2019年8月24日 更新

ラッキールチアーノの生い立ちや行った犯罪の数々!学べることは?

アメリカの禁酒法時代に、たくさんのギャングスターが生まれましたが、その中でも特にみんなから「ボスの中のボス」と慕われ憧れられた一人の人物がおりました。その名も『ラッキー・ルチアーノ』は、決して前に出すぎることを好まずに圧倒的な社会的成功者になりました。

目次

知られざるラッキールチアーノ情報

Suit Man Dapper - Free photo on Pixabay (569128)

完全無欠だと思われているラッキールチアーノにも、欠点ではありませんが意外な一面があります。ラッキー・ルチアーノの意外な一面を知ることで、ちょっとクスッとなるような愛すべき一面があったり、なぜ彼がこんなにも成功者になれたのかを知ることができます。

今でも、イタリア人男性は愛されることにかけて天才だと言われたりもします。マフィアのボスと言うと怖いイメージが先行しがちですが、ルチアーノも一人のイタリア人男性で愛すべき努力家でした。

好物はバニラアイス

Ice Cream Fruit Blueberry - Free photo on Pixabay (569135)

ルチアーノは、バニラのアイスクリームが好物でした。海外の人は、日本人が想像するよりも遥かにアイスクリームが大好きです。即後には、必ずアイスクリームを食べなければ食事を終えた気がしない人も珍しくないでしょう。

ルチアーノには、もう一つ好物のお菓子がありました。カンノーリとも呼ばれることもある『カンノーロ』は、イタリアのシチリア島が発祥地のペストリー菓子で、シチリアのお菓子の中でももっとも有名なものの一つです

華奢だったが腕力は非常に強かった

Wedding Marriage Buttonhole - Free photo on Pixabay (569131)

ルチアーノは、華奢な体つきで無口な男でしたが、必要な時には暴力を振るい、意見を求められれば自分の考え方を話したと言われています。

日本では「弱い犬ほどよく吠える」という言葉がありますが、意味なく怒ったり暴力を振るう人は、その怒りや暴力に意味を持たせることができなくなってしまいます。

ルチアーノは、むやみやたらに自己顕示欲のために動くことを好まず「こうしたい」ではなく「こうするほうが良い」と判断したときだけ動くことで、何倍にも意味が深められることを知っていたのでしょう。

55針を縫う大けがを負っても奇跡的に生還した

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ルチアーノが、まだマッセリアの配下にいたときに、マランツァーノが「マッセリアみたいなチンピラなど裏切れ」とおいしい話で誘ってきましたが、ルチアーノは乗らなかっため、誘拐され拷問を受けました。

ボコボコにされたルチアーノは、ニューヨークのスタテンアイランドの路上で捨てられ意識不明で倒れていたところ、すぐに病院に運ばれ緊急手術を受けられたことで奇跡的に助かりました。しかし、このときマランツァーノに顔を切り裂かれていたため55針も縫うということになりました。

ナイフで顔を引き裂かれ暴行された後に手術を受けたことで、ルチアーノの右目蓋はたれていますが、奇跡的になんとか命は助かったことから「ラッキー・ルチアーノ」というニックネームが付き、仲間からは「チャーリー・ラッキー」と呼ばれるようになりました。

眼鏡にまで拘るお洒落な人物

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ルチアーノは、ナポリでは裕福な実業家として振る舞い、市内に豪華なアパートを2件と、別荘を1件持っていました。常に洋服や靴などの身に付けるものから爪の先まで手入れを欠かさず、金縁の眼鏡がトレードマークの完璧な外見をしていました。

このころのルチアーノを知るマフィアの一人であるトンマーゾ・ブシェッタは「ルチアーノは非常に真面目な人物で、どんな時でもしぐさや物腰が際だって洗練されているせいで、写真では醜男に見えるが実際は美男子だった」と語っています。

盟友に刺客を送られたことがある

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ルチアーノの晩年には、ニューヨークのイタリア系犯罪組織マフィア『コーサ・ノストラ』のボスで、残忍で狡猾で権力欲が旺盛だったが盟友でもあったヴィト・ジェノヴェーゼから刺客を送られたと言われています。

イタリアのナポリ刑移民で、1920年代半ば、密輸ギャングの配下にいた頃ラッキー・ルチアーノと知り合い、ニューヨークでマフィアになってから、マッセリア派のルチアーノと提携し、ナポリ人部隊を形成し、ルチアーノのマッセリア殺害に加担しました。

マランツァーノは、ルチアーノ、コステロらと共にジェノヴェーゼも暗殺リストに載せており、ルチアーノがマランツァーノを消し五大ファミリーを再編すると、ルチアーノ一家の副ボスの座を得た人物でした。

ルチアーノに会うと裁判官や政治家まで握手を求めた

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1923年9月14日ニューヨークで、ルチアーノはアメリカ人男性ボクシング世界ヘビー級王者で「マナッサの人殺し」「マナッサの殺し屋」「拳聖」「拳の英雄」と呼ばれた『ジャック・デンプシー』vs闘牛のようなアルゼンチン人ボクシング選手『ルイス・アンジェロ・フィルポ』のボクシングの試合を見に行きました。

その時、会場で、ルチアーノが普段賄賂を贈っている政治家、裁判官、警察関係者たちがルチアーノを見かけると、次から次と握手を求めてきました。この時にルチアーノは権力のすごさを実感しました。

ラッキールチアーノから学ぶべきこと

Luck Lucky Number 17 - Free photo on Pixabay (569159)

ろくに食べることも勉強することもできなかった環境から、一代で巨大な組織を作り上げ巨万の富を築き上げたラッキールチアーノから学ぶべきことはたくさんあります。

ラッキールチアーノは間違いなく圧倒的な社会的成功者でしたが、圧倒的な犯罪者でもありました。ここでは、決して犯罪行為を良しとしているわけでも、推し進めているわけでもありませんが、どんなことを学び生きると社会的成功者に近づけるのかをご紹介していきます。

常識や習わしに従い続けず常に考え進む

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ルチアーノは、シチリアの貧しい家庭に4人の兄弟姉妹の2番目の子供として生まれ、特に必要以上に家族の愛情を欲しがることも必要としないこともなかったため、自己顕示力も持たない子供だったでしょう。

子供の頃から一通りの挫折を学んだことで、飄々としながらも自分の生きる力を持つ目を強く信じ、常識や習わしに従い続けず常に考え進むことの重要さを確信していきました。

ズルして進もうとすることを好まず、自己顕示欲のためだけに生きることもなく、どんな時でも自分が信じた人から信じてもらえるように行動し成功者になっても変わらず前に進み続けました。

自分の利益だけではなく相手に利益をもたらす事で良好な関係が築ける

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頭の良い人は、自分の利益だけではなく相手に利益をもたらす事で良好な関係が築ける事を知っています。どんな人でも、恐怖や権力で「俺のために働け」と言われたら、いずれ働くことをやめてしまうか裏切ることになるでしょう。

そんなことでは本末転倒で「この人の言う通りに働けば、自分にもこんなに利益が持たさられる」と思わせることができれば、相手はより働きやすい環境で自分の力を十分に出して喜んで働いてくれるようになり、争いが起こることもなくお互いに富めるというわけです。

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