2019年10月6日 更新

グリコ・森永事件とは?犯人の目的や事件のその後・真相を考察!

グリコ森永事件と呼ばれる事件は、グリコやロッテ、その他の食品会社を標的にした大事件でした。全国の警察官が翻弄され、最終的に犯人の圧勝により、事件は迷宮入りします。この記事では、グリコ森永事件の真相と、犯人たちの真の目的についてご紹介していきましょう。

目次

大正2年に創業され、平成25年に設立されたのが、ハウス食品株式会社です。「創業」とは、商売を始めた時期を示し、「設立」は、会社組織として登記を行い、法人となった時期を意味しています。

ハウス食品株式会社は、主にレトルト食品や調理を簡単にする調味料の製造販売を行っている会社です。菓子や、菓子を作る際に使用する補助食品も販売しています。現在は上記で紹介した商品の他に、介護食や栄養補助食品、水分補給食などの分野でも活躍する企業です。

株式会社不二家

Eclair Strawberry Cake - Free photo on Pixabay (687563)

「ペコちゃん」と呼ばれる女児のキャラクターで知られる株式会社不二家も、グリコ・森永事件のターゲットにされた企業です。株式会社不二家は、森永製菓株式会社と同じ年の明治43年に創業されました。グリコ・森永事件発生時は主に、アイスクリームや菓子製造販売を行っています。

グリコ・森永事件後も、稼働し続けている会社です。現在は、創業当初から行っていた菓子の製造販売以外にも、健康や味にこだわった不二家レストランという、飲食産業にも力を入れています。

駿河屋

Hinamatsuri Doll Festival Kusa餅 - Free photo on Pixabay (687625)

グリコ・森永事件のターゲットとされた食品会社の中で、最も古い時期に創立したのが駿河屋(するがや)です。駿河屋は、寛正2年に創立され、煉羊羹(ねりようかん)発祥の店としても知られています。

グリコ・森永事件の被害者の中で、唯一廃業した食品店です。廃業した主な理由は、グリコ・森永事件ではありません。バブルの崩壊によって、資金繰りが上手くいかず、他企業の融資を受けても回復できなかったためだと言われています。

破産手続きの後、著名活動や企業の手助けを受け、2015年から株式会社総本家駿河屋として、営業を再開しました。

グリコ森永事件の詳細【江崎グリコ】

Macaroons Dessert Sweets - Free photo on Pixabay (687656)

グリコ・森永事件では、多くの食品会社がターゲットとなり、大きな被害をこうむりました。倒産の主な理由ではなかったものの、老舗和菓子店駿河屋の倒産にも、等事件は影響を与えたと言えるでしょう。

犯人グループは少人数であるというのが警察の見解であり、それにも関わらずメディアや一般市民を巧みに操作した事件内容から、劇場型犯罪とも言われました。しかし、「劇場型犯罪」という見解が間違いで、その認識によって事件は未解決になったという警察のミスを指摘する声もあります。

ここからは、グリコ・森永事件の詳細について、ターゲットとなった会社別にご紹介していきましょう。犯人たちの目的について、考察しながら読み進めてみてください。

1984年3月社長誘拐

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1984年3月18日の夜、兵庫県西宮市の民家が2人の男によって押し入られます。その民家は、江崎グリコ社長江崎勝久の実母宅でした。実母宅に侵入した2人の男は、実母を縛り上げ社長宅の合鍵を入手します。実母宅から合鍵を入手した直後、隣家の社長宅へ侵入し、家の中に居た社長夫人と長女を拘束しました。

続いて、長男と次女と共に入浴中だった江崎グリコ社長江崎勝久を銃で脅しながら、衣服を身につけていない状態で誘拐します。自力で拘束を解いた社長夫人は、警察へ通報し状況を説明しました。

身代金の要求

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江崎グリコ社長が誘拐された翌日の3月19日、社長を誘拐した犯人と思われる男性から電話がかかってきます。電話がかかってきたのは、誘拐した社長宅ではなく、江崎グリコ取締役の自宅でした。電話の内容は身代金の要求ではなく、指定場所に来いといった内容です。

江崎グリコ取締役が、電話で指示された場所に出向くと、そこには脅迫状が置かれていました。社長の身代金として、現金10億円と金塊100kgです。金塊は現在の価値に換算すると、約5億5,000万円程度になります。

社長が保護される

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脅迫状が置かれていた時点で、誘拐された社長宅が兵庫県、電話のあった取締役の自宅が大阪府であったことから、兵庫県警察と大阪府警察の合同捜査となりました。江崎グリコ株式会社は身代金及び金塊を用意したのち、指定された場所に出向きますが、犯人たちは現れませんでした。

現金10億円は、高さが9.5メートル以上にもなり、重量は130kgを超えます。さらに、金塊100kgを運ぶとなると、取引の危うさは誰が考えても明らかでしょう。犯人グループは初めから、要求した身代金及び金塊を受け取るつもりがなかったと考えられます。

取引は不成立に終わり、社長の安否が気遣われました。社長夫人やその家族は、犯人グループに「金はいくらでも用意する」と提案しますが、犯人グループはそれらの提案を拒否し続けます。
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こういったやり取りや、身代金の不自然な要求などから、金銭目的の誘拐ではなく怨恨による誘拐なのではないかと考えられるようになりました。身代金の要求がないまま、事件は暗礁に乗り上げるかに思われましたが、事件発生から3日後の3月21日、江崎グリコ社長江崎勝久が保護されます。

保母された場所は大阪貨物ターミナル駅構内です。保護された江崎勝久の主張によると、監禁場所の倉庫から自力で脱出し、駅構内まで歩いたとのことでした。保護された江崎勝久は、誘拐当時とは違い衣服を身に着けた状態で、発見されます。

黒いオーバーと濡れたズボンという衣服を身にまとい、右手首から拘束に使用されていたと思われるロープを垂らした状態でした。靴は履いておらず、右頬に傷はあったものの大きな外傷はなかったということです。

1984年4月脅迫状が届く

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誘拐され無事保護された江崎グリコ社長は、保護された翌日の3月22日、自宅で役員会を開きます。役員会で江崎グリコ社長は、社長の自分にとって不名誉な内容だったとしても、事件に関する情報があれば正直に警察に話してほしいと伝えました。

役員会から数日たった4月2日、江崎グリコ本社に脅迫状が届きます。脅迫状には、6,000万円の要求と、新聞の広告で要求への回答を掲載しろという内容が書かれていたのです。強迫内容に応じなかった場合、江崎グリコの製造場所を爆破するとも記載されていました。

また、脅迫状には塩酸が入った目薬容器と、「写真をばらす」という脅し文句も記載され、さらに誘拐当時の社長の声が吹き込まれたテープも同封されています。これらの状況から、社長を誘拐した犯人と同一人物による犯行だと結論付けられました。

マスコミに手紙が届く

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江崎グリコ本社に届いた脅迫について、社長は捜査本部と相談した結果、「応じない」という決断を下します。応じないという決断を下してから数日たった4月10日、江崎グリコ本社の試作室から出火し、更衣室へ燃え移りながら、約150㎡を燃やす火災が発生しました。

同じ頃、3kmほど離れたグリコ栄養食品も火災が発生し、どちらも放火であったことが発覚します。放火事件の後、グリコ本社や社長宅に、「覚悟しろ」「思い知ったやろ」等の脅迫電話がかかってきました。事件を重くみた警察は、4月12日をもって「警察庁広域重要指定事件」に指定します。

放火事件

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その後も頻繁に脅迫電話があったものの、会社側は毅然とした態度を続けました。それらの対応に不満を持ったのか、犯人グループは、次の行動に移ります。それが、マスコミへの手紙です。手紙の内容は、放火は自分たちの仕業であること、警察を批判するような内容でした。

マスコミに送ったこの脅迫状内で、犯人グループは初めて「かい人21面相」と名乗ります。脅迫状には、「隠し事をするな」といった内容も記載されていましたが、後日江崎グリコ社長は会見を開き、「隠し事等は一切ない」と発言しました。

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