目次
- 冤罪により死刑にされた人々は存在する
- 冤罪で死刑にされてしまった事例「飯塚事件」
- 1992年2月20日に発生
- 当時7歳の女児が2名行方不明
- 21日女児2名の遺体を発見
- 9月23日死体遺棄の容疑で犯人逮捕
- 目撃証言について
- 物的証拠について
- アリバイについて
- 2008年10月28日死刑執行が行われる
- 最高裁に特別抗告中
- 冤罪により無期懲役・その後無罪となった「足利事件」「北関東連続幼女誘拐殺人事件」
- 1979年の殺人事件
- 1984年の殺人事件
- 1987年の殺人事件
- 1990年5月12日当時4歳の女児が行方不明
- 5月13日女児の他殺体が発見される
- 1991年12月2日菅家さんを誘拐・殺人の容疑で逮捕
- 2009年4月DNAの再鑑定が行われ一致しないことが判明
- 菅家さんの無罪が認められ釈放
- 真犯人は現在も捕まっていない
- 冤罪と囁かれている「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」
- 1988年8月に4歳の女児が誘拐・殺害される
- 10月に7歳の女児が誘拐・殺害される
- 12月に4歳の女児が誘拐・殺害される
- 1989年6月に5歳の女児が誘拐・殺害される
- 7月女児にわいせつな行為を行ったとして現行犯逮捕
- 犯人・宮崎勤について
- 冤罪と囁かれている理由
- 死刑判決後に冤罪が認められた事件
- 幸浦事件
- 松川事件
- 二俣事件
- 木間ケ瀬事件
- 八海事件
- 仁保事件
- 山中事件
- 死刑確定後に再審で無罪が認められた事件
- 免田事件
- 財田川事件
- 島田事件
- 松山事件
- 東電OL事件
- 2018年版世界の死刑執行件数ランキング
- 【1位】中国
- 【2位】イラン
- 【3位】サウジアラビア
- 【4位】ベトナム
- 【5位】イラク
- 【6位】エジプト
- 【7位】アメリカ
- 【8位】日本
- 冤罪の賠償金・補償金とは
- 賠償金・補償金の違い
- 補償金は拘束1日あたりにつき1,000円~12,500円
- 足利事件では補償金8,000万円が支払われた
- 免田事件では補償金9,000万円が支払われた
- 布川事件では賠償金7,600万円が支払われた
- アメリカでの冤罪事件の結末
- 冤罪で17年服役をした男性
- 日本円にして約3億5000万円を支払うことで和解
- 冤罪により死刑となったアメリカの死刑囚
- ルーベン・カントゥ
- クロード・ ジョーンズ
- デビット・スペンス
- キャメロン・ウィリンガム
- レオ・ジョーンズ
- 世界の死刑執行方法
- 日本
- ベトナム
- モンゴル
- 中国
- アメリカ
- フィリピン
- 冤罪により死刑制度の善悪が問われる
via pixabay.com
死刑判決後に冤罪が認められた事件は多くあります。どの事件も長年拘束されて冤罪被害者が苦しむことになりました。真犯人は見つからないまま時効を迎えたものがほとんどです。
事件について詳しく見ていきましょう。
事件について詳しく見ていきましょう。
幸浦事件
via pixabay.com
幸浦事件は1948年に静岡県磐田郡幸浦村で起きた強盗殺人事件の冤罪事件です。1948年11月29日に自営業を営む一家4人が行方不明となったことで警察が捜査を開始し、翌年の2月12日に当時23歳と19歳の男性2人、14日に当時45歳の男性、20日に当時38歳の男性を逮捕します。
容疑者らが殺害を自供し後日絞殺遺体が発見されました。しかし取り調べでは拷問が加えられていて、自供により判明したとされていた遺体の発見場所もあらかじめ警察が知っていた可能性が強まりました。
1963年に4人全員の無罪が確定しています。
容疑者らが殺害を自供し後日絞殺遺体が発見されました。しかし取り調べでは拷問が加えられていて、自供により判明したとされていた遺体の発見場所もあらかじめ警察が知っていた可能性が強まりました。
1963年に4人全員の無罪が確定しています。
松川事件
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松川事件は1949年8月17日に東北本線で発生した列車往来妨害事件の冤罪事件です。線路継ぎ目部のナットが緩められていたことで蒸気機関車が脱線して3人が死亡しました。
警察は20人を逮捕し、5人が死刑判決を下されましたが裁判が進むにつ入れて被告たちの無実が明らかになりました。アリバイを示す証拠が捜査機関により隠蔽されていたことが判明したのです。
1963年9月12日に20人全員の無実が確定しましたが真犯人は捕まっていません。
警察は20人を逮捕し、5人が死刑判決を下されましたが裁判が進むにつ入れて被告たちの無実が明らかになりました。アリバイを示す証拠が捜査機関により隠蔽されていたことが判明したのです。
1963年9月12日に20人全員の無実が確定しましたが真犯人は捕まっていません。
二俣事件
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二俣事件は1950年1月6日に静岡県磐田郡二俣町で発生した殺人事件の冤罪事件です。家族4人が殺害された時に所在が不明だったという理由だけで近所に住む18歳の少年が逮捕されて死刑判決を受けました。
数件の冤罪事件を起こした紅林麻雄警部補がこの事件でも自白の強要と拷問を行いました。山崎兵八刑事が供述調書はねつ造であることを告発しましたが、山崎刑事は妄想性痴呆症と診断され懲戒免職処分にされてしまいます。
その後、現場に残された指紋と少年の指紋が一致しないことや所持品から血痕が検出されなかったことで1957年10月26日に無罪が確定しました。
数件の冤罪事件を起こした紅林麻雄警部補がこの事件でも自白の強要と拷問を行いました。山崎兵八刑事が供述調書はねつ造であることを告発しましたが、山崎刑事は妄想性痴呆症と診断され懲戒免職処分にされてしまいます。
その後、現場に残された指紋と少年の指紋が一致しないことや所持品から血痕が検出されなかったことで1957年10月26日に無罪が確定しました。
木間ケ瀬事件
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木間ケ瀬事件は1950年5月7日に千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村で発生した殺人事件の冤罪事件です。一家4人が殺害されているのが見つかり多数の容疑者が取り調べを受ける中で、100日以上拘留されていた本田昌三さんが自白をして逮捕されました。
公判では無罪を主張しましたが1958年に死刑判決が下されます。しかし自白は警察の誘導であることが判明して1961年5月30日に無罪が確定しました。
不当に長い間拘留されていて自白の任意性を認めがたいとしての無罪判決でした。
公判では無罪を主張しましたが1958年に死刑判決が下されます。しかし自白は警察の誘導であることが判明して1961年5月30日に無罪が確定しました。
不当に長い間拘留されていて自白の任意性を認めがたいとしての無罪判決でした。
八海事件
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八海事件は1951年1月24日に山口県熊毛郡麻郷村八海で発生した強盗殺人事件の冤罪事件です。当時22歳の男が26日に逮捕されて事件を起こしたことを認めました。
単独での犯行を主張しましたが警察は複数犯であると推定して共犯者を言うように拷問を加えました。22歳の男は自分の量刑を軽くしたい思いがあり、知人男性5人の名前を挙げます。
5人は拷問を受けて犯行を自供しました。22歳の男は無期懲役が確定した後に事件は自分の単独犯だとする上申書を17通最高裁に送りましたがすべて刑務所の職員に破棄されていたことが明らかになり、1968年10月25日に知人5人の無罪が確定しました。
単独での犯行を主張しましたが警察は複数犯であると推定して共犯者を言うように拷問を加えました。22歳の男は自分の量刑を軽くしたい思いがあり、知人男性5人の名前を挙げます。
5人は拷問を受けて犯行を自供しました。22歳の男は無期懲役が確定した後に事件は自分の単独犯だとする上申書を17通最高裁に送りましたがすべて刑務所の職員に破棄されていたことが明らかになり、1968年10月25日に知人5人の無罪が確定しました。
仁保事件
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仁保事件は1954年10月26日に山口県吉敷郡大内村仁保で起きた一家6人殺害事件の冤罪事件です。事件現場近隣に住む前科者約160名をリストアップして虱潰しに捜査が行われましたが捜査は難航しました。
警察はリストを徹底的に洗い直して当時37歳だった男性を浮上させます。証拠があったわけではなく消去法で選ばれただけの人物でした。
1962年6月15日に死刑判決が下りますが事件現場には最低でも3人分の足跡があったことなどから1972年12月14日に無罪が確定しました。
警察はリストを徹底的に洗い直して当時37歳だった男性を浮上させます。証拠があったわけではなく消去法で選ばれただけの人物でした。
1962年6月15日に死刑判決が下りますが事件現場には最低でも3人分の足跡があったことなどから1972年12月14日に無罪が確定しました。
山中事件
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山中事件は1972年7月26日に石川県江沼郡山中町で白骨化した遺体が発見された事件の冤罪事件です。遺体は当時24歳の男性と判明し、被害者と金銭問題でもめていた当時24歳の男性が逮捕されました。
犯行を認めたものの主犯は当時26歳の同僚だと主張したため2人が逮捕され、当時26歳の男性に死刑が言い渡されます。当時24歳の男性は懲役8年でした。
しかし自白の信ぴょう性に疑問があることがわかり1990年7月27日に当時26歳の男性の無罪が確定しました。男性には3031万円の刑事補償金が支払われています。
犯行を認めたものの主犯は当時26歳の同僚だと主張したため2人が逮捕され、当時26歳の男性に死刑が言い渡されます。当時24歳の男性は懲役8年でした。
しかし自白の信ぴょう性に疑問があることがわかり1990年7月27日に当時26歳の男性の無罪が確定しました。男性には3031万円の刑事補償金が支払われています。
死刑確定後に再審で無罪が認められた事件
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死刑確定後に再審で無罪が認められた事件もあります。免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件は四大死刑冤罪事件と言われています。それぞれの事件について詳しく見ていきましょう。
免田事件
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1948年12月30日に熊本県人吉市で夫婦が殺害されて娘2人が重傷を負わされた事件の冤罪事件です。1949年1月13日に当時23歳の免田栄さんが逮捕されて拷問や脅迫により自白が強要されました。
事件当日は女性と過ごしていてアリバイがありましたが、警察がアリバイの証人に対して一緒にいたのは翌日だと言うように証言を誘導させました。
1950年3月23日に死刑が確定しますが再審により、アリバイを証明する証拠の提示や逃走経路に不自然な点が見られることから1983年に無罪判決が言い渡されました。免田さんには9071万円の補償金が支払われています。
事件当日は女性と過ごしていてアリバイがありましたが、警察がアリバイの証人に対して一緒にいたのは翌日だと言うように証言を誘導させました。
1950年3月23日に死刑が確定しますが再審により、アリバイを証明する証拠の提示や逃走経路に不自然な点が見られることから1983年に無罪判決が言い渡されました。免田さんには9071万円の補償金が支払われています。
財田川事件
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