目次
- ホモフォビアの意味
- 同性愛者に対する恐怖感・嫌悪感
- 日本語では同性愛憎悪・同性愛恐怖
- ラテン語「homo」+ギリシア語「phobia」
- 同性愛の歴史
- 紀元前25世紀史上最古の同性愛の記録
- 紀元前27年に史上初めての同性結婚
- キリスト教の普及によって同性婚が禁止され始める
- 日本では平安時代から存在が確認されている
- 1716年男色の作法について記した「葉隠」が出される
- 1791年フランス革命政府によって同性愛が非犯罪となる
- 日本で同性愛が犯罪だった時期は約8年間のみ
- 1990年WHOがICD-10から同性愛を削除
- 5月17を国際反同性愛憎悪の日と設定
- 2006年日本は同性愛者に厳罰を課している国々へ抗議
- 日本で発生した同性愛関連事件
- 府中青年の家事件
- 新木場殺人事件
- 一橋アウティング事件
- 各国の同性愛への対応について
- 中国
- ガンビア・イスラム共和国
- タンザニア
- サウジアラビア
- 北朝鮮
- ホモフォビアの原因
- 宗教
- わからないものを排除したいという欲求
- 大多数以外のものへの恐怖心
- 自身が性の対象になるという不安感
- 子供を産み育てることが正しいという価値観
- ポリコレ議論について
- ホモフォビア・同性愛には長い歴史がある
1716年男色の作法について記した「葉隠」が出される
江戸時代以降、武士の間での同性愛が記録として残されており、『衆道』という表現が元々「主君に忠義を果たして命を捧げて死ぬ事」だったのが、江戸時代に武士の男色を『衆道』と呼ぶようになったと推定されています。
1716年頃に書かれた『葉隠』には、念者と若衆という義兄弟的男色の心得が説かれ、「お互い想う相手は一生にひとりだけ」「相手を何度も取り替えるなど言語道断」「そのために5年は付き合って、相手の人間性を見極めるべき」と記しています。また相手が浮気者だったら、付き合う価値がなく断固として別れるべきと説き、まとわりついてくるようであれば、「切り捨てる」など命がけのものが最高としています。
1716年頃に書かれた『葉隠』には、念者と若衆という義兄弟的男色の心得が説かれ、「お互い想う相手は一生にひとりだけ」「相手を何度も取り替えるなど言語道断」「そのために5年は付き合って、相手の人間性を見極めるべき」と記しています。また相手が浮気者だったら、付き合う価値がなく断固として別れるべきと説き、まとわりついてくるようであれば、「切り捨てる」など命がけのものが最高としています。
1791年フランス革命政府によって同性愛が非犯罪となる
長きに渡り、ヨーロッパでは同性愛に対して否定的な流れが続いていました。フランス革命以前の旧体制では、同性間の性行為は犯罪と見なされており、男性同士の性行為を「現行犯」として裁き、パリ市庁前の広場で火あぶりの刑が行われるなど歴史的な事件も起きていました。
1789年、フランスで市民革命運動が起こります。歴史的にも名高い「フランス革命」です。これにより、絶対君主制時代と、それまでの封建的体制が崩壊し、性についての考え方にも大きな転換点を迎えました。
1791年、フランス革命政府が新しい刑法典を採択します。この法典ではもはや同性愛は犯罪ではないと謳いました。こうしてフランスは西ヨーロッパで最初に成人間の同性愛行為を非犯罪化した国になりました。
1789年、フランスで市民革命運動が起こります。歴史的にも名高い「フランス革命」です。これにより、絶対君主制時代と、それまでの封建的体制が崩壊し、性についての考え方にも大きな転換点を迎えました。
1791年、フランス革命政府が新しい刑法典を採択します。この法典ではもはや同性愛は犯罪ではないと謳いました。こうしてフランスは西ヨーロッパで最初に成人間の同性愛行為を非犯罪化した国になりました。
日本で同性愛が犯罪だった時期は約8年間のみ
他国と比べて、日本は同性愛含めた『性的マイノリティには寛容な国』と言われています。法律的に同性愛を「犯罪」と解釈していたのは、明治時代の8年間のみとなります。1882年1月1日には当時あった、「鶏姦罪」が消滅し日本は法的には同性愛が犯罪ではなくなりました。
この時代に表面化していた『同性愛』は男性同士のモノが多く、制定されていた『鶏姦律条例』は男性同士の鶏姦(肛門性交)を犯罪としていました。
この時代に表面化していた『同性愛』は男性同士のモノが多く、制定されていた『鶏姦律条例』は男性同士の鶏姦(肛門性交)を犯罪としていました。
1990年WHOがICD-10から同性愛を削除
1990年5月、国連機関であるWHO(世界保健機関)のICD-10(国際疾病分類)から同性愛の項目が削除されました。精神医学の領域では、『同性愛』は長い間「病気(障害・疾病・精神病)」だという認識を持たれていましたが、この出来事をきっかけに世界でも大きく動き始めます。
19世紀後半から近代精神医学は、出生時の性別と異なる性表現で生活する人や、同性愛者を「性倒錯」という精神の病の一種として扱っています。1980年代に入ると「性同一性障害」という用語が使われ、1990年のICD-10で、この名称が正式に採用されます。この時に同性愛が削除され、病気ではないと宣言されたのです。
19世紀後半から近代精神医学は、出生時の性別と異なる性表現で生活する人や、同性愛者を「性倒錯」という精神の病の一種として扱っています。1980年代に入ると「性同一性障害」という用語が使われ、1990年のICD-10で、この名称が正式に採用されます。この時に同性愛が削除され、病気ではないと宣言されたのです。
5月17を国際反同性愛憎悪の日と設定
ICD-10から『同性愛』削除が行われたのが、1990年5月17日だったことから、毎年5月17日を「国際反同性愛憎悪の日」として設定されました。2004年5月17日はアメリカのマサチューセッツ州が、さらに2010年の同日にはポルトガルが同性結婚を合法化した日でもあります。
「国際反同性愛憎悪の日」は、フランスの大学教授で同性愛者活動家であるルイ=ジョルジュ・タンが提案して2005年に始まったものです。2006年には欧州議会で、ホモフォビアを非難する決議文を通してIDAHO(国際反同性愛憎悪の日)が承認されました。現在では世界の約 50 カ国で実施されています。
「国際反同性愛憎悪の日」は、フランスの大学教授で同性愛者活動家であるルイ=ジョルジュ・タンが提案して2005年に始まったものです。2006年には欧州議会で、ホモフォビアを非難する決議文を通してIDAHO(国際反同性愛憎悪の日)が承認されました。現在では世界の約 50 カ国で実施されています。
2006年日本は同性愛者に厳罰を課している国々へ抗議
日本においては、2006年に世界の同性愛者を厳罰に処罰している国へ、同性愛憎悪へ抗議のための企画が実施されました。主な活動として、LGBTを象徴するレインボーカラーのシリコンブレスレット(レインボーバンド)の販売や同性愛が極刑となる国の大使館への要望書を提出しています。
『同性愛が極刑となる国の大使館』とは、イラン・サウジアラビア・アラブ首長国連邦・イエメン・アフガニスタン・パキスタン・ナイジェリア・モーリタニア・スーダンなど、中東や南アジア・アフリカの国が中心です。
『同性愛が極刑となる国の大使館』とは、イラン・サウジアラビア・アラブ首長国連邦・イエメン・アフガニスタン・パキスタン・ナイジェリア・モーリタニア・スーダンなど、中東や南アジア・アフリカの国が中心です。
同性愛者の男性の悩みとは?同性愛者の特徴や見分け方と実際の割合も - POUCHS(ポーチス)
近年よく耳にする「LGBT」という言葉。日本ではまだまだ理解に乏しい存在ですが、そんな同性愛者の割合や特徴を徹底解説していきます。同性愛者の見分け方や当事者の悩みはもちろん、カミングアウト済みの芸能人までご紹介致します。
日本で発生した同性愛関連事件
日本は同性愛を違法としていません。日本文化や日本国内で広く信仰されている宗教においても、歴史上LGBTへの敵意は存在しないとする見方もありますが、現実には、対象の人達が受けている偏見や差別から感じる「生きづらさ」は、はっきりと存在しています。
現代の日本社会でも明らかに存在する「性的マイノリティの人々への偏見や差別の歴史」のいくつかについて触れていき、『ホモフォビア』との関連を考えます。
現代の日本社会でも明らかに存在する「性的マイノリティの人々への偏見や差別の歴史」のいくつかについて触れていき、『ホモフォビア』との関連を考えます。
府中青年の家事件
「動くゲイとレズビアンの会(通称:アカー)」が、1990年2月、東京都教育委員会が所轄する「府中青年の家」にて、同性愛者の人権を考える団体であることを明らかにし合宿を実施したところ、同日に宿泊した他団体から差別的言動を受け、入浴中覗かれたりといった嫌がらせを受けました。その後も差別的言動が続いたため、アカーは善処を求めたのですが、青年の家側は適切な対応を行いませんでした。
アカーが再度、この施設の利用を申し込んだところ、「青少年の健全な育成にとって、正しいとはいえない影響を与える」として利用を拒否され、その後、東京都教育委員会からも正式に使用不許可の処分が下されました。
これに対し、アカーは、1991年2月、この処分が違憲・違法だとして、東京都に賠償を求めて提訴します。裁判は、第1審(1994年3月)、第2審(1997年9月)ともに、アカーが勝訴。LGBTに対する東京都の不当な扱いが明らかになったと同時に、初めてLGBTの権利がきちんと認められ行政に勝利したのです。
アカーが再度、この施設の利用を申し込んだところ、「青少年の健全な育成にとって、正しいとはいえない影響を与える」として利用を拒否され、その後、東京都教育委員会からも正式に使用不許可の処分が下されました。
これに対し、アカーは、1991年2月、この処分が違憲・違法だとして、東京都に賠償を求めて提訴します。裁判は、第1審(1994年3月)、第2審(1997年9月)ともに、アカーが勝訴。LGBTに対する東京都の不当な扱いが明らかになったと同時に、初めてLGBTの権利がきちんと認められ行政に勝利したのです。
新木場殺人事件
2000年頃、東京都江東区新木場駅前の「都立夢の島緑道公園」は、同性愛者の男性が出会いを求める『ハッテン場』と呼ばれる場所のひとつでした。
この公園で、2000年2月11日早朝、男性が頭や顔から血を流して倒れているのをジョギング中の会社員が見つけ110番。その後、被害者は大田区に一人暮らしをする男性と判明、司法解剖の結果、頭部や顔面を鈍器のようなもので激しく殴られた為の外傷性ショック、内臓破裂などが死因と判明。所持金も奪われていました。
逮捕されたのは、江東区の区立中学3年の少年と、都立高校1年の少年。そして25歳の無職の青年でした。
彼らは、この公園に集る同性愛者をターゲットにし、常習的に暴行や脅迫を繰り返し、被害届が出されたものだけでも十数件に及ぶことが分かりました。この事件はそれら一連の事件の最悪の結果であったことが判明。事件に関与した少年達は、逮捕された3名のほか、二十数名におよぶことがわかったのです。
この公園で、2000年2月11日早朝、男性が頭や顔から血を流して倒れているのをジョギング中の会社員が見つけ110番。その後、被害者は大田区に一人暮らしをする男性と判明、司法解剖の結果、頭部や顔面を鈍器のようなもので激しく殴られた為の外傷性ショック、内臓破裂などが死因と判明。所持金も奪われていました。
逮捕されたのは、江東区の区立中学3年の少年と、都立高校1年の少年。そして25歳の無職の青年でした。
彼らは、この公園に集る同性愛者をターゲットにし、常習的に暴行や脅迫を繰り返し、被害届が出されたものだけでも十数件に及ぶことが分かりました。この事件はそれら一連の事件の最悪の結果であったことが判明。事件に関与した少年達は、逮捕された3名のほか、二十数名におよぶことがわかったのです。
日本では長らく、「同性愛者であること=後ろめたい秘密」という意識が根強くありました。その結果、今回のような事件が発生しても被害者は警察に届けることもせず、加害者も「同性愛者・両性愛者は抵抗したり、訴えたりできない」と捉え続けてきたのです。
犯人グループの少年たちも警察に対して「同性愛者なら警察に届けないと思った」と供述しています。警察によると「地元の不良少年の間では『同性愛者を狙えば簡単』というのは共通認識のようだ」とのことでした。
また、同性愛者の男性の間では、夢の島公園に限らず、野外ハッテン場での嫌悪的暴行は、都内だけでも多数発生しているという話が聞かれていました。
ただの暴行事件とは言い難い、同性愛男性に対する人権侵害の問題として捉えて対応していくべきと捉えられた事件でした。
犯人グループの少年たちも警察に対して「同性愛者なら警察に届けないと思った」と供述しています。警察によると「地元の不良少年の間では『同性愛者を狙えば簡単』というのは共通認識のようだ」とのことでした。
また、同性愛者の男性の間では、夢の島公園に限らず、野外ハッテン場での嫌悪的暴行は、都内だけでも多数発生しているという話が聞かれていました。
ただの暴行事件とは言い難い、同性愛男性に対する人権侵害の問題として捉えて対応していくべきと捉えられた事件でした。
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