作品に大きな影響を与えたと言われています。
漫画家になった当初は画力の低さを酷評されるも、水木しげるさんをはじめとする多くのプロ作家にアドバイスを受け、30代という遅咲きながらも『釣りキチ三平』が大ヒット。日本の釣りブームを牽引しました。
出身は秋田県横手市。実家は町の中心部から20km離れた山村にあり、自然に囲まれて育った子供時代の生活が、後の漫画作品に大きな影響を与えたと言われています。
漫画家になった当初は画力の低さを酷評されるも、水木しげるさんをはじめとする多くのプロ作家にアドバイスを受け、30代という遅咲きながらも『釣りキチ三平』が大ヒット。日本の釣りブームを牽引しました。
リアルな描写
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