目次
被害者・斎藤さんが保護された翌日の3月28日の未明、静岡県伊東市内で「血だらけの男が歩いている」と新聞配達員の男性から通報がありました。男は頭、顔、ズボン、軍手が血だらけで、男性に「死のうと思ったができなかった、警察を呼んでほしい」と言ったそうです。
その男こそ手配中の寺内樺風でした。カッターで首を切り自殺を図ったようですが、死にきれなかったのでしょう。小雨の降る中、傘もささずに血だらけでたたずむ様子には、通報した男性も驚いたに違いありません。
身柄が確保された現場は自宅がある東京都中野区から約100キロ、伊東市の中心地から約6キロの山の中でした。民家はほとんどなく、通行量も少なく住民以外はあまり通らない地域だったということです。
その男こそ手配中の寺内樺風でした。カッターで首を切り自殺を図ったようですが、死にきれなかったのでしょう。小雨の降る中、傘もささずに血だらけでたたずむ様子には、通報した男性も驚いたに違いありません。
身柄が確保された現場は自宅がある東京都中野区から約100キロ、伊東市の中心地から約6キロの山の中でした。民家はほとんどなく、通行量も少なく住民以外はあまり通らない地域だったということです。
寺内樺風の生い立ち
事件当時、連日の報道の中でマスコミは多くの関係者に寺内樺風の人物像を聞いて回っていました。しかしその情報はネット上で「偽の同級生」が大量発生してしまったせいで信憑性に欠けるものになったようです。事件から時間が経過して情報の真偽がはっきりしてきた頃、本当の寺内樺風の人物像がわかってきました。
2年間という長い期間にわたり自宅アパートで女子中学生を監禁し、さらに大学に通って無事卒業に必要な単位も習得するという二重生活を送っていた寺内樺風とはどのような人物なのでしょうか。
2年間という長い期間にわたり自宅アパートで女子中学生を監禁し、さらに大学に通って無事卒業に必要な単位も習得するという二重生活を送っていた寺内樺風とはどのような人物なのでしょうか。
大阪府池田市に生まれる
1993年、寺内樺風は大阪府池田市で誕生しました。裕福な家庭の長男として生まれ、妹が一人います。父親は会社経営、祖父は大学教授、親族には高学歴の人が多くいます。
経営者である親の元に長男として生まれたということは、後継ぎとして期待されそのように育てられてきた可能性も高いでしょう。一般的に見て、とても恵まれた環境で養育されてきたのではないでしょうか。身体的にも大きな問題はなく、健やかな幼少期を過ごしていたようです。
経営者である親の元に長男として生まれたということは、後継ぎとして期待されそのように育てられてきた可能性も高いでしょう。一般的に見て、とても恵まれた環境で養育されてきたのではないでしょうか。身体的にも大きな問題はなく、健やかな幼少期を過ごしていたようです。
小学生時代
小学生時代の寺内樺風は、身体が小さく内向的でした。質問には答えるが自分からは話し始めることは少なく、暗いという印象を受ける同級生も少なくなかったようです。
そんな寺内樺風が饒舌になるのは、クラスの中でも大人しい子供たちが集まっているグループの中にいる時でした。普段からは想像できないくらい、積極的に話していたという証言があります。もしかしたら大人しい子供が相手の時じゃないと、怖くて話ができないタイプだったのかもしれません。
成績はとても良かったようで、中学受験も地元の難関校を受験し見事合格しています。
そんな寺内樺風が饒舌になるのは、クラスの中でも大人しい子供たちが集まっているグループの中にいる時でした。普段からは想像できないくらい、積極的に話していたという証言があります。もしかしたら大人しい子供が相手の時じゃないと、怖くて話ができないタイプだったのかもしれません。
成績はとても良かったようで、中学受験も地元の難関校を受験し見事合格しています。
中学生時代
中学受験に成功し、大阪教育大付属池田附属中学校に進学しました。親の期待に応え、立派なエリートコースを歩み始めます。
部活はパソコン部に所属、後に工学部に進学することになりますが中学時代からすでに理系を得意としていたようです。プライベートでは鉄道にのめり込み、いわゆる「鉄」と呼ばれるオタクで自宅に大型の模型もありました。
事件後寺内樺風は「中学生の時から誘拐願望があった」と語っていますが、中学時代の同級生からも「『恋愛対象は自分より年下で、小学生くらいがちょうどいい』と言っていた」という証言があります。
部活はパソコン部に所属、後に工学部に進学することになりますが中学時代からすでに理系を得意としていたようです。プライベートでは鉄道にのめり込み、いわゆる「鉄」と呼ばれるオタクで自宅に大型の模型もありました。
事件後寺内樺風は「中学生の時から誘拐願望があった」と語っていますが、中学時代の同級生からも「『恋愛対象は自分より年下で、小学生くらいがちょうどいい』と言っていた」という証言があります。
高校生時代
中学でもそつなく優秀な成績を納めていた寺内樺風は、高校は内部進学をします。この頃すでに強い誘拐願望、監禁願望を持っていたと思われますが、周囲にその気持ちを吐露することはなかったようで同級生からもそのような証言はでませんでした。
高校時代は女性と交際していた時期もあったようですが、長期間ではなく比較的短時間で別れているようです。思春期ですので女性と交際して自分の性的嗜好を確認したり、リアルな女性との付き合いを体感していたのかもしれません。
高校時代は女性と交際していた時期もあったようですが、長期間ではなく比較的短時間で別れているようです。思春期ですので女性と交際して自分の性的嗜好を確認したり、リアルな女性との付き合いを体感していたのかもしれません。
大学生時代
偏差値70を超える進学校であった大阪教育大学附属高等学校から、千葉大学工学部へ進学した寺内樺風はいたって平凡な大学生活を送っていたように見えたと同級生たちは語っています。
飲み会やゼミの泊りがけの合宿にも参加し、人付き合いも上手にこなしていたようです。親友と呼べる存在の友人もおり、趣味や将来の話もすることがありました。しかしどの同級生もやはり寺内樺風のアパートに足を踏み入れたことはありませんでした。
大学にアパートが近かったこともあり、寺内樺風の自宅で飲もうという話になったこともありましたが慌てて拒否するようなことはなく、自然に飲み会が流れたり「掃除をしていない」などの理由でやんわりと拒否していたようです。
飲み会やゼミの泊りがけの合宿にも参加し、人付き合いも上手にこなしていたようです。親友と呼べる存在の友人もおり、趣味や将来の話もすることがありました。しかしどの同級生もやはり寺内樺風のアパートに足を踏み入れたことはありませんでした。
大学にアパートが近かったこともあり、寺内樺風の自宅で飲もうという話になったこともありましたが慌てて拒否するようなことはなく、自然に飲み会が流れたり「掃除をしていない」などの理由でやんわりと拒否していたようです。
パイロット養成学校に入学
大学2年生になった2012年10月から寺内樺風はカナダ留学をしています。留学の目的は、航空免許の取得と語学力の向上とされていました。
留学後、カナダではなくアメリカのカリフォルニア州にあるパイロット養成学校に2013年4月下旬から約4カ月間在籍しています。同年夏ごろには、自家用機操縦のライセンスを取得しました。
先述した通り寺内樺風は、熱心な飛行機マニアでしたので念願かなってのライセンス取得だったのでしょう。あまり社交的とは言えない性格でしたが、寺内樺風のフェイスブックにはパイロット養成学校で撮影したと思われる写真がアップされています。
留学後、カナダではなくアメリカのカリフォルニア州にあるパイロット養成学校に2013年4月下旬から約4カ月間在籍しています。同年夏ごろには、自家用機操縦のライセンスを取得しました。
先述した通り寺内樺風は、熱心な飛行機マニアでしたので念願かなってのライセンス取得だったのでしょう。あまり社交的とは言えない性格でしたが、寺内樺風のフェイスブックにはパイロット養成学校で撮影したと思われる写真がアップされています。
就職先
寺内樺風は逮捕された5日前に大学を卒業したばかりでした。大学生は3年次から就職活動をするのがデフォルトですが、寺内樺風も例にもれず真面目に就職活動をしていたようです。
就職先に決まっていたのは、鶴巻町に本社を構え消防設備を取り扱っている株式会社プロサスだと言われています。もちろん逮捕後には内定取り消しになっているということです。
この会社に内定をもらい、千葉大学近隣にあるアパートから東京都中野区にあるマンションに引っ越したというわけです。こんな事件を起こしていなかったら、翌4月から東西線で通勤していたことでしょう。
就職先に決まっていたのは、鶴巻町に本社を構え消防設備を取り扱っている株式会社プロサスだと言われています。もちろん逮捕後には内定取り消しになっているということです。
この会社に内定をもらい、千葉大学近隣にあるアパートから東京都中野区にあるマンションに引っ越したというわけです。こんな事件を起こしていなかったら、翌4月から東西線で通勤していたことでしょう。
寺内樺風の同級生の証言
寺内樺風がこの「埼玉少女誘拐監禁事件」を起こしてから、多くの同級生たちからさまざまな証言が得られました。マスコミ各社はこぞってこの証言を報道し、一時は偽物とも思える証言も発信されていたようです。
しかし寺内樺風は人付き合いが極端に苦手なタイプとは言い切れず、ある程度友人や知り合いがいたため実際その人物像を知る人は多くいました。小学校、中学校、高校、大学とそれぞれの時代で友人に持たれる印象は違いがありましたが、特別な違和感を感じていた人はいなかったようです。
ここではその証言の一部を紹介していきます。
しかし寺内樺風は人付き合いが極端に苦手なタイプとは言い切れず、ある程度友人や知り合いがいたため実際その人物像を知る人は多くいました。小学校、中学校、高校、大学とそれぞれの時代で友人に持たれる印象は違いがありましたが、特別な違和感を感じていた人はいなかったようです。
ここではその証言の一部を紹介していきます。
缶バッジをカバンにつけていた
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