2019年10月24日 更新

【附属池田小事件】逃げた教師岩崎真季と犯人宅間守の現在は?

平成を代表する事件のひとつ附属池田小事件。この事件には、逃げた教師言われた岩崎真季という女性の存在やトイレで助かった生徒など多くの事実があります。この記事では様々な角度から事件を振り返り事件後の遺族や被害者のことや、犯人の現在についても説明していきます。

目次

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家族との関係は、宅間の人格形成に大きく影響したと言われています。一体どのような家庭環境だったのでしょうか。事件後の家族への影響についても併せて解説します。

厳格な父親

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宅間の家系は薩摩藩の下級武士で、その家系を誇りにしており宅間家の男子にも代々受け継がれ、法律や警察関係の仕事に従事する者が多かったと言います。

宅間の父親は小学校で学歴を終え、宅間家一家の大黒柱として6人の家族を養ってきましたが、警察官だった父親(宅間守の祖父)と幼い頃から自宅の庭で木刀を打ち合っていたといい、「自分は薩摩武士だ」との強烈なプライドを生涯持ち続けている人物でした。

宅間家の男子にあるべき姿にも強い持論を持ち、息子である宅間自身も『真のサムライたれ』と教育され、父親に厳しくそれを仕込まれたと言います。宅間曰く、「父親は極めて平凡な頑固親父」で、人生の勝利者にはなり得なかったが自分の人生にプライドを持っていたと言っています。

父親の激しい暴力

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宅間の父親は、家族全員に対して激しい暴力をふるっており、宅間自身も父親が自分には厳しく接していたと証言しています。宅間は暴力をふるう父親を憎悪し、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともあると述懐しているほどです。

宅間が自衛隊を退職して非行に走るようになると親子関係はさらに悪化し、取っ組み合いをして父親が宅間を何度も石で殴打する出来事もありました。事件後、父親は宅間のことを「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」と評しています。

母親はネグレクト状態

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厳格だった父親とは対照的なのが母親でした。宅間の母親は、家事・育児が苦手で、家事のほとんどは父親が担当し、一種のネグレクト状態であったと言えます。

宅間を身ごもった時も父親に「これはあかん」「おろしたい」と語っており、母乳をあげることも嫌がっていました。さらに、宅間が中学を受験する際には、「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせられたと、事件後に宅間のマンションから押収されたノートに書かれていました。

兄の自殺

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宅間には実兄が一人いましたが、数々のトラブルを引き起こし破綻した実弟の存在に心を病み、小刀で頸動脈を斬って、1999年、実兄が40代前半のときに自殺しています。

実兄の存在について多くは語られていませんが、弟の宅間とは対照的な性格だったのではないかと言われています。自殺の理由も起業に失敗してと言われていますが真相は不明です。

事件後の両親は?

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宅間は両親に対して、けんかをした際に「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる」「死ぬまで苦しめてやる」と語っていました。結果として言葉通り、彼は両親を苦しめる形となったのです。

宅間の母親は長期に渡って心を病み、長らく精神病院に入院し、2016年末に死去しています。父親は事件後酒乱となり入院していますが、獄中の発言として「宮崎勤の父のように自殺して欲しかった」と語っています。

学校側の対応不足も指摘される

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この事件では、学校の侵入者に対する対応への問題や、事件当日に教員たちがとった行動にも焦点が当てられました。安全であるはずの学校内で起こったこの惨劇をきっかけに、学校における安全対策について議論が起きることになります。

不審者への対応が出来ていなかった

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当時、1999年に京都市で発生した小学生殺害事件の後、当時の文部省は「安全管理に関する通知」を出しましたが、附属学校を設置管理する大阪教育大学では、学校の安全措置の状況を把握していませんでした。通知に関して、教員に一度口頭で伝えたに留まり、それ以外の格別の対応をとっていなかったのです。

事件当日も不審者に対し教員による対応が不十分だった事が、結果被害児童の救助の遅れ、犯人逮捕の遅れに繋がっています。校内に侵入した宅間とすれ違った教員が、何の行動もとらなかった事からも問題がうかがえます。

取り押さえてからの対応が出来ていなかった

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宅間を取り押さえてから警察による逮捕までの間、学校側の状況把握が行われず、管理職や主任達は混乱の中で事件の全容を掴めず、児童に対する組織的な避難誘導、救命活動、搬送処置等ができなかったとされています。

死亡した8名の児童は即死ではなく、20分前後も放置されてしまったことにより、救命活動の遅れが死因に直結する失血死により命を失ったのです。

救急車に教員が付き添わなかった

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