2019年7月16日 更新

冤罪事件で死刑が執行された事例は?日本の冤罪時の賠償額・補償額も

冤罪にもかかわらず死刑を執行された事例は残念ながら存在しているのが実情です。日本で起きた冤罪事件を中心に、事件の概要や冤罪が認められた場合の賠償金・補償金を見ていきましょう。また、死刑が執行された件数を国別にご紹介していきます。

目次

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (485157)

2006年9月8日に死刑が確定してからわずか2年で死刑執行が行われました。刑が執行されたのは同じDNA鑑定が用いられて冤罪を疑われていた足利事件でDNAが再鑑定されることが決定してからわずか10日ほどです。

2つの事件は同じ時期に同じ方法でDNA鑑定が行われていたので共通性が認識されていました。足利事件で再鑑定となったため久間三千年は自分の事件でも再鑑定が行われて無罪が証明されることを期待していたにもかかわらず突然の死刑宣告を受けることになりました。

最後まで冤罪を訴えて無実が実証されることを諦めませんでした。

最高裁に特別抗告中

Judge Hammer Auction - Free photo on Pixabay (485158)

足利事件でDNA鑑定の証拠能力が否定されたことを理由として2009年10月28日に妻が再審請求をしましたが、2014年3月31日に再審請求が棄却されます。

警察による目撃証言の誘導の可能性についても誘導の事実はないとされました。同年の4月3日に即時抗告がなされたものの2018年2月6日に即時抗告も棄却されています。

2018年2月13日に最高裁へ特別抗告をして2019年現在も裁判が続けられています。

冤罪により無期懲役・その後無罪となった「足利事件」「北関東連続幼女誘拐殺人事件」

Barbed Wire Fence - Free photo on Pixabay (485159)

無期懲役を言い渡された後に冤罪が明らかとなった「足利事件」とは「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の一つに数えられる事件です。それぞれの事件の概要を見ていきましょう。

1979年の殺人事件

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1979年8月3日に栃木県足利市で当時5歳の女の子が自宅近くの神社境内で遊んでいるうちに行方不明となり、6日後に渡良瀬川近くで遺体となって発見されました。

手足を縛られ、全裸でリュックサックに詰められていている状態でした。リュックサックは市内の業者が登山用に作った特殊仕様のもので数十個しか売られていませんでした。

行方不明になる直前に30歳くらいの男と話しているのを近所に住む主婦が目撃しています。

1984年の殺人事件

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1984年11月17日に栃木県足利市のパチンコ店から当時5歳の女の子が失踪し、1986年3月8日にパチンコ店近くの畑の中から白骨遺体で発見されました。

行方不明当日には女の子の通う幼稚園に40代くらいの男が電話をかけて自宅の電話番号を聞き出しています。その後女の子の自宅に「たすけてちょうだい」という女の子の声と「佐野の厚生病院」と所在を知らせる電話が入りました。

佐野厚生病院に捜査員が向かったものの女の子の姿はありませんでした。

1987年の殺人事件

Avenue Trees Away - Free photo on Pixabay (485163)

1987年9月15日に群馬県新田郡尾島町で当時8歳の女の子が自宅近くの公園へ出かけたまま行方不明になりました。翌年の11月27日に利根川の河川敷で白骨遺体の一部が発見されました。

行方不明になる前には自転車を押す男と一緒にいるところを目撃されています。「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人とされる宮崎勤が告白文の中でこの事件について触れていますが立件はされませんでした。

2002年9月15日に公訴時効が成立しています。

1990年5月12日当時4歳の女児が行方不明

River Canada Backlighting - Free photo on Pixabay (485164)

1990年5月12日に栃木県足利市のパチンコ店から当時4歳の女の子が行方不明となり翌日渡良瀬川河川敷で遺体が発見されました。後に足利事件と呼ばれる事件です。

女の子は赤いスカートに白いシャツという服装で赤色が印象的だったことから複数の目撃証言がありました。目撃者は河川敷でゴルフの練習をしていた男性や買い物途中の主婦などです。

目撃証言通りに、事件発生の時間帯に女児を連れて歩く不審な男が歩いて行った先で遺体が発見されています。

5月13日女児の他殺体が発見される

Waters River Riverbed - Free photo on Pixabay (485165)

河川敷で発見された女児の遺体は全裸で、付近の川の中で犯人のものとみられる体液がついた女児の下着が見つかっています。

体液から犯人はB型と判明して栃木県警は180人体勢で捜査を進めました。捜査の中で女児が行方不明となったパチンコ店の常連であった当時43歳の菅家利和さんが浮かび上がり警察が1年間尾行しますが怪しい行動はありませんでした。

菅家利和さんは当時幼稚園バスの運転手をしていました。しかし警察の聞き込みが理由で解雇されています。

1991年12月2日菅家さんを誘拐・殺人の容疑で逮捕

Fence Freedom Prison - Free photo on Pixabay (485166)

1991年6月に警察は菅家さんが捨てたゴミ袋の中から体液のついたティッシュペーパーを押収してDNA鑑定を行います。11月に犯人のDNAと一致したとして任意同行を求め、激しい尋問の末に自白を引き出して12月2日に逮捕しました。

当時のDNA鑑定は別人でも1/1000の確率でDNA型も血液型も一致する可能性があったことと、DNA鑑定が導入されたばかりで信用性に欠けることから弁護側は無罪を主張しましたが2000年に無期懲役が確定します。

初めは自白を強要されたため犯行を認めていましたが第一審の途中からは無罪を主張していました。

2009年4月DNAの再鑑定が行われ一致しないことが判明

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2008年にDNAの再鑑定を行うことが決定し2009年2月に再鑑定が開始されます。そして2009年4月20日にDNA型が犯人のものとは一致しないことが判明しました。

事件から17年が経過していてすでに時効が成立するため真犯人を逮捕できる機会は失われました。菅家さんの父親は息子が逮捕されたショックで亡くなり無実を信じていた母親も2007年に亡くなっています。

冤罪により菅家さんは家族も自分の人生もバラバラにされたと後に語っています。

菅家さんの無罪が認められ釈放

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