2019年10月24日 更新

【附属池田小事件】逃げた教師岩崎真季と犯人宅間守の現在は?

平成を代表する事件のひとつ附属池田小事件。この事件には、逃げた教師言われた岩崎真季という女性の存在やトイレで助かった生徒など多くの事実があります。この記事では様々な角度から事件を振り返り事件後の遺族や被害者のことや、犯人の現在についても説明していきます。

目次

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犯人である宅間守は2003年に死刑判決を受け、その後刑が確定しました。この一連の裁判はどのようにして進み、どのようにして死刑が確定していったのでしょうか。当時の裁判の様子について振り返ります。

2003年に死刑判決

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初公判では「下関事件の模倣犯になりたかった」「命をもって償います」と反省・謝罪の弁を口にします。しかし反省の弁を述べたのも最初だけで、その後は公判中に暴言を吐いたり、あくびや貧乏揺すり、遺族や裁判長らを睨みつけたりする行為を行い傍聴者の批判を浴びる事になりました。

2003年8月28日に求刑通り死刑判決を受けます。その後、9月10日に弁護側が控訴するも、宅間自身が控訴を棄却、9月26日に死刑が確定しました。

宅間守の裁判での様子

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公判中の宅間は不適切な発言が多く、犯した行為への反省は感じられませんでした。「遺族の証人尋問なんか検察のパフォーマンスだ」との発言は、事件内容から死刑判決が出る可能性が高かった宅間からすれば「わざわざ裁判で遺族を証人尋問するのは検察がパフォーマンスとして見せたいだけだ」と感じたのです。

また「幼稚園ならもっと殺せたって今になってそんな事ばっかり考えている」「ダンプにすればもっとたくさん殺せたのに」「8人を殺すのに10分かかってないのに自分1人を死刑にするのに2年近くかかってるなんてご丁寧なことだ」と発言し、退廷処分を受けています。

それ以外にも、「1,2人より8人殺して死刑の方がまし」「捕まって、自分が死ぬかもしれないと思った時にどうすれば回避できるか考えた」「人生とはしんどい事の繰り返しである」など、尋常とは思えない発言を裁判中に繰り返しました。

傍聴には特別措置が施される

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世間からの注目を多く浴びたこの事件には、傍聴希望者も多く、2001年の初公判では1,320名、2003年の判決公判時は2,107名と数多く集まりました。

この判決公判では傍聴希望者が多かったことから、特別措置として法廷にテレビカメラを設置し、別室に設けたテレビモニターで傍聴することができました。宅間の公判中の態度に傍聴席からは「早く死ね」「一人で死ね」などの怒号が飛び交っていたそうです。

宅間守の現在

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事件から3年後の2004年、死刑判決から早期のタイミングで刑が執行されました。宅間本人も早期の執行を望んだと言われています。判決後から死刑執行までの経緯や、獄中での宅間の様子について解説します。

死刑確定後は処刑を望んでいた

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宅間は、死刑が6ヶ月以内に執行されないと精神的苦痛を理由とする国家賠償請求訴訟や、法務大臣に対する刑事告訴を起こす準備をしていたが実際告訴は行われることはありませんでした。

また担当弁護士に届いた2004年の年賀状には「ケジメをつけるためにご協力お願いします」としたためており、宅間は一刻も早い処刑を望んでいたと言われています。

2004年、タレントとしても有名だったある弁護士は「速やかに死刑にすべき」という異例の寄稿を週刊誌で発表。その後、宅間から弁護人を通じ早期の死刑実現にへの援助を依頼する手紙が届きましたが、結局協力はしませんでした。

死刑廃止運動家と獄中結婚

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獄中での生活を送る中でも外部との接触がゼロでは無かった宅間は、何人かの女性と文通などを通じ連絡を取っており、死刑廃止運動家の女性と文通を経て獄中結婚をしました。晩年は宅間自身の姓を女性の姓に改名しています。

このほか、愛知県出身の既婚女性から告白を受けており、その女性とも文通を行っていました。最初は愛情や支援に対して頑なに心を閉ざしていた宅間でしたが、自分に対する理解者が現れるに連れて、少しずつ彼女に対して心を開いていきました。

実際に結婚した女性はクリスチャンで博愛主義者、「自分が宅間さんを何とかしたい」という気持ちから結婚したそうです。宅間の死刑執行後「私の力足らずで彼を最後まで説得できず謝らせることができませんでした…」との発言が残っています。

2004年死刑執行

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2004年9月14日8時16分、大阪拘置所で死刑が執行。結果的には宅間が望んだ通りの早期執行となりました。当日の朝食は摂取することが許されませんが、宅間は執行直前に刑務官から受け取った煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから、拘置所の奥へ消えていったといいます。40歳での死刑執行でした。

宅間が最期に残し、死刑執行後に刑務官から妻に「『ありがとう、と僕が言っていた』と、妻に伝えてください」と伝えられました。妻に対し感謝の気持ちを表すまでには至ったものの、事件によって犠牲になった被害者の児童やその遺族への謝罪は最期まで一切なかったとされています。

加害者宅間守の生い立ちや人物像

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最終的には死刑という結果で人生を終えた宅間守。惨劇の主人公に至るまでの生い立ちに様々な要因を感じることができます。幼少時代のイジメから数々の問題行動、転職を繰り返す、15回もの逮捕歴など宅間の40年を振り返ります。

いじめっ子・いじめられっ子の幼少期

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