2019年8月24日 更新

ラッキールチアーノの生い立ちや行った犯罪の数々!学べることは?

アメリカの禁酒法時代に、たくさんのギャングスターが生まれましたが、その中でも特にみんなから「ボスの中のボス」と慕われ憧れられた一人の人物がおりました。その名も『ラッキー・ルチアーノ』は、決して前に出すぎることを好まずに圧倒的な社会的成功者になりました。

目次

暗殺指示

Firearm Revolver Bullet - Free photo on Pixabay (568668)

ルチアーノは、決してマフィアを操る人間として表に出たがることはありませんでしたが、シチリアにこだわり身内で殺し合いを続けるだけのマフィアの旧体制にうんざりしていたことから、民族にこだわらず合理的に相合利益を出す方が、命を脅かされることなく巨大な資金を生み出すことを知っていました。

ボスであり師匠であり「ボスの中のボス」と呼ばれ自らを「ジョー・ザ・ボス」と名乗り、粗野で癇癪持ちで相手を押さえつけるマッセリアのやり方や、シチリア人だけにこだわるマランツァーノのやり方では、結局真実が見えにくくなると感じていました。

どんなマフィアも粗野に扱わず、シチリア人だけにこだわらず、どんなマフィアからも正確な情報を引き出しやすくしたことで、暗殺支持のビジネスは成功しました。

殺人

Splatter Blood Drops - Free vector graphic on Pixabay (568670)

ビジネスの邪魔になる者たちや、様々なビジネスになる殺人を行いましたが、決して自分が動いているという証拠や尻尾をつかませない天才でした。

自分の2大ボス『マッセリア』『マランツァーノ』が自己顕示欲の塊のようなボスだったことから、客観的に人を見ることにますます磨きがかけられ、人を扱うのが天才的に上手かったのです。

むやみやたらに自己顕示欲のために殺人をすることなどなく、警察にさえ証拠をつかませることなく、華麗なる殺人ビジネスで巨大な資金を生み出していきました。

政治家や警察への賄賂

World Cup Trophy Soccer - Free photo on Pixabay (568675)

新体制のニューヨーク・マフィア「コーザ・ノストラ」では、それぞれのボスが地域の特性に合わせて、独自に活動するが可能となり、その中には『殺人請負会社』もありました。

ルチアーノに月給制で雇われた殺し屋が、各地のボスからの依頼により暗殺を請け負っていました。

この会社の創設メンバーの中には、ユダヤ系殺し屋を率いて旧世代ギャングのせん滅に力を発揮し、刑事に扮装したユダヤ系の殺し屋4人により殺害されたマランツァーノを殺した1人とされ、後に砂漠しかなかったラスベガスに、ホテル『ピンクフラミンゴ』を建てた『バグジー』もいました。

異例だったラッキールチアーノの行動

World Cup Gun - Free photo on Pixabay (568677)

当時異例と言われたルチアーノの行動について紹介してください。

マランツァーノ一家の誘いを断る

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旧体制のマフィア『マーノ・ネーラ』の時代は、地元ニューヨークの大親分サルヴァトーレ・マランツァーノとジョー・マッセリアが縄張り争いしており、マフィアの伝統を重んじ『シチリア』にこだわるマランツァーノは、ユダヤ人とコンビを組むルチアーノのことをよろしく思っていませんでした。

そのことを知っていたルチアーノは、マッセリアの傘下に入ることを選びましたが、決してマッセリアを信頼していたわけではなく、どうすれば両名始末できるか考えていました。

やがて、ルチアーノを騙してマッセリアを始末させ、その後にルチアーノも始末しようと企みましたが、ルチアーノは騙されることはありませんでした。

マフィアの古いしきたりを撤廃した

Glass Bullet Blood - Free photo on Pixabay (568689)

ルチアーノは、旧体制のマフィアのシンジケートのシステムを近代化させるため、全米の各地のボスたちをニューヨークのホテルに集め、新体制を発表し、その体制を維持するために協力を要請しました。

新体制では、全米を地域別に24に分け、それぞれのボスに任せることを提案し、それぞれのボスに地域の独占権が与えられ、お互いの縄張りを荒らすことはご法度としました。問題が起きた場合は勝手に暴力に頼るのではなく、メンバー全員が集まり会議により平和的に解決するという合議制が導入されました。

こうして、ルチアーノにより新体制のマフィアのシンジケートは「株式会社」のような近代的な体制へと変革されました。

全米犯罪シンジケートの立ち上げ

Thompson Submachine Gun Case - Free photo on Pixabay (568691)

マッセリアとの争いを制したマランツァーノは、ニューヨーク各地の既存のシチリア系マフィアを整理して五大ファミリーとし、自らを五大ファミリーの上に立つ「ボスの中のボス」と宣言し、マッセリアの縄張りに手を付けず、ルチアーノを旧マッセリア派のボスにしました。

巨大なマッセリア一家は、カステランマレーゼ戦争で有力なシチリア人たちが消え、密輸で成り上がったフランク・コステロ、アンソニー・カルファノ、ジョー・アドニス、ヴィト・ジェノヴェーゼら非シチリア人が主導権を握り、シチリア系のルチアーノをボスに担ぎ上げ、ファミリーの体裁を整えました。

ルチアーノは、各ファミリーの自治権を尊重し、自らも含めてファミリーボスの地位は対等とし、アイルランド系、ユダヤ系、イタリア系ギャングの横の連携に努め、プロの殺し屋を雇って殺人行為を規律化し、1934年にホテル『ウォルドルフ=アストリア』でジョニー・トリオらと全米犯罪シンジケートを立ち上げました。

法律を利用してぼろ儲け

Lady Justice Legal Law - Free photo on Pixabay (568693)

ルチアーノは、果てしなく血で血を洗い続けるだけのマフィアの古いしきたりが意味のないことを示し、ビジネスとしてマフィアを組織し、人種にこだわらずにアメリカ的なビジネスライクな合理性を追求して勢力を拡大し、法律をフル活用し巨大な資金を生み出しました。

「酒に酔う人が犯罪を起こす」「アルコールは悪だ」という理由で、酒を作ることも売ることももちろん飲むことも違法となってしまったことで、急にやめることなどできないアルコールマネーがそっくりそのまま裏社会に流れ出たことで、禁酒法によるボロ儲けをしました。

1938年、1902~1959年までアメリカの植民地で、アメリカ当局の手が及ばないキューバに目をつけ、独裁だったバティスタ政権に一説によると300万ドルの賄賂を送って賭博リゾートの利権を独占し、賭博リゾート利権を持ちました。

キューバに目を付ける

Cuba Oltimer Havana Old - Free photo on Pixabay (568696)

1898年、パリ条約により400年に及ぶスペイン支配から解放されアメリカの植民地となり、1902年、キューバ共和国は独立し、アメリカからの支配が始まりました。アメリカ資本が数多く進出し、キューバの資源産業をアメリカ企業が支配しました。

クーデターの発生や相次ぐ政変により、政治的な不安定期が続きました。1936年にフルヘンシオ・バティスタが政権の実権を握り安定しましたが、1944年の総選挙でバティスタは敗北し社会不安が拡大し、1952年、クーデターでバティスタは政権を奪取し独裁政治を開始しました。

2度目のバティスタ政権は1度目とは違い、腐敗、弾圧、独裁が続き、アメリカのキューバ支配は頂点に達し、バティスタ政権、アメリカ政府、アメリカ企業、アメリカマフィアがキューバの富を独占し、その富がアメリカ本土に流れるように社会構造が形成され、ユーロダラー戦争が誘発されました。

犯罪組織間の争いを無くし潜在化させ利益に繋げた

Packs Pile Money - Free image on Pixabay (568699)

ルチアーノは、独裁ではなく組織力を強くするために『マーノ・ネーラ』を一掃し、五大ファミリー他にも各地のイタリア系犯罪組織や他国系移民の犯罪組織との統合を目指し、互いに争わず目立たず潜在化することが利益に繋がることを説き『コーザ・ノストラ』へ変えました。

それまで血縁関係や古いしきたりに従って動いていたマフィアを、アメリカナイズされた近代的なビジネス組織へと作り変え、ルチアーノ自身もボス同士との立場の公平を強調し、トップの地位を目指さず信用を集めました。

ルチアーノは安全に勢力拡大するために、賄賂などで政治家ともつながりを強めました。

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