2019年3月7日 更新

林真須美は冤罪だった?和歌山毒物カレー事件の概要と関係者の現在

和歌山毒物カレー事件を覚えていますか?記憶に新しいと思う方も多いのではないでしょうか?この事件での犯人とされる、林真須美の死刑が確定しました。ですがこの事件には様々な疑問が残り、冤罪なのではないか?と世間で騒がれているのです。

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林真須美には旦那健治の他に、娘が3人、息子が1人の4人の子供がいました。長女は当時中学三年生、次女は当時中学二年生、三女は当時4歳、長男は当時小学五年生でした。

この事件により、幸せだった平凡な6人家族はガタガタと大きな音を立てて崩れていったのです。

林真須美と夫はプロの保険金詐欺師

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林真須美はこの和歌山毒物カレー事件が起きる10年ほど前から夫の健治と共謀をしていくつもの保険金詐欺をしていた事が発覚しました。この保険詐欺によって約8億円もの大金を手に入れたといわれています。

保険金詐欺を働くきっかけになったのは皮肉にも林真須美の母の死でした。林真須美の母には死亡保険がかけられていました。林真須美さんと真須美さんの母は元保険会社の外交員だった為、保険金の知識が豊富だったのです。

母の死により得た死亡保険金は1億4000万円。ですが夫の健治はこのお金を使い込み、林真須美は激怒をします。すると健治は「ワシが身体を張って保険金と取り返す」と保険金詐欺を繰り返し行うようになっていきました。
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夫の健治は、仕事で使用していたヒ素を死なない程度の量を服用して、保険金を貰っていたのです。病院では体調不良の原因を調べても分からず、急性腸炎として診断していたようです。保険会社から多額の保険金を請求する為、"両手足が動かないフリ"をして重度の障害があるように見せていたのです。

林真須美にオムツを替えさせたり、ご飯を食べさせてもらったりするところを医者・看護しに何度も見せ付けていたといいます。この手口を何度も繰り返し、入院し、何度も保険金を貰っていたのです。

林真須美の周辺で起きていた急性ヒ素中毒事件

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和歌山毒物カレー事件が起きる以前から、林真須美の周辺では何件もの急性ヒ素中毒事件が起きていました。その数々の事件は、林真須美・林健治が共謀をして行っていた詐欺事件でした。

無職の男性Aは、1996年2月ごろから林宅に住み込み、林夫婦の召し使い・世話係のような存在だったようです。マージャン仲間でもあった男性は1992年5月ごろから林夫婦と知り合い、保険金不正取得に協力
をしていたようです。

ヒ素入りくず湯事件

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1997年2月6日、林真須美が作ったくず湯を食べて、夫の健治が急性ヒ素中毒を発症しました。この事件については無職男性Aが証言をしていたようです。

夫健治がくず湯を食べた20分後ほどで体調が悪くなり、嘔吐しました。夫健治が摂取したヒ素は致死量を超えており、夫の死を期待する発言もあったことから、死亡保険金目的・憎しみの感情、殺意があっての犯行とされています。

ヒ素入り牛丼事件

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1997年9月22日、前述で紹介した無職の男性Aに林真須美が作ったヒ素入り牛丼を食べさせて、保険金539万円を手に入れました。当初は、死亡をさせ1億2910万円手に入れる予定だったようです。

無職男性は同年、10月12日にも麻婆豆腐を食べて嘔吐・10月19日にも中華丼を食べて嘔吐・1998年3月28日にもうどんを食べて嘔吐をしています。殺意は未必の故意だったといえるのです。

幾度となくヒ素入りの食べ物を口にし、死の狭間を彷徨っていた無職男性は今、何を思うのでしょうか。

夫 健治の急性中毒

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1995年の8月か9月に夫健治は嘔吐などを訴えた事がある。林真須美は健治の死を期待しているというような内容の発言・弱って死んでいく薬を夫健治に飲ませた事があると話しているのです。

"弱って死んでいく薬"というものが亜ヒ酸と考えられています。ですが、発言は殺害に直結するものではないので、林真須美の犯行と認めることはできないとされたようです。

この後に、何度も何度も亜ヒ酸を盛るなどする行為を繰り返しています。ですが夫は変わらずに共謀して保険金を受け取っていたという事から、1995年の8月か9月に夫健治が訴えた腹痛・吐き気なども保険金目当ての亜ヒ酸の摂取ともいえるのではないでしょうか?

林真須美は冤罪?

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被害者を多く出してしまった和歌山毒物カレー事件は、林真須美が犯人として終息を迎えると思われていました。ですが時間が経つにつれ実は、"林真須美は冤罪だったのではないのか?"と声があがる事が増えていったのです。

何故、林真須美は冤罪と言われる様になったのでしょうか?それには多くの疑問・おかしい点があったのです。冤罪と言われる理由について説明をしていきましょう。

動機がない

Alcedo Atthis Common Kingfisher - Free photo on Pixabay (93010)

林真須美は現在までこの和歌山毒入りカレー事件を起こした動機を1度も口にしていません。林真須美には本当に動機がなかったのではないかと言われているのです。

まず押さえて欲しいのが今回の事件を起こした所で、現在まで多数行ってきたような"多額の保険金の摂取はできない"という事。そして、この致死量を超える程の毒物入りのカレーはお祭りに参加をしていた愛する子供でさえ、食べる可能性があったのです。現に次女はカレーを味見していたそうです。

また、林真須美は晩御飯を準備していなかったといいます。その状況でカレーに致死量を超える毒を入れるにはリスクが高すぎたのではないでしょうか。

カレーの見張りをしていたのは1人ではなかった

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カレーの見張りをしていたという1つの理由も、林真須美が犯人とされた原因でもありました。ですが、実はカレーの見張りをしていた人物というのは林真須美だけではありませんでした。

10人以上の主婦が調理・見張りに関わり、交代で見張りをしていたのです。林真須美が担当していた時間は午後12時20分~13時頃までとされています。被害者が18時にカレーを食べ始める9時間以上の時間で、多くの人がカレーの鍋の前に立ったというのに"1人で見張りしてた"、"ちょっと不振な動きがあった"

という理由で、どうして林真須美は犯人となったのでしょうか?疑問が残るばかりなのです。

誰にでも薬物をカレーに混入できた

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