2019年10月6日 更新

グリコ・森永事件とは?犯人の目的や事件のその後・真相を考察!

グリコ森永事件と呼ばれる事件は、グリコやロッテ、その他の食品会社を標的にした大事件でした。全国の警察官が翻弄され、最終的に犯人の圧勝により、事件は迷宮入りします。この記事では、グリコ森永事件の真相と、犯人たちの真の目的についてご紹介していきましょう。

目次

1億2,000万円の脅迫状が届く

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マスコミに手紙が届いた同時刻、江崎グリコ常勤監視役の自宅にも脅迫状が届きます。脅迫状には、豊中市上津島のレストランに現金1億2,000万円を持ってこいという内容でした。また、現金の運び役としてグリコ本社の運転手を指定しています。

取引当日、取引場所には多くの警察官が待機していたものの、犯人からの接触はなくここでも現金の受け渡しは不成立となりました。この時、江崎グリコ常勤監視役の自宅に、女性の声で取引に関する内容の電話が入ります。

犯行グループは、江崎グリコ社長を誘拐した男性3人と、今回の脅迫で電話をしてきた女性1人だという事が判明しました。

3億円の脅迫状が届く

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1984年5月31日、再び江崎グリコに脅迫状が届きます。内容は、現金3億円を用意する事、それらの現金を白色のカローラに乗せ指定の駐車場に置くことなどが記載されていました。要求どおり、現金を乗せた車を停止させ、それらを監視していると1人の男性が乗り込み車を走らせます。

警察は、車を停車させ、事件との関連を捜査しましたが、男性は犯人から脅されていただけであり、事件とは無関係だったことが判明しました。

不審車両を発見する

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犯人に脅されていた男性が、車を持ってくるように指示された場所に警察車両が向かうと、そこには突然走り去ろうとする不審な1台の車がありました。事件との関連性を感じた警察官たちは、走り去ろうとする車両を追いかけます。

しかし、国道の交差点で車両を見失ってしまい、事件は再び振り出しに戻りました。現代のように、いたる場所に監視カメラが設置されていなかったため、後日車両を洗い出すこともできなかったと考えられます。

マスコミへ挑戦状が届く

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グリコ・森永事件の犯人グループは、マスコミに度々挑戦的な文章を送っていました。始めはマスコミ1社に宛てたものでしたが、次第に挑戦状を送るあて先が増えていきます。マスコミへ送られた手紙の内容には、江崎グリコの食品に「せいさんソーダ」を入れたといった内容や、挑発的な文章などが記載されていました。

青酸ソーダは古くから猛毒として知られていますが、実はそれほど毒殺に向いていない薬物です。分解されやすい成分のため、空気中や食品に含まれる物質と反応を起こし、無害になってしまう可能性が高い薬物となります。こういった事情は、世間一般では知られていないため、日本中が怯えることとなりました。

江崎グリコ商品を取り扱っていた百貨店やスーパーは、一斉に商品を撤去し始めます。

寝屋川市アベック襲撃事件

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江崎グリコ脅迫事件が多発していた1984年6月2日、寝屋川市でデートしていた男性とその彼女が男性3人に襲われます。元自衛官であった男性は加害者たちに抵抗したのの、3対1という圧倒的不利な状況によって、激しい暴力を受け続けました。暴行された男性とその彼女は、車に乗せられ拉致されます。

暴行された男性の彼女は、加害者男性の車に乗せられ、男性は自身の車を運転するように命じられました。そして、指定されたレストランの駐車場まで行き、置かれた白いカローラを指定場所まで運転してくるように指示されます。この男性が、前項でご紹介した、現金の積まれた車に乗り込んだ無関係の男性です。

男性は、現金を積んだ車を見張っていた警察官によって身柄を取り押さえられましたが、誤解はすぐに解け釈放されました。また、犯人グループの車に乗せられていた女性は、拉致されてから約1時間後、解放されます。犯人たちは、タクシー代として、女性に2,000円手渡しました。

終息宣言

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江崎グリコや職員の自宅に脅迫を行っていた犯人グループは、1984年6月26日突然の終息宣言を行います。「グリコ狙うのもうやめたる」という内容の手紙を報道機関に送りつけました。突然の終息宣言だったことから、江崎グリコと犯人グループが裏取引を行ったのではないかという噂がたちます。

犯人グループの終息宣言の直後、江崎グリコは減らしていたCMや菓子の販売を再開し、百貨店やスーパーなども販売を再開しました。江崎グリコと犯人グループの裏取引がなかったと考えた場合、犯人グループは1円も奪っていないことになり、目的や真相をさらにわからなくさせます。

グリコ森永事件の詳細【丸大食品】

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江崎グリコ株式会社をターゲットとして脅迫事件は、犯人グループの目的や事件の真相がつかめないまま、犯人たちの一方的な宣言によって終息します。しかし、終息と同時期に次のターゲットが設定されていました。

次のターゲットとなったのが、丸大食品です。ここからは、丸大食品をターゲットとした事件の詳細について、ご紹介していきましょう。

1984年6月5,000万円の脅迫状が届く

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「グリコを狙うのはやめる」と宣言される4日前の1984年6月22日、丸大食品に脅迫状が届きました。内容は、自分たちが江崎グリコ脅迫事件の首謀者である事、そしてグリコと同じ目にあいたくなければ、5,000万円を用意しろといった内容です。

丸大食品は事態を重く捉え、犯人グループの指示通り新聞広告に了承の合図を掲載しました。その後、6月28日に取引日が設定され、現金を当日までに用意します。脅迫文には、「警察に知らせるな」という文言も記載されていましたが、その内容については応じなかったようです。

不審者を発見

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用意した5,000万円は、丸大食品社員を装った警察官が運びました。犯人グループの指示に従い、指定された場所へ電車を乗り継いでいきます。

電車内には、現金運搬役を見守る他捜査員も同乗していました。その電車内で、捜査員は不審人物を発見します。現金運搬者をしきりに気にするキツネ目の男性です。この男性が、のちに犯人グループの1人として似顔絵が公開された人物になります。

不審者を確認していたものの、捜査員はキツネ目男性を拘束することはありませんでした。犯人グループを一網打尽にしようと考えていたからです。その後、捜査員複数名が監視していたにも関わらず、キツネ目男性を見失ってしまいます。

再び脅迫状が届く

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6月28日に行われた現金の受け渡しは、最終的に未遂で終わります。それから数日たった7月3日、丸大食品に再び脅迫状が届きました。現金の受け渡し日は、7月6日に設定され、子供の声で受け渡し場所が指示されます。

2度目の要求は、複数回取引場所が変更されました。前回、キツネ目男性を目撃されたため、警戒心が高まっているのではないかと考えられます。最終的に指定された場所に現金を入れたカバンを置いたものの、犯人は現れず、不審者も発見できませんでした。

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