2019年8月24日 更新

ラッキールチアーノの生い立ちや行った犯罪の数々!学べることは?

アメリカの禁酒法時代に、たくさんのギャングスターが生まれましたが、その中でも特にみんなから「ボスの中のボス」と慕われ憧れられた一人の人物がおりました。その名も『ラッキー・ルチアーノ』は、決して前に出すぎることを好まずに圧倒的な社会的成功者になりました。

目次

イタリアへ強制送還

Florence Italy Duomo - Free photo on Pixabay (569105)

第二次世界大戦中の『ハスキー作戦』への協力の見返りに当初から密約済だったという説や、裏で後に政治家を目指すデューイに多額の政治資金を送ったという説もありますが、ルチアーノは、アメリカ政府から連合国への協力が認められて釈放されました。

しかし、アメリカ市民権を獲得していなかったことから、船でイタリアに送還されることになってしまい、1946年2月、ニューヨーク港を発った豪華な船上パーティーでルチアーノの送別会が行なわれました。

パーティーには、マイヤー・ランスキー、ベンジャミン・シーゲル、フランク・コステロ、ジョゼフ・ボナンノ、オウニー・マドゥン、カルロ・ガンビーノ、アルバート・アナスタシアらマフィアの大物が多数参加し、ルチアーノは「すぐにアメリカに戻れる」と思っていました。

キューバに渡るなどするもイタリアに再度戻ることとなる

Havana Cuba Music Attitude To - Free photo on Pixabay (569107)

イタリアへ強制送還されたルチアーノは、生まれ故郷のレルカラ・フリッディに帰りましが、田舎の環境が気に入らずイタリア南部のナポリで生活し始めました。

その後一度はキューバに落ち着き、1946年キューバで、ベンジャミン・シーゲルの処遇や麻薬取引のことで、マフィアの全国委員会「ハバナ会議」が開かれ議長を務めました。

しかし、キューバの独裁者フルヘンシオ・バティスタの息子や孫とうまくいかず、キューバを支配していたアメリカ政府がキューバ政府に圧力をかけたため、1年後にはイタリアへ戻ることになりました。

イタリアでも密輸や麻薬売買などビジネスを続ける

Tuscany Winegrowing Grapevines - Free photo on Pixabay (569108)

イタリアに戻ったルチアーノは、パレルモに住み、その後ナポリに移り、スカラ座のバレリーナ『イゲア・リッソーニ』を愛人にし、彼女と共に毎日のように競馬場や高級レストランに通い優雅な生活を送り、表では医療器具や家庭電化製品を扱う商人として、裏では麻薬や煙草の密輸をしていました。

アメリカから追放された後も、レバノンの密輸業者と連絡し、トルコで生産されている非合法アヘンを、レバノンでモルヒネに加工させ、トロール船でイタリア沿岸部やフランスのマルセイユに運び、ジアモルヒネに精製させていました。

アメリカ本土とのコネクションを持ち、イタリアとアメリカの間に麻薬密輸ルートを築き上げ、中継基地のキューバも手中に収め、マフィアの勢力はさらに拡大し、ルチアーノは間違いなく1950年代の麻薬王になり、さらにその巨大資金を、ミラノの弁護士&銀行家ミケーレ・シンドーナにマネーロンダリングさせていました。

心臓発作により死亡

Heartache Chest Pain Hurt - Free photo on Pixabay (569109)

ルチアーノはその後も、シシリー・マフィアとカモッラとの仲をとりもったりするなど、常にイタリアとアメリカの犯罪組織に大きな影響を与え続けていましたが、再び生きてアメリカの土を踏むことはありませんでした。

そして、1962年1月16日、自伝映画製作者を出迎えるためナポリ空港に出向いたとき、空港で心臓発作を起こし死亡しました。

アメリカのマフィアは映画製作に反対していたことから、ルチアーノの死は暗殺の疑いもありましたが、ルチアーノの遺体はニューヨークのセント・ジョーンズ墓地に埋葬されました。

ラッキールチアーノの優れた部分

Cube Game Instantaneous Speed - Free photo on Pixabay (569110)

イタリアの貧しい移民だった少年が、一代で巨万の富を築き上げ、成功しても奢らず満足せず進み続けることで成功者であり続けたラッキールチアーノには、優れた部分がたくさんありました。

ラッキー・ルチアーノがどんなことで優れていたかを知ることで、ハッとさせられることがあります。無意識にすることでは、なかなか自分の間違いに築くことは難しいですが、圧倒的な成功者がどんなことに気をつけて成功したのかを知ることで、私たちは自分の生き方について考えさせられる機会を与えられます。

組織力

We Me Us - Free image on Pixabay (569112)

権力者の多くは、自己顕示力をアピールするために大きくなろうとしますが、ルチアーノの上に『マーノ・ネーラ』の二大ボスが派閥争いしていた頃に「それでは本末転倒だ」ということをラッキー・ルチアーノは嫌というほど思い知らされていました。

偉いと言われたいから成功したいのではなく、安心して豊かに生活したいから成功するのだと。組織同士が成功することで、ますます相合利益を生み出せ、ますます潤った生活ができるということを実践していきました。

常識に囚われず常に時代の流れをよんでいた

Pi Board School - Free image on Pixabay (569557)

富める人というのは「ここが最終地点」というところを決めないと言います。なので、一つ成功しても満足することなく、次へ次へとますます成功をつなげて加速させ、その成功は雪だるま式に巨大になっていきます。

自分だけの考え方に固執しすぎると、結局自分の首を絞める事になると、『マーノ・ネーラ』の二大ボスから強烈な反面教師の影響を受けていたために、常に偏らない新鮮な情報を取り入れることを心がけ、常識に囚われずに時代の流れを読んでいました。

民族や少数などにこだわりを持たなかった

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ブランド物に固執する人は、自分の見る目に自身がない人だと言われます。自分が良いから選ぶのではなく「他の人が良いと言うから」「評判が良いから」と選ぶのは、結局利用されることに繋がります。

ルチアーノは「良いものは良い」と、民族や少数などにこだわりを持ちませんでした。要するに、シチリアだから良いという考えに共感できず、自分が良いと思うものを信じ、信じる相手を信じて任せ、任せることでますます人望を得ていったのです。

優勢者を見抜き常に身軽に行動した

Business People - Free photo on Pixabay (569584)

ルチアーノは「自分がどうしたい」という考えではなく「自分がどうするほうが良いか」を優先し続け、常に偏らない新鮮な情報を取り入れるように動くことで優勢者を見抜き、常に身軽に行動しました。

自分のエゴで動く人は「信じるべき方」ではなく「信じたい方」に向いて進んでしまうので、結局自分に都合よく偏った情報でしか動けなくなってしまいます。

物事全体を客観的に見ることはなかなか難しくてできませんが、ルチアーノはそれを実践して生きました。

どのような環境に置かれても自身を活かす行動をとった

Artificial Intelligence Brain - Free image on Pixabay (569125)

ルチアーノは、子供の頃から家族でアメリカに移住することから始まり、好む好まざるに関わらず様々な場所で暮らすことになりましたが、どのような環境に置かれても自身を活かす行動をとりました。

私たち日本人は「仕事をするために仕事をする」と、なんのために生きているのかわからなくなることが多いと言われますが、ルチアーノは楽しみながら生きる術を知っていました。

もちろん楽しく生きるために仕事で成功しなければなりませんが、生きるために嫌々仕事をするなどまっぴらごめんだと思っていたのでしょう。

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