2019年7月16日 更新

冤罪事件で死刑が執行された事例は?日本の冤罪時の賠償額・補償額も

冤罪にもかかわらず死刑を執行された事例は残念ながら存在しているのが実情です。日本で起きた冤罪事件を中心に、事件の概要や冤罪が認められた場合の賠償金・補償金を見ていきましょう。また、死刑が執行された件数を国別にご紹介していきます。

目次

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2009年6月に刑の執行を停止する手続きが取られて無事に釈放されました。菅家さんが釈放された後も元刑事部長が「まだ菅家さんが犯人だと信じている」と語り本人の運営するブログが炎上しています。

2009年10月5日に初めて検察側が正式に謝罪をしました。釈放された後に開かれた会見で菅家さんは当時の取り調べの状況について説明しています。

「お前がやったんだ」と繰り返し言われたことや殴る蹴るなどの暴行を受けたことが語られました。

真犯人は現在も捕まっていない

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真犯人は現在も捕まっていませんが目撃証言からルパン似の男であることがわかっていて、日本テレビ記者の清水潔氏が真犯人を突き止めているとされる情報があります。

清水潔氏は菅家さんが冤罪ではないかと疑い長年DNA再鑑定を求めていた人物で、独自に調査を進めて真犯人にたどり着きました。

実際にDNA鑑定も犯人のものと一致する結果が出ていますが警察は逮捕をしていません。警察よりも先に真犯人にたどり着かれたことで、犯人を逮捕すればメンツが潰れることになると恐れていているからだとされています。

冤罪と囁かれている「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」

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「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」も冤罪ではないかと囁かれている事件です。犯人とされた宮崎勤に反省した態度がまったく見られなかったため社会では大きな話題となりました。事件の概要を詳しく見ていきましょう。

1988年8月に4歳の女児が誘拐・殺害される

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1988年8月22日に当時4歳だった女児に「涼しいところに行かないかい?」と声をかけて車で連れ去りました。翌年2月に女児の遺骨を入れた段ボール箱を自宅前に置き、朝日新聞東京本社充てに犯行声明文を送っています。

手紙の差出人は「今田勇子」で被害者の顔写真が添付されていました。文字は定規で書いたようなものだったため筆跡がわからない状態でした。殺害後、遺体にわいせつ行為を行う様子をビデオで撮影しています。

ビデオ撮影をした理由については「よくわからない」や「子どもの頃が懐かしくなった」と語りました。

10月に7歳の女児が誘拐・殺害される

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同年10月3日には埼玉県飯能市で当時7歳の女児に「道が分からなくなったので教えてくれるかい?」と声をかけて車で連れ去り殺害しました。

わいせつ行為を行った際には女児にはまだわずかに息があり足がぴくぴく動いていたと証言しています。動機については「スリルがあった」と供述していますがその後「よく覚えていない」「一番印象がない」と語りました。

最初の事件からわずか2か月で次の事件を起こしたことになります。

12月に4歳の女児が誘拐・殺害される

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同年12月9日に埼玉県川越市で当時4歳の女児に「暖かいところに寄っていかない?」と声をかけて誘拐し殺害しました。殺害時に女児が失禁したため遺体は山中に投げ捨てられて12月15日に全裸の状態で発見されています。

被害者の父親が「死んでいても見つかってよかった」と発言するのを見たことから、10月に殺害した女児の遺体を自宅に送ろうと計画して遺棄場所へ探しに出かけたと証言しています。

しかし犯人は遺体を見つけることができないまま帰路につく途中山道で脱輪し、偶然通りかかった車に助けを求めました。

1989年6月に5歳の女児が誘拐・殺害される

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1989年2月6日に東京都江東区で当時5歳の女児に「写真を撮ってあげるよ」と声をかけて連れ去り殺害しました。6月11日にバラバラにされた遺体が見つかっています。

両手を焼いて食べたと供述しましたが異常性を強調するために述べた嘘だとして虚偽の供述であることが認められています。判決時にも食人行為は虚偽の疑いが強いとされました。

事件が起きる3か月前には第2の犯行声明が朝日新聞東京本社に届きました。

7月女児にわいせつな行為を行ったとして現行犯逮捕

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同年7月23日に東京都八王子市で当時6歳の女児にわいせつな行為をしたとして現行犯逮捕されます。遊んでいた姉妹に声をかけて2人の写真撮影を行い、妹だけを連れて行き全裸写真を撮影しました。

不審に思った姉が自宅の父親の元へ妹が連れ去られたことを告げたことで宮崎勤が父親に取り押さえられます。父親は宮崎に対して「7月の事件でもまだ犯人が捕まっていないのに」と責め立てますが後に連続殺人犯だったと知り驚愕したとマスコミの取材に答えました。

犯人・宮崎勤について

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宮崎勤は東京都西多摩郡五日市で裕福な一家の長男として生まれました。手のひらを上に向けることができない先天性の障害を抱えていて幼稚園ではからかわれていたようです。

両親が共働きだったため祖父に可愛がられ宮崎勤自身も懐いていましたが1988年に祖父が亡くなり、事件を起こすようになります。女児を殺すたびに祖父を復活させるための儀式を行ったと裁判で主張しました。

宮崎勤がオタクだったことからオタクをバッシングする騒動が起き社会に大きな影響を及ぼしました。刑が執行されるまで被害者に謝罪はしていません。

冤罪と囁かれている理由

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「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」は冤罪ではないかと言われています。宮崎勤は家族と暮らしていましたが誰も女児が部屋にいたことには気づいておらず腐敗臭もしなかったと語りました。

また、犯人らしき男が山道で脱輪したのを助けた人はトヨタの車だったと証言していますが宮崎勤の車は日産です。部屋から押収されたノコギリから血液反応が出なかったことも不可解です。

犯行に関する証拠はなく自白のみで死刑が執行されました。

死刑判決後に冤罪が認められた事件

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