2019年10月21日 更新

寺内樺風の生い立ちとは?裁判の判決と現在についても

「寺内樺風」という珍しい名前に聞き覚えはありませんか。「埼玉少女誘拐監禁事件」、発覚当時はワイドショーなどで連日報道されました。中学生を誘拐した犯人と被害者の間に性行為はあったのか、犯人の生い立ち、判決内容、家族の現在などまとめて紹介します。

目次

1審で出された判決は、求刑15年に対し懲役9年というものでした。寺内樺風側はこの判決を不服として控訴、さらに検察側も量刑が軽すぎるとして控訴していました。

2019年2月20日、控訴審判決公判が東京地裁で開かれ、1審さいたま地裁の判決を破棄し懲役12年の判決が言い渡されました。「洗脳という心理操作で心理的拘束を行ったことを重視すべき」「犯行が巧妙で悪質」という判断で、1審より量刑が重くなったということです。

現在も服役中

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1993年生まれの寺内樺風は現在26歳、服役中です。逮捕されたのが2016年で懲役12年ですので、2028年35歳まで服役する予定になっています。

35歳で出所というと少し早い印象を受けませんか?逮捕されたのが23歳と若年であったため仕方のないことなのですが、まだいろいろな欲求の強く体力のある30代うちに出所というと、怖い気もします。しっかり服役して、同じ過ちを繰り返さないよう更生していてもらいたいものです。

被害者・斎藤杏花さんの現在

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身勝手な成人男性の欲求を満たすために2年間も監禁されていた斎藤杏花さんは、保護された後無事に両親のもとに返されました。本人はもちろん、家族、親戚も安堵したことでしょう。

しかし中学校1年生からの2年間と言えば、精神的な成長が著しく、社会性を身に付け始める大切な時期です。普通の子たちが学校に通い家庭で過ごしている間、斎藤さんは締め切られた室内で誰と接触することもなく社会から隔離されて生活してきました。

そんな大切な時間を奪われてしまった斎藤さんは、現在どうなっているのでしょうか。

無事に中学校を卒業

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監禁されていた2年間、斎藤さんは中学校へ通えていませんでした。しかし勉学は続けていたようで、自己学習でそれなりの学力をつけていたそうです。

保護されたとき通っていた中学校の同級生たちは卒業式を終えたばかりでした。斎藤さんが帰ってくると信じていた両親は、中学校側が卒業証書を代理で受け取る提案をしても、帰ってきた本人に受け取らせたいと拒否していました。

念願叶って帰ってきた斎藤さんは、卒業式には出席できなかったものの無事校長先生から卒業証書を受け取ったようです。

PTSDに悩まされている

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たった13歳で社会から隔離されてしまった斎藤さんは、私たちが想像できないほどの苦痛を味わいました。その結果、無事その環境から解放された後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされているという情報があります。

PTSDとは強烈なショックを受けた、強い精神的ストレスを感じたなどの体験が、精神にダメージを与えてしまい時間がたってからもその体験に対して強い恐怖を感じてしまうというものです。フラッシュバックというとわかりやすいかもしれません。

寺内樺風は、逮捕され服役している今でも斎藤さんを苦しめ続けているのです。

妊娠の噂がある

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これはあくまで噂で真偽のほどはわかりませんが、斎藤さんが妊娠していたと一部で言われているようです。それが寺内樺風のせいなのか、また別の話なのかもわかりません。

逮捕時、裁判時にも世間では注目が集まった「寺内樺風は性的な暴行を加えていたのか」という点で、明確な報道がなかったためにこのような噂が立ったのではないかと思われます。

しかしこのように噂されてしまうということが、被害者のPTSDを悪化させる一因となるのは間違いないでしょう。

社会復帰を目指している

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斎藤さんは両親の元に戻ってしばらく、精神的に安定することが難しく静養していたと考えられます。長い間隔離されていたのですから、通常の生活に戻るのは簡単ではありません。

しかし13歳で誘拐され15歳で保護されたため、2019年現在もまだ18歳とまだ若いため積極的に社会復帰を目指しているという情報もあります。

寺内樺風のせいで事件に巻き込まれ貴重な時間を奪われてしまったのはとてもかわいそうですが、できれば元気に社旗会に戻ってきてほしいと願うばかりです。

法廷での犯人・寺内樺風の様子

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中学生の少女を巧妙な手口で誘拐し、心理的にコントロールをして逃げられないように仕向けていた寺内樺風は、学力が高いのはもちろん知能もかなり高かったと思われます。

逮捕時も暴れることなく捜査員の話に頷き、移送の際も冷静な様子を見せていました。報道されていた供述内容も辻褄があっていて、動機は身勝手ではあるものの説明としては理解できるものでした。

しかしいざ裁判が始まると、寺内樺風の様子は一転しました。まさに心神喪失といえる振る舞いだったのです。

「オオタニケンジでございます」

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2017年8月29日さいたま地裁で寺内樺風の判決公判が開かれました。なんとこの時、寺内樺風は奇声を上げながら入廷したのです。

それまでの寺内樺風の様子からは想像もできない行動でした。そして氏名を聞かれる前に、「私はオオタニケンジでございます」と言いながら被告人席に着席しました。

この振る舞いには、裁判官たちも度肝を抜かれたことでしょう。判決公判とは、有罪なのか無罪なのか、そして有罪であればどれほどの刑罰が科されるのかを決めるために開かれるものです。そのような場で突如寺内樺風はこのような様子を見せ始めました。

「住所は群馬県高崎オートレース場です」

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裁判長に証言台に促された寺内樺風はさらにおかしな発言を繰り返します。「本籍は」という質問に対し、「和歌山県那智の滝です」と答えました。

それ以下の番地などを尋ねられると、一度「日本語がわかりません」と言った後、「住所は群馬県高崎オートレース場です」と返答します。

裁判長がもう一度同様の質問を繰り返しましたが「和歌山県那智の滝」「群馬県高崎オートレース場」「日本語がわからない」で通したため、本籍地の確認は断念されました。

「職業は森の妖精です」

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