2019年3月7日 更新

林真須美は冤罪だった?和歌山毒物カレー事件の概要と関係者の現在

和歌山毒物カレー事件を覚えていますか?記憶に新しいと思う方も多いのではないでしょうか?この事件での犯人とされる、林真須美の死刑が確定しました。ですがこの事件には様々な疑問が残り、冤罪なのではないか?と世間で騒がれているのです。

前述でも説明した通り、カレーの調理をし始めてから、被害者たちにカレーを振る舞うまでの長い時間で、多くの人がカレー鍋に触れました。これは"誰にでも薬物をカレーに混入できた"ともいえる状況だったとも言えるのです。

また、カレーを見張っている途中に林真須美は買い物に出かけています。買物にでかけている間、"誰か"が鍋に近づき、毒をカレーに入れることはできない事では決っしてないのです。

混入されたヒ素について

Potion Poison Halloween - Free photo on Pixabay (93039)

カレー鍋に混入されていたヒ素は、林真須美の自宅の台所にあったプラスチック容器に付着していたヒ素と、現場付近にあった紙コップに付着していたヒ素の3つの生成が同一と鑑定されました。

ですがこの鑑定は、"同じ輸入業者経由で入ってきたものなのか?"という鑑定内容だった為、この3つのヒ素ば全く同じだったという証拠にはなっていないのです。そして林真須美の自宅から見つかったヒ素は、住んでいた場所付近のドラッグストア1店舗で販売されていたものだったのです。

そして林真須美が所持していたヒ素と同じヒ素を所持している近隣住宅は6軒ありました。また、林家に仕事道具として置いていたヒ素は施錠されていないガレージに置いていたので誰でも入ることができたのです。

真犯人は次女?

Woman Portrait Girls - Free photo on Pixabay (93054)

林真須美の次女は当時中学二年生でした。次女の風貌は林真須美と背格好が似ていて、当日は白いTシャツにタオルを首から提げていました。一方林真須美は当日、黒いTシャツを着ていました。

近隣の住民の証言の中にこんな証言があったと言います。「太った白いTシャツを着たおばさんがカレー鍋の周りをウロウロしていて蓋を開けていた」というのです。さすがに黒と白の色は間違えないだろうという事で次女が真犯人でないのかと噂が立ちました。

また、次女は当時学校でのいじめで悩んでおり不登校だったそうです。"復習心"から同年代の子が何人も参加する夏祭りでヒ素をカレーに入れたのではないかとも噂されています。

母である林真須美が次女をかばっている?

Family Mom And Daughter Baby - Free photo on Pixabay (93064)

もし、前述で説明したことが"真実"であったら、きっと子供思いの林真須美は次女をかばい守るでしょう。親としてなら当然の事でしょう。次女がヒ素を混入させてしまったのは"ヒ素と知らずに"という噂もあります。

ですがもし、次女が犯してしまった事件ならば"真実を受け止めさせること"も親の仕事なのではないでしょうか。

怪しい第三者の存在

Black Crow Bird Corvid - Free photo on Pixabay (93068)

林真須美は控訴審で「カレー調理場のガレージに戻った際に、近くに不振な男2人が立っていました」「二女とカレー鍋の見張りをしている時に、別の男が通りかかりました」と証言しています。

この証言に信憑性はないとも言えます。もしかしたら次女をかばう為の嘘なのかもしれません。または自分を守るための嘘なのかもしれません。

死刑囚の子供たちの壮絶な人生

Kid Child Portrait - Free photo on Pixabay (93074)

林真須美の死刑が決まりました。今、林真須美は獄中で何を思っているのでしょうか。外の世界に居る子供の事を少しでも考えているのでしょうか?

和歌山毒入りカレー事件が発生し、林真須美が逮捕された後、壮絶な人生を歩んでいたのは林真須美本人だけではありません。林真須美の最愛の子供たちも同じように、もしくはそれ以上に壮絶な人生を歩んでいたのです。死刑囚の子供たちの壮絶な人生とはどのようなものだったのでしょうか。

いじめ

Person Homeless Bullied - Free photo on Pixabay (93075)

林真須美が逮捕された後、林真須美の子供たちは児童養護施設に預けられる事となりました。その時の長男のあだ名は「ポイズン」でした。頻繁にいじめを受け、

子供の唯一の楽しみでもある給食に乾燥剤をいれられ「毒入りカレー」と囃し立てられたこともあったようです。同じ施設にいた少年から日常的な暴力も受けていたといいます。施設を出てから飲食店で働きましたが、"衛生的に良くない"という事で解雇をされてしまったようです。

結婚を考えていた女性も居ました。その女性はすべてを知っている上で結婚の約束をしていたようです。が、女性の父親に打ち明けると婚約は破談となってしまったのです。死刑囚の子供だからという理由で長男は幾度も人生の転機を何度も打ち砕かれていったのです。

長女の結婚

Couple Marriage Relationship - Free photo on Pixabay (93076)

長女は施設に入った頃、「私はママの事も全部友達に言ってる。同情してくる子、友達やめる子、色々といた。でも私は「ついてくる者だけ、ついて来い」って生き方をすると決めてる。」と林真須美の子供である事を隠すことはありませんでした。

そんな長女は若くして同年代の男性と結婚をし、妊娠しました。林真須美にすぐに妊娠した事を知らせました。ですが同時期に林真須美の夫である健治の出所も控えていたのです。長女は林真須美に住所などを夫健治に教えないよう念押しをします。

ですが林真須美は健治に住所を教え、長女の旦那の実家に挨拶の手紙を送ってしまうのです。その結果、長女の旦那と旦那の実家の関係が大きく崩れる原因となってしまったのです。この事があってから長女は林真須美に怒りをぶつける手紙を送りました。
Old Letters Letter - Free photo on Pixabay (93105)

その内容は、「あなたは本当に私の親なのか?二度と旦那の親に手紙を送るな。あなたが親という事だけで皆が迷惑している。あなたが親なのは私には人生の汚点だ。顔も二度と見たくないです。表面ヅラの母親をしないでほしい。私はこれであなたを一生許しません」というような内容でした。

これをきっかけに長女は、母親との繋がりを切ったといわれています。長女の旦那の実家に手紙を送ったという行為は林真須美の親心だったのでしょう。ですがそれは、正しい行動ではありませんでした。

林真須美が長女の旦那の実家に手紙を送った後、長女は心労から早産をしました。予定日よりも2ヶ月早く生まれたのです。自分の子の命の危機もあったという事でこのような手紙を送ったのです。長女は自分の子の命を奪おうとした母親に怒りの手紙を送り、母親は自分の子の為に手紙を送った―とても悲しい結末だったのです。

現在はそれぞれの道を歩んでいる

Away Bridge Wood - Free photo on Pixabay (93109)

林真須美死刑囚の子供たちは、現在はそれぞれの道を必死に、苦しみながら歩んでいます。死刑囚の子供という大きな十字架はいつまでも子供たちの背中に背負われ、なくなる事はないのでしょう。

"自分は自分として生きていきたい"という心は、世間の"カエルの子はカエル"という言葉に打ち砕かれ、これからもひっそりと息を潜めて、光に当たらずに生きていくのでしょうか。

それは、"当然のこと"なのでしょうか?"必然"なのでしょうか?"カエルの子はカエル"なのでしょうか?この問題は、この事件ではなく様々な事件の加害者の子供たちの人生にとって、考えていかなければならない問題なのです。

林真須美4人の子供たちの現在

People Friends Couples - Free photo on Pixabay (93113)

林真須美が逮捕されてから、20年。4人の子供達は壮絶な人生を一歩ずつ今現在まで歩んできています。そしてこれからも歩んでいくのです。林真須美の4人の実の子供たちは現在何を思い、どんな事をして、笑い・泣き・怒り、生活を送っているのでしょうか。

4人の子供達の現在について紹介をしていきます。

3 / 5

関連する記事 こんな記事も人気です♪