2019年10月6日 更新

グリコ・森永事件とは?犯人の目的や事件のその後・真相を考察!

グリコ森永事件と呼ばれる事件は、グリコやロッテ、その他の食品会社を標的にした大事件でした。全国の警察官が翻弄され、最終的に犯人の圧勝により、事件は迷宮入りします。この記事では、グリコ森永事件の真相と、犯人たちの真の目的についてご紹介していきましょう。

目次

似顔絵が公開される

Buildings Car City - Free photo on Pixabay (689010)

ハウス食品では、キツネ目男性を再び取り逃がしたことの他に、警察のミスが発生しました。情報連携が取れていなかったため、不審車両を取り逃がす失態も犯していたのです。

ハウス食品の現金受け渡しも、他食品会社と同じく失敗に終わりました。11月19日、ハウス食品に再び脅迫状が届きます。脅迫状の中には、現在森永を相手にしているため、暇になったら連絡するなどと記載されていました。この文章が、終息宣言となります。

ハウス食品脅迫事件後警察は、取り逃がした不審車両に乗っていた男性の似顔絵を作成し、公開する処置を行いました。

グリコ森永事件の詳細【不二家】

Strawberry Tart Cake - Free photo on Pixabay (689023)

現金の受け渡しがことごとく未遂に終わる中、犯人グループはさらに犯行を繰り返します。5番目のターゲットとなったのは、不二家でした。

ハウス食品の脅迫文に記載されていた「現在は森永を相手にしている」という文言の意味は、不二家がターゲットに設定される数日前に、再び森永製菓へ脅迫行為を行っていたことを意味しています。

1984年12月脅迫状が届く

Typewriter Old Alphabet - Free photo on Pixabay (689024)

1984年11月18日、森永製菓に再び脅迫状が届きました。森永製菓は、脅迫状に書かれていた2億円の要求をのむことを決定し、指定通り広告に返信を載せます。翌日には、森永製菓関連会社へも脅迫状が送られてきました。

一連の様子を憂いた作家の川内康範は、実費で1億2,000万円を支払うため、食品会社への脅迫行為を止めて欲しいと訴えます。しかし、この提案にたいして犯人グループは、明確に断りの返事を出しました。森永製菓が度々脅迫されていた12月7日、不二家にも脅迫状が届きます。

内容は、金銭要求と応じなかった場合、食品に毒物を混入させるといった同様の内容でした。異なる点は、現金の受け渡し方法です。屋上から現金2,000万円をばら撒けという、目的がわからない内容でした。

アマチュア無線家によって傍受録音される

Radio Vintage Listen - Free photo on Pixabay (689129)

不二家への脅迫直前、森永製菓を再び脅迫している最中、犯人グループと思われる男性たちのやり取りがアマチュア無線家によって傍受されます。傍受された内容は、不二家が要求に応じないという事、薬は用意できたかなどでした。

これらのやり取りを行っていたのは「21面相」と名乗る人物と「玉三郎」と名乗る人物です。やり取りは、アマチュア無線家によって録音され、警察に提出されます。やり取りに関しては、一部マスコミにも公開されました。

青酸入り菓子ばら撒き

Chocolates Chocolate Confiserie - Free photo on Pixabay (689135)

1985年2月13日、東京と愛知県で不審な食品が発見されます。発見されたチョコレートには、「どくいり」「きけん」というラベルが貼られていました。成分を調べたところ、チョコレートの中には青酸が含まれており、食品会社脅迫に関連するものだと発覚します。

この時、青酸を混入されたのは、森永製菓、グリコ、不二家に加えて、これまで事件とは無関係と思われていた明治製菓やロッテです。青酸が混入していないチョコレートには、「どくなし」「あんしん」というラベルが添付されていました。

グリコ森永事件の詳細【駿河屋】

Japanese Sweets Sweet - Free photo on Pixabay (689138)

グリコ・森永事件の最後のターゲットとなった食品店は、駿河屋です。古い歴史を持っている老舗店ではありましたが、これまで脅迫された食品会社とはテイストの違う食品店であり、等事件の混乱を招きます。

ここからは、駿河屋をターゲットとした事件の詳細について、ご紹介してきましょう。

1985年2月マスコミへ休戦状が届く

Shoes Pack Holidays - Free photo on Pixabay (689149)

青酸を混入させた菓子がばら撒かれた数日後の1985年2月24日、マスコミに休戦状が届きます。内容は、「森永ゆるしたろ」といったものでした。また、この頃証券界では「かい人21面相が逮捕された」という噂が出回り、森永製菓やグリコなど株価を下げていた食品会社の株が異常に高くなります。

休戦状の内容通り、その後森永製菓への脅迫行為は一切なくなりました。こういった事情も相まって、犯人グループが逮捕されたという噂が独り歩きしたと考えられましたが、事件はそれほど単純でもありませんでした。

駿河屋に脅迫状が届く

Shutters Architecture Window - Free photo on Pixabay (689154)

森永製菓への脅迫行為はおさまったものの、食品会社への脅迫は続きました。3月6日に脅迫状が送られたのは、駿河屋という和菓子店です。脅迫状には、5,000万円の要求が記載されていました。

脅迫状が届いてから2日後の3月8日、犯人グループから突然、取引延期の連絡が入ります。取引延期の理由は、警察がうるさいといった内容でした。この連絡を最後に、犯人グループの脅迫行為が終息します。難を逃れた駿河屋でしたが、のちに資金の悪化により閉店しました。

警察の失態

Blue Light Siren Ambulance - Free image on Pixabay (689161)

グリコ・森永事件は、犯人グループが度々接触をはかり、現場にも現れていたことから、すぐに解決する事件と考えられました。しかし、全国の警察官が集結したにも関わらず、犯人は誰一人逮捕されることなく、事件は未解決のまま時効を迎えます。

その理由は様々ありますが、警察の犯した数々のミスも大きく関係しているでしょう。ここからは、グリコ・森永事件で警察が犯した失態について、詳細にご紹介していきます。

警察内部での足の引っ張り合い

Adult Authority Armed - Free photo on Pixabay (690284)

グリコ・森永事件は、全国の警察官が協力して捜査に当たった、警察庁広域重要指定事件でした。しかし、複数人の捜査員が犯人グループメンバーを見つけたにも関わらず、取り逃がすという失態をしています。その理由は、情報などの連携が不十分だったからです。

作戦を指示する捜査本部、現場の捜査官、県をまたいだ捜査時の連携など、お互いに足を引っ張り合ったと言わざるを得ない状況が多数発生しました。現場や他県の警察官に捜査の権限を一部与えないなど、事件解決とは程遠い対応をしたことも、事件が未解決となった要因でしょう。

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