2019年5月26日 更新

三毛別羆事件は漫画や映画の題材に?事件の詳細と海外の反応は?

史上最大の獣害事件として、映画や漫画の題材にもなっている三毛別羆事件。なぜこのような事件が起こったのか?どうやって解決したのか?ここでは事件の詳細、資料館に展示されている羆の剥製、事件を題材にした創作、海外の反応、事件の生き残りについて解説していきます。

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その日の夜、太田家では安倍マユさんと蓮見幹雄さんの通夜が執り行われました。参列できたのは喪主の太田三郎さん、幹雄さんの両親を含めた9名のみ。集落の人はヒグマを恐れ、近づこうとしませんでした。

そこへ例のヒグマが再び侵入。保存食である被害者の遺体を奪還しようと、家を荒らし回ります。隣の中川家から50人ほどの男が駆けつけ事なきを得るも、ヒグマは逃走。一行は明景家に避難すべく、下流へ向かいました。
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逃走したヒグマは、その後明景家を襲撃。焚き火を消したことで、家は真っ暗になりました。この騒ぎで明景ヤヨさん、息子の明景梅吉さん、長松要吉さんは重傷を負い、斉藤タケさん(胎児含む)、斉藤巌さん、斉藤春義さん、明景金蔵さんは帰らぬ人となりました。

中でも身重だったタケさんの最後は壮絶極まるもので、上半身を喰われながら「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と絶叫したそうです。

太田家から駆けつけた50名の救援隊も、凄惨な一部始終を成す術もなく傍観するしかありませんでした。威嚇射撃でヒグマを追い払うことはできたものの、この事件は村人たちに恐怖を植え付け、集落を離れる人も現れ始めていました。

事件三日目(12月11日)

Sun Peaks Winter Snow - Free photo on Pixabay (284360)

六線沢の人々が三毛別分教場(後に三渓小学校となるが、廃校)に避難したところで、連絡役の斉藤石五郎さん、明景家の当主明景安太郎さんが戻ってきました。

二人は妻子の不幸を聞いてヒグマへの復讐に燃えるも、六線沢へ赴くことは周囲の開拓民に制止されました。

避難所では各部落の長老、駐在所の巡査、御料局(御料林を管理する役所)古丹別分担区員、分教場教頭らが話し合い、警察への協力を仰ぐことに決めました。

事件四日目(12月12日)

European Brown Bear Wild Animal - Free photo on Pixabay (284353)

急報を受けた北海道庁は、菅貢(すがみつぐ)警部率いる討伐隊を三毛別に派遣しました。他にも青年会、消防団、アイヌ、村の若者たちが隊に志願。日本刀、槍、村田銃(猟銃)、斧などの武器もたくさん集められました。

ヒグマを野放しにすれば行動範囲が更に広がり、倒すこと自体が難しくなるという理由から、大川与三吉家(六線沢の農家)に対策本部が設けられました。
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ヒグマを仕留めるために討伐隊が立てた作戦は、犠牲者の遺体を囮にするという物でした。事態が差し迫っていたこともあり、反対者は誰もいませんでした。

ところがヒグマは事前に危険を察知し、現場から逃走。無人の太田家に再び侵入し、残った食料を食い尽くしていきました。

事件五日目(12月13日)

Japan Winter The Four Seasons - Free photo on Pixabay (284367)

対策本部が旭川の日本軍第7師団に協力を要請する間、ヒグマは六線沢の農家数軒を物色。ニワトリや保存食を食い尽くし、三毛別川の落ち合い付近にやってきました。

待ち伏せる警官隊は、6株あるはずの切り株が明らかに1本多く、かすかに動いていることに気づきます。「人か!熊か!」の合言葉を発しても返事がなく、それがヒグマだと分かった警官隊は、10丁もの村田銃を一斉発射しました。

ところがまたもや銃の整備不足が災いし、ヒグマを取り逃がしてしまいました。ただし手傷を負わせたことで、血痕からヒグマの足跡を辿れるようになりました。

事件六日目(12月14日)

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悲劇に終止符を打つべく、総力を挙げて出陣する討伐隊。その中に、彼らとは別行動でヒグマに近づくマタギがいました。山本兵吉。若い頃に鯖裂き包丁一本でクマを仕留めた偉業から「サバサキの兄ぃ」の異名で知られる伝説のマタギでした。

日露戦争の戦利品であるロシア製ライフルを手に、兵吉さんは討伐隊よりもいち早くヒグマを発見。ニレの木に身を潜めながら、ミズナラの木で体を休めるヒグマに銃を構えます。

一発目の銃弾は、ヒグマの心臓近くを見事に撃ち抜きました。それでもヒグマは立ち上がって襲いかかるも、兵吉さんは再び銃を発砲。今度は眉間を寸分違わず撃ち抜き、ついにヒグマは絶命しました。

死亡者は7人、けが人は3人

Snow Footprints Nature - Free photo on Pixabay (284369)

兵吉さんに仕留められたヒグマは体が異常に大きいだけでなく、胸に袈裟懸け状の斑点、頭部の金毛は針のように固く、胴体に比べ頭部が極端に大きいなど、見るも異様な姿をしていました。

ヒグマの死後は天気が突然吹雪に変わり、瞬間最大風速は50mにも達したと言われます。熊を殺すと必ず空が荒れるという言い伝えから、村人たちはこれを「熊風」と呼んで後世に語り継いだそうです。
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なお、三毛別羆事件の犠牲者は以下の通りになっています。

【死者】
・安倍マユ(34・女性)
太田家でヒグマに連れ去られ、喰い殺される。膝と頭部以外はヒグマの胃袋内で発見された。

・蓮見幹雄 (6)
太田家でヒグマに遭遇し、喉を裂かれる。

・明景金蔵 (3)
明景家でヒグマに撲殺される。

・斉藤春義 (3)
明景家でヒグマに撲殺される。

・斉藤巌 (6)
明景家でヒグマに襲われ、その日の内に死亡。

・斉藤タケ (34)
明景家でヒグマに喰われ、最も壮絶な最後を遂げる。

・斉藤タケの胎児
ヒグマが女ばかりを狙うため、捕食の対称にはされず。発見時は息があったが、しばらくして死亡。

【重傷者】
・明景ヤヨ (34)
明景家でヒグマにかじられるが、命からがら逃げ延びる。

・明景梅吉 (1)
明景家でヒグマにかじられるが、ヤヨと共に一命を取り留める。後遺症で2年後に死亡。

長松要吉(オド) (59)
明景家の惨劇でヒグマが女子供に標的を切り替えたため、一命を取り留める。

事件後の生存者の行方

Fantasy Brown Bear Waterfall - Free photo on Pixabay (284355)

頭部に傷を負いながらも気丈な姿を見せた明景ヤヨさんは、その後も順調に回復。1963年(昭和38年)に82歳で病没しました。息子の梅吉さんは後遺症に苦しみ、2年8か月後に死亡しました。

もう一人の息子勇次郎さんは、成人後太平洋戦争に従軍。1942年(昭和17年)に戦死しました。気絶していたヒサノさんは成人後結婚し、幸せな家庭を築いたそうです。

肉をかじられた長松要吉さんは順調に回復し、仕事に戻ったものの、翌年4月に川で転落死。山本兵吉さんはその後もマタギとして活躍し、1950年に92歳で永眠するまで仕留めたクマの数は、延べ300頭に及んだそうです。

事件後の村

Bear Snow Brown - Free photo on Pixabay (284356)

三毛別羆事件の惨事は六線沢の人々に心理的恐怖を残し、集落からぽつりぽつりと人が去って行きました。最終的に集落は無人となり、太平洋戦争後に再び入植が始まるも、1970年(昭和45年)にまたもや無人となってしまいました。

事件が新聞で報道されたのは12月13日付の『北海タイムス』と『小樽新聞』がもっとも早く、『函館毎日新聞』が14日、『函館新聞』は19日と続きました。

このような遅れは山奥の事件だったことが災いしていたものの、北海タイムスは13日から25日まで毎日記事を掲載し、小樽新聞も断続的に1月28日まで事件記事を載せ、山本兵吉さんへのインタビューも行いました。

三毛別羆事件の生き残り

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