2019年10月6日 更新

グリコ・森永事件とは?犯人の目的や事件のその後・真相を考察!

グリコ森永事件と呼ばれる事件は、グリコやロッテ、その他の食品会社を標的にした大事件でした。全国の警察官が翻弄され、最終的に犯人の圧勝により、事件は迷宮入りします。この記事では、グリコ森永事件の真相と、犯人たちの真の目的についてご紹介していきましょう。

目次

脅迫文や挑戦状に振り回され続けた

Gloomy Mystical Style - Free photo on Pixabay (690323)

警察の失態は、連携ミスだけではありません。度々接触する犯人グループに振り回され続けた事も、警察が犯した大きなミスと言えるでしょう。犯人グループは、食品会社はもちろん、マスコミにも自ら度々接触し、情報を提供していました。その情報全てを鵜呑みにし、警察は振り回され続けたと言えます。

その状況は、まるで犯人グループに警察が操られ、動かされているようでした。多すぎる脅迫文、挑戦状にやっきになり、事件の本質や犯人グループの目的に着目できなかったことは、警察のミスと言えます。

不審を確認するも動かず

Barbed Wire Fence - Free photo on Pixabay (690355)

大きな組織というものは、指示系統が乱れた場合、現場を混乱させトラブル解決を遅らせることとなります。現場で動いていた警察官も、指示する本部に従ったことは間違いではありません。しかし、現場と現場から離れた本部には、認識の相違がありますし、的確な状況判断も難しくなるでしょう。

等事件は、現場にいた捜査員に任意同行や拘束などの権限が与えられませんでした。現場にいない本部の人間の判断に、委ねられ続けた事件です。1度目にキツネ目男性を取り逃がした際の失敗を踏まえ、決断を下せる人間を現場に置くべきだったと言えるでしょう。

臨機応変な対応ができなかったこと、日常的に発生する事件と、等事件を必要以上に分けて考えてしまった事が、警察のミスだと言えます。

メディアの問題

System Web News - Free image on Pixabay (690399)

事件が未解決に終わった場合、責められる対象は対応に当たった警察組織です。そのため、警察組織はミスを犯さないように、慎重に動かざるを得ません。しかし、等事件に限らず、事件が未解決に終わる背景には、マスコミやその情報に踊らされる一般人も無関係ではないのです。

ここからは、グリコ・森永事件でのメディアの問題点について、ご紹介してきましょう。

脅迫状を面白おかしく報道

People Woman Tv - Free photo on Pixabay (690638)

メディアは、多くの人々に興味を持たせるために、面白おかしく報道するという特徴を持っています。グリコ・森永事件では、報道協定を結んでいたものの、それらが解除された瞬間、こぞって脅迫状や電話の内容を報じ始めました。

不審人物の特徴などを報道すれば、情報提供などによって事件究明に役立ちます。しかしメディアは、犯人グループが名乗った「かい人21面相」「脅迫文」「文面の言い回し」などを、面白おかしく報じ始めました。メディアの目的は、事件解決ではなく、自分たちの利益だけだったのです。

曖昧な情報により現場を混乱させる

Coffee Cup Splash - Free photo on Pixabay (690642)

メディアは自分たちの利益だけの為に、面白おかしく事件を報道しただけではなく、曖昧な情報を報道し、現場や人々を混乱させました。「かい人21面相が逮捕された」という情報や、無関係の人間、組織をまるで犯人かのように報道したこともあります。

さらに、無関係であった食品への危機感や、恐怖心を過剰に煽るような報道も行いました。その結果、脅迫された食品会社だけではなく、全く無関係の食品会社の株かが下落するという事態も引き起こします。

劇場型犯罪の場を提供

Florida State University Theater - Free photo on Pixabay (690643)

当初、犯人グループはメディア1社のみに挑戦状ともとれる、犯行文書を送っていました。それらの反応が良かったことから、犯人グループは複数のメディアに文面を送るようになります。これが、等事件の状況をさらに悪化させたのです。

警察は、食品会社に届く脅迫状の他に、メディアに届く文書も参考にしなければならなくなりました。メディアは、警察の捜査力を分散させただけではなく、一般市民に面白おかしく情報を開示し、結果恐怖心を煽ることになります。

グリコ・森永事件が劇場型犯罪と呼ばれたのは、こういった理由からです。警察も市民も、犯人グループの用意したシナリオ通りに動かされ混乱させられました。この状況を提供したのが、メディアだったのです。

グリコ森永事件の終息

Checkmate Chess Resignation - Free photo on Pixabay (690684)

警察やメディア、一般市民を思い通りに動かし、翻弄し続けたグリコ・森永事件は突然終わりを告げます。それは、犯人逮捕という形ではありませんでした。

ここからは、グリコ・森永事件がどのようにして終息していったのかご紹介してきましょう。

1985年8月滋賀県警本部長の自殺

Fire Fireplace Flame - Free photo on Pixabay (690685)

ハウス食品脅迫事件で現金引き渡しの際、不審車両を取り逃がしたのは、滋賀県警察でした。車両を取り逃がしたことによって、滋賀県警察は大きなバッシングを受けます。1985年8月7日、滋賀県警本部長が責任を感じ焼身自殺をしました。

遺書などは残っていなかったものの、自殺した場所や現状によって、失態の責任をとった自殺だと結論付けられます。滋賀県警本部長の自殺が報道された数日後の8月12日、犯人グループは声明を発表しました。その内容は、「本部長への香典代わりとして食品会社への脅迫は止める」といったものです。

犯人側の終息宣言

Mic Microphone Sound Check - Free photo on Pixabay (690687)

前項でご紹介した犯人グループの声明どおり、食品会社への脅迫行為及び毒物混入は一切なくなりました。グリコ・森永事件は最後まで犯人グループ主導で進み、終息も一方的なものだったのです。

しかし、犯人グループの終息宣言で、捜査が終了したわけではありません。捜査員たちは、終息宣言後も懸命に捜査を続けました。公開した似顔絵や、人物の特徴、使用された車の特徴等から情報提供はあったものの、有力なものはなく犯人グループの誰一人逮捕することはできません。

1994年時効が成立

Police Station Shield - Free photo on Pixabay (690706)

江崎グリコ社長を誘拐した事件は、1994年時効を迎えます。時効が成立したことによって、グリコ・森永事件の捜査本部は、大幅に縮小されることとなりました。さらに、菓子に毒物が入れられ、東京や愛知県でばら撒かれた事件についても、時効が成立します。

2000年2月13日、グリコ・森永事件に関する28件全ての事案が公的時効を迎え、捜査は終了となりました。グリコ・森永事件には、130万人以上の警察官が捜査員として導入されたものの、犯人にたどりつくことなく終息します。

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