2019年3月7日 更新

林真須美は冤罪だった?和歌山毒物カレー事件の概要と関係者の現在

和歌山毒物カレー事件を覚えていますか?記憶に新しいと思う方も多いのではないでしょうか?この事件での犯人とされる、林真須美の死刑が確定しました。ですがこの事件には様々な疑問が残り、冤罪なのではないか?と世間で騒がれているのです。

和歌山毒物カレー事件の概要

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和歌山毒物カレー事件をご存知ですか?和歌山毒物カレー事件とは、1998年7月5日の夕方、和歌山県和歌山市園部発生した、毒物混入・無差別殺傷事件です。

事件の名の通り、振舞ったカレーに毒物を混入させ、多くの負傷者・死亡者を出しました。この事件の影響で世間は恐怖に怯えたのは記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。

今回は、そんな凶悪事件 和歌山毒物カレーについてを解説し、紹介をしていきます。

和歌山毒物カレー事件から20年

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和歌山毒物カレー事件は1998年7月5日に発生しました。多くの人が犠牲になったあの日から20年が過ぎました。「あの日、あの時夏祭りに誘わなければ幼馴染の命が奪われる事はなかったのに」と現在も胸を痛めている女性がいます。

平成がまもなく終わり、新しい年号がやってきます。この和歌山毒物カレー事件は忘れられてはいけない、風化してはいけない事件なのです。

事件の内容

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和歌山県和歌山市園部地区で、1998年7月25日に夏祭りが行われました。その夏祭りでは毎年自治会の女性たちが調理するカレーが美味しいと評判でした。その評判を聞きつけ、この夏祭りに参加をしていた人は少なくありませんでした。

夏祭り会場ではカレーの他にもおでんやジュースの屋台が並んでいました。参加していた人の人数というと、"大人数"とはお世辞にもいえなかったといいます。評判がよかったカレーを住民達は嬉しそうに受け取り、美味しく食べていました。カレーの味に違和感を覚えたという人も居たようです。
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会場では、カレーを食べた直後に嘔吐をする人、体調不良を訴える人が多く現れ救急車を呼ぶ自体となり騒然となりました。園部近くの多くの医院には吐き気。腹痛を訴える大勢の患者が多く運ばれてきました。カレーを家に持ち帰り、家で食べた後に、原因不明の体調不良になってしまったのです。

当初保健所では夏場という事もあり、食中毒ではないかと判断をしましたが、吐瀉物を検査した結果、青酸の反応が出た事から青酸中毒と判断をしました。ですが患者の状態が青酸中毒の症状と合致しない事から、警察庁の科学警察研究所が詳しく調査をした結果、"亜ヒ酸"の混入が判明したのです。

死亡者数と負傷者数

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和歌山毒物カレー事件は、カレーに亜ヒ酸が混入し、それを食べたことで起きた事件として解明されました。この亜ヒ酸入りカレーを食べたことで、被害を受けた人の数が想像を絶するものでした。

負傷者数は負傷者数は63人、そして死亡者の数は4人にも上りました。死亡したのは当時64歳だった自治会の会長・54歳の副会長・夏祭りに来ていた高校1年生の女子・小学4年生の男子の4人です。

動機

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和歌山毒物カレー事件を起こした犯人に動機はなかったとされています。犯人は近所の住民などと揉めていることも多かったようですが、それは動機としてかなり弱いとされています。犯人の子供たちもお祭りに来場していました。

カレーに毒を盛り、自分の子供たちがそのカレーを食べて死んでしまうかもしれないというリスクがあったのです。そんなリスクを犯してまで、無差別な事件を起こしたのでしょうか?謎は謎を呼んでいる状態なのです。

死刑判決

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2002年12月11日、和歌山地裁で行われた第一判決公判で、林真須美の殺意とヒ素混入を認めた上で、「4人の命が奪われた結果は重大で、遺族の悲痛な叫びを胸に刻むべき」と断罪して、検察側の求刑通りに林真須美に死刑判決を言い渡しました。

2009年4月21日、最高裁第三小法廷は「鑑定結果・状況証拠から、林真須美が犯人であることは証明された」と発言し、2005年に林真須美は判決に納得できないとして最高裁判所に上告していたが、その上告は棄却しました。

2009年4月30日付、死刑判決の破棄を求めましたがその申し立ても2009年5月18日付で棄却された為、林真須美の死刑が確定することとなりました。

犯人は林真須美

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和歌山毒物カレー事件で使われた"亜ヒ酸"が、林真須美の自宅から見つかったヒ酸と合致していた・夏祭りでカレー当番をしていた・林真須美の家族はカレーを食べていなかった・過去にヒ素を使った犯罪的があるという理由で、和歌山毒物カレー事件の犯人として逮捕されました。

林真須美とはどんな人物だったのでしょうか?

林真須美とは

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林真須美とは、1961年7月22日に和歌山県で生まれた専業主婦です。小さな漁村生まれの3人兄弟の末っ子です。幼少時代はピアノを買ってもらったりと、経済的に恵まれていたそうです。学生時代になるとわざとテストで悪い点を取ったり、ヒステリーを起こす事もあったようです。

高校は和歌山県箕島高校へ進学し、卒業後は大学付属の看護学校に進学をしたようです。そしてその時期に出会った旦那、健治と出会い22際に結婚をしました。健治にはDV癖がありギャンブルで負け続け破産、一時は経営していた会社も倒産しました。そんな健治の姿を近くで見てきた林真須美は不満ばかりが溜まっていました。

そんな中、林真須美はお金に目が眩み、健治と犯罪を犯すようになりました。そしてその犯罪が今回の毒物カレー事件と繋がっているのではないかと考えられているのです。

林真須美の性格

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林真須美は幼少時代、明るく素直な子だったといいます。学生時代になると大人しく、内気な性格に変わっていきました。幼少時代からずっと負けず嫌いだったといいます。そしてヒステリックを起こす事もしばしばあり、不安定な性格だったようです。

逮捕をされる前の性格ですが、報道では"用水路にゴミを捨てる"、"年中こわもての男達と家で麻雀している"、"クラクションを鳴らす"などという"性格は極悪"というような報道がされていました。

ですが、実際は子供を大切にし、笑顔の耐えない愛想のいい人だったと近所の人はいいます。

林真須美の家族構成

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