2019年10月6日 更新

グリコ・森永事件とは?犯人の目的や事件のその後・真相を考察!

グリコ森永事件と呼ばれる事件は、グリコやロッテ、その他の食品会社を標的にした大事件でした。全国の警察官が翻弄され、最終的に犯人の圧勝により、事件は迷宮入りします。この記事では、グリコ森永事件の真相と、犯人たちの真の目的についてご紹介していきましょう。

目次

現金の受け渡しは行われなかった

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江崎グリコと同じく、丸大食品も現金の受け渡しを失敗しています。つまり、犯人グループは一銭も手に入れていないということです。これだけでも不可解ですが、犯人グループはさらに不思議な行動を起こしました。

それが、マスコミに未遂で終わった現金受け渡しを公表したことです。丸大食品のキャッチコピーをもじって、自ら丸大食品への脅迫事件を公表しました。犯人グループの公表によって、世間は初めて丸大食品も脅迫されていたことを知ります。

グリコ森永事件の詳細【森永製菓】

Christmas Stollen Sweets - Free photo on Pixabay (687658)

丸大食品に対する脅迫行為は、どちらも未遂に終わりました。具体的な終息宣言もないまま、食品会社をターゲットにした脅迫事件は終わったかに思われました。

しかし、丸大食品への脅迫から数カ月たった後、再び脅迫事件が発生します。ターゲットにされたのは、前項の2社と同じく大手食品会社でした。ここからは、森永製菓をターゲットとした脅迫事件の詳細について、ご紹介していきます。

1984年9月脅迫状が届く

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丸大食品への脅迫事件から数カ月たった1984年9月12日、森永製菓に脅迫状が届きます。「グリコと同じめにあいたくなければ1億円だせ」という脅迫文が、森永製菓販売本部に送りつけられたのです。要求に応じなかった場合、森永製菓食品に青酸ソーダを混入させるという脅しまで記載されていました。

実際に大手食品会社2社の被害を目の当たりにしていた森永製菓社長は、役員たちと協議し、要求に応じる決断をします。脅迫文には、江崎グリコが6億円の支払いに応じているという文章も記載されていましたが、真偽は不明です。

江崎グリコの脅迫事件が急速に終息したことから、信ぴょう性が高いと考える専門家もいます。

現金の受け渡しに失敗

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9月18日、子供の声で現金の受け渡し場所が指定されます。子供の声で指定された場所に現金を運ぶと、再び場所が変更されました。変更された場所へ現金を運ぶも、犯人グループも、不審者も現れず、現金の受け渡しは他食品会社同様に失敗します。

この事件で場所を指定する子供の声は、10月11日に一般公開されました。事件に関する情報が公開されたものの、有力な情報は全くと言っていい程ありません。判別が難しい子供の声ということから、情報は集まりにくかったと考えられます。

1984年10月森永製菓の不審商品が発見される

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現金の受け渡し失敗から約1カ月経過した10月7~13日にかけて、大阪府や京都府、兵庫県のスーパーマーケットで不審な商品が発見されます。脅迫を受けた、森永製菓の食品です。店頭に並んでいた森永製菓の食品には、「どくいり」「かい人21面相」などと書かれた紙が貼られていました。

また、実際に食品を調べてみると青酸が混入されていたのです。青酸が混入した菓子は、全部で13個発見されました。一般人が購入できるスーパーマーケットに、実際に毒物を混入させた食品が並んでいたことから、世間はパニックを起こします。

百貨店に脅迫状が届く

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毒物が混入された食品が発見され始めた10月8日、百貨店に犯人グループから脅迫状が届きます。その内容は、森永製菓の商品を置かないようにという内容でした。百貨店に送られた脅迫状の中には、「さからった森永つぶししたる」という宣言まで記載されています。

最初に脅迫された江崎グリコ、2番目にターゲットにされた丸大食品共に、販売商品にたいする毒物混入はありませんでした。等事件で、森永製菓だけが実際に商品に毒物を入れられたことになります。

また、「逆らった森永を潰す」という文言から考えて、前項2社の食品会社は犯人グループが出した要求に、何かしら応えているのではないかと考えられます。

グリコ森永事件の詳細【ハウス食品】

Thai Curry Green - Free photo on Pixabay (688920)

犯人グループは、「森永製菓を潰す」という宣言をしていましたが、毒物入り菓子を置いた以外に、目立った行動は起こしませんでした。森永製菓が何かしらの裏取引に応じたため終息したのか、詳細は定かではありません。

脅迫事件は、さらに続きます。事件が続いていたことを考えると、犯人グループには何かしらの利益が発生していたものと考えられるでしょう。4番目のターゲットにされたのは、ハウス食品です。

1984年11月脅迫状が届く

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1984年11月1日、森永製菓副社長の自宅に、脅迫状が届きます。当時、森永製菓は大きな収益減が見込まれていたため、これ以上の落ち込みを防ぐため、犯人グループの要求に応えることを決定しました。

新聞に、了解を示す内容を掲載した翌日の11月7日、再び脅迫状が届きます。今度は、総務部部長の自宅です。脅迫状には、現金1億円を用意するようにという内容が記載されていました。11月9日、森永製菓は被害を最小限に抑えるべく、裏取引に応じる確認の電話を、犯人グループと行います。

現金の受け渡し指示に従う

Business Man - Free photo on Pixabay (688958)

11月14日、ハウス食品社員を装った捜査員は、犯人グループの指示通り現金を白いワゴン車に乗せ、運びました。指示された現金の受け渡し場所には、多くの捜査員が待機しています。現金の受け渡し場所は、丸大食品と同じく4回繰り返されました。

ハウス食品脅迫事件では、丸大食品脅迫事件といくつかの共通点が見られます。受け渡し場所の変更回数や、現場で確認された不審者など、複数の共通点があり、犯人グループは、内部で複数チームに分かれ、事件を起こしているのではないかとも考えられました。

不審者を発見する

Tunnel Flow Woman - Free photo on Pixabay (689000)

4回目に指示された現金受け渡し場所に向かうと、そこには丸大食品脅迫事件で目撃された、キツネ目の男性がいました。現場で待機していた複数人の捜査員が、キツネ目男性の存在を認識しています。しかし、今回も丸大食品脅迫事件と同じように、拘束することはせず動向を見守り続けました。

丸大食品脅迫事件の現場にいた男性と一致していたものの、職務質問や身柄の拘束を行わなかった理由は、現場の捜査員にそれらの権限が与えられていなかったからです。

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