2019年7月16日 更新

冤罪事件で死刑が執行された事例は?日本の冤罪時の賠償額・補償額も

冤罪にもかかわらず死刑を執行された事例は残念ながら存在しているのが実情です。日本で起きた冤罪事件を中心に、事件の概要や冤罪が認められた場合の賠償金・補償金を見ていきましょう。また、死刑が執行された件数を国別にご紹介していきます。

目次

冤罪により死刑にされた人々は存在する

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飯塚事件のように冤罪で死刑にされた人もいれば北関東連続幼女誘拐殺人事件の一つである足利事件のように冤罪が認められた人もいます。

冤罪事件の概要や冤罪が認められた時の賠償金・補償金などについて見ていきましょう。日本に限らず世界でも冤罪事件は起きています。

本当の犯人ではない人や家族の人生を奪うことになるので絶対に冤罪は許されません。

冤罪で死刑にされてしまった事例「飯塚事件」

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冤罪の疑いがあると言われている事件に「飯塚事件」があります。1992年に福岡県で発生した事件の概要を詳しく見ていきましょう。

1992年2月20日に発生

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事件は1992年2月20日に福岡県飯塚市で発生しました。小学1年生の女児が登校中に行方不明となり後に遺体で発見されます。

警察は女児と同じ地域に住む久間三千年を重要参考人として捜査を続け、事件から2年後に逮捕をしました。2008年に死刑が執行されましたが目撃証言や発見された証拠では警察のねつ造が疑われています。

久間三千年は刑が執行されるまで無罪を訴え続けていて現在も妻が最高裁に特別上告をしているところです。

当時7歳の女児が2名行方不明

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行方不明になったのは同じ小学校に通う小学1年生で当時7歳の女児2人です。登校中に行方が分からなくなり後に遺体で発見されました。

遺体はど道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されていて洋服は着ていたものの下半身は露出していました。遺体発見の翌日に別の場所でランドセルや靴下が発見され、被害者が着用していたジャンパーには血が付着し鼻血を出していました。

2人も膣内に指が挿入されたであろうことが判明しました。

21日女児2名の遺体を発見

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行方不明となった翌日の0時10分頃、飯塚市の隣にある当時の甘木市で2人の遺体が発見されます。遺体を見つけたのは自動車を運転していた団体職員の男性で小用を足すために車から降りた際、崖下にマネキンのようなものがあるのに気づき警察に通報しました。

駆け付けた捜査員が道路から10メートル下の雑木林で遺体を見つけます。性的暴行を受けた後があり、死因は頸椎圧迫による窒息死でした。

同日中に両親が顔を確認し遺体は女児2人であると発表されました。

9月23日死体遺棄の容疑で犯人逮捕

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被害者と同じ校区に住む久間三千年は事件から5日後に事情聴取を受けています。1992年の3月20日には重要参考人として取り調べを受け、毛髪や指紋を提出しました。

検査では犯人と久間のDNAがほぼ一致するという結果が出ましたが逮捕には至りませんでした。しかし事件から2年後の1994年9月23日、死体遺棄容疑で逮捕され10月14日には殺人などで再逮捕されます。

逮捕された理由は久間三千年の車の座席シートと女児の衣服についていた繊維片が一致したためでした。

目撃証言について

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犯人が乗っていたのは紺色の後輪ダブルタイヤのワゴン車で、窓に色付きフィルムが貼ってあるという目撃証言がありました。

久間が同じ特徴の車を所有していたことが証拠とされています。久間以外にも9名が目撃証言と同様の車を所有していましたがアリバイがありました。

しかし目撃証言は走行中の車からであり、犯人の車の横を通り過ぎる一瞬で後輪がダブルタイヤだとわかるのかは謎です。また、目撃証言は日を増すごとに具体的に述べられるようになり警察が証言を誘導したのではないかと言われています。

物的証拠について

Dna Microscopic Cell - Free image on Pixabay (485154)

車の座席から血痕や人尿痕が検出されたことや被害者の膣内から検出された血痕と久間のDNA型が一致したことが証拠となりました。

当時行われたのはMCT118鑑定というもので冤罪が証明された足利事件でも用いられた鑑定方法です。当時はDNA鑑定が導入されたばかりで信用性に欠けることやMCT118鑑定自体に問題点が多いことからDNAが本当に一致したのか疑わしい状況でした。

車から血痕が検出されたのがなぜか事件の1年半後であることも不可解で、警察が証拠をねつ造した可能性が高いと言われています。

アリバイについて

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アリバイを裏付ける証拠はありませんでした。久間は当時年金で生活をしていて専業主夫であったため妻を職場へ送るのが日課となっていました。

事件当日は妻を職場へ送った後に一度自宅へ戻ってから実母宅へ向かったと証言していましたが、後に自宅へは戻らず直接実母宅へ向かったと証言を変えていて供述が信用できないと判示されました。

久間の妻の供述も捜査時と公判時では内容が異なるため信用できないと判示されています。

2008年10月28日死刑執行が行われる

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