2019年7月13日 更新

尼崎事件の概要とその真相とは!裁判の判決とその後についても

主犯格の自殺で闇に葬られた尼崎事件を覚えていますか?親族同士での暴行や性行為などで精神を崩壊させ、金や家を乗っ取る様は、人々に恐怖心を与えました。今回は、黒幕と背乗り疑惑があり、更に警察もグルと言われる尼崎事件の真相と、裁判判決や事件のその後を紹介します。

目次

E家とは、監禁先から逃げ出し、警察に飛び込んで母の死を伝え、この尼崎事件発覚のきっかけを作った、大江香愛さんの妹である裕美さんの結婚相手の川村家のことです。

ここでの、父は川村博之のことで、母は裕美さんのことを指します。川村は、元阪神電鉄の助役を務めており、角田が「ベビーカーが電車の扉に挟まれた」というクレームを付けてきた時に対応をしたことで知り合いました。

その後、角田がこの川村家に入り込み、妻との離婚や退職などを進めるような家族会議をさせたのです。最終的に、夫婦は離婚し、子供達は角田に取り上げられてしまいました。川村博之も、そのまま角田の下で暮らしており、妻であった裕美さんに暴行を与えていたのです。

F家(母/長女)

Barrel Container Oil - Free vector graphic on Pixabay (471183)

F家とは、先程も紹介した事件発覚のきっかけを作った大江家のことです。大江家は、母の大江和子さん、長女の香愛さん、次女の裕美さんの3人です。

川村家に角田達が入り込んだことで、この一家は互いに暴力を振るったり、監視したりと虐待をさせられていました。母の大江和子さんは、栄養失調などで死亡。その後、ドラム缶にコンクリートを入れられ、角田達が倉庫代わりにしていた部屋に放置されていたのです。

長女の香愛さんは、川村博之が寝ている隙を付いて交番に駆け込み、何とか命を取り留めることが出来ました。そして、ようやく角田美代子達の犯罪に終止符が打たれたのです。この娘達は、母親の虐待による傷害致死罪などで起訴されます。

尼崎事件の経緯

Police Crime Scene Blue Light - Free image on Pixabay (471198)

尼崎事件は、全ての事件が発覚するまでに実に20年以上掛かっており、更に多数の家族が複雑に絡み合っている為、登場人物を紹介しても、中々理解し切れない部分が多いです。事件の経緯も、あやふやなものがありますが、角田美代子達はどのような犯行を繰り返してきたのでしょう。

角田美代子は、人に取り入るのが上手く、仲良くなった後にヤクザが後ろにいるとちらつかせて、暴力や罵倒などで洗脳していくのですが、話だけを聞いていると何故ただのおばさん1人に、男ですらも逆らえなくなるのかが不思議なのです。

大抵どの家も、同じような方法で家庭を破壊され、乗っ取られていくのですが、ここでは尼崎事件の経緯を紹介していきます。

A家母失踪事件をきっかけに

Dark Lake Water - Free photo on Pixabay (471250)

A家母、つまり橋本家の母親である橋本芳子さんは、2006年(平成18年)の時点で、のちに長男の久芳さんと婚姻関係を結んだ、角田美代子の義理の妹、美枝子によって行方不明者としての失踪宣告手続きをされています。

その為、戸籍上では1994(平成6年)に66歳で死亡したことになっていますが、角田美代子達は1987年(昭和62年)頃に殺したと供述しており、実際は59歳前後に亡くなっていたのでしょう。

橋本芳子さんの遺体は、尼崎の海に棄てたと言われている為、未だに発見されていません。この橋本芳子さんが、尼崎事件の最初の被害者なのです。

B家母不審死事件・B家母の長男の長男転落死

Legs Shoes Sit - Free photo on Pixabay (471289)

1997年(平成9年)頃、葬儀に因縁を付けられたことから軟禁生活が始まった、猪俣家の人々。冒頭でも触れましたが、この親族は葬儀以降、マンションに軟禁され、連日の家族会議という名の虐待生活を強いられました。

母親は、猿ぐつわをさせられ、食事も制限されていたと言われ、どんどん衰弱していきます。洗脳の方法の1つに、身内を分断させる為、親族同士で互いに暴力を振るわせるという方法があります。暴力に耐えきれなくなると、誰かを犠牲にする為に角田へのチクリ屋に変貌していくのです。

金や通帳も取り上げられ、連日続く暴行の中、1999年(平成11年)に母親は病死してしまったと言いますが、殺されてしまったようなものでしょう。同年、耐え切れなくなった猪俣家の長男の長男(孫)が、突如走り出しマンションから飛び降り死亡してしまいます。しかし、こちらももしかすると、自殺強要や突き落としたなどが考えられます。

C家母死体遺棄

Street Painting Artists - Free photo on Pixabay (471353)

C家の母親とは、皆吉ノリさんのことです。2001年(平成13年)、皆吉家の長男が後輩の妻だった角田美代子と再会してしまったことで、被害に巻き込まれていくことになりました。

皆吉家の長男は、角田美代子の従兄である李正則の母親と結婚していたこともあり、ターゲットにされてしまい、長男と次男は角田のマンションで暮らすようになります。

その間、母親の皆吉ノリさんと次女は、自宅の一軒家に住んでいたのですが、2002年(平成14年)から2人は行方不明になりました。しかし、母親も角田のマンションに連れ込まれており、2003年(平成15年)3月頃にやはり虐待や食事制限などを受けて死亡していたのです。遺体は娘婿の実家がある谷本家に隣接する、倉庫の床下に埋められていました。ちなみに次女は、未だに行方が分かっていません。

D家父の兄死体遺棄

Dirt Farm Garden Hand - Free photo on Pixabay (471420)

D家父の兄とは、谷本家の伯父である谷本隆さんです。谷本家は、皆吉ノリさんの長女である皆吉初代さんの夫の家でしたが、皆吉家の長男が李正則の母と結婚していたことから、付け込まれてしまいました。

角田美代子と李正則は、2002年(平成14年)頃に出会っており、その事で李の幼少期の話などを知ったことによって、皆吉家と谷本家を利用しようと計画したのです。先程も触れましたが、角田は李含む10人程の男達を谷本家に送り込み、家の中で暴れさせ、初代さんが角田に助けを求めたことで谷本家に乗り込んだのです。

その後、またしても連日の家族会議と称した暴行、虐待を加え、初代さんと夫の谷本明さんを離婚させ、娘達の茉莉子さんと瑠衣さんをマンションに連れて帰りました。その時心配で付いて来た谷本明さんの兄である、隆さんも虐待や暴行の果てに死亡。隆さんの遺体は、皆吉ノリさんの家の床下に埋められています。

A家長男転落死、保険金詐欺

Explosion Army Soldier - Free vector graphic on Pixabay (471458)

A家の長男とは橋本家の長男で、のちに角田美代子の義理の妹である美枝子と結婚させられた、橋本久芳さんです。彼がどのような経緯で角田美代子と知り合ったのかは不明ですが、久芳さんは2000年(平成12年)にマンションを購入しており、その保証人に、角田美代子の兄と交際していた安藤みつゑさんがなっています。

橋本久芳さんが美枝子といつ婚姻関係を結ばされたのかもハッキリしていませんが、2001年(平成13年)から2005年(平成17年)の間だと言われています。久芳さんは角田ファミリーと共に、沖縄旅行に行くのですが、その旅行中の2005年(平成17年)7月1日(金)に、崖下へ転落して死亡していました。

場所は沖縄恩納村にある景勝地の、「万座毛」という所で、当時は記念撮影をしている最中に誤って落ちたとされており、事故死として処理されてしまうのです。本当は、直前に角田に自殺強要されており、自ら飛び降りたという話と、突き落とされたという話があります。しかし、事故死で処理された為、久芳さんに掛けられていた多額の保険金が、美枝子の物となり、マンションもお金も角田家に乗っ取られてしまいました。

D家母連れ去り事件

Japan Japanese-Style Room Houses - Free photo on Pixabay (471508)

D家母とは、皆吉ノリさんの長女で、谷本明さんの妻でもあった、初代さんのことです。彼女も夫も監禁され、虐待を受ける生活を送っていましたが、明さんが隙を伺って助け、初代さんは2003年(平成15年)8月に逃げ出すことが出来ました。

彼女は逃亡に成功し、和歌山県の旅館で住み込みの仕事を見つけることができたのです。しばらく穏やかな生活を送っていた初代さんですが、車を買う為に住民票を移した2007年(平成19年)の年末に、何故か角田美代子らに居場所を発見されてしまいます。

その後、激しい暴行や虐待を受けたのか、2008(平成20年)3月に意識不明の重体となりそのまま入院しますが、意識が戻らないまま2009年(平成21年)6月、肺炎に掛かってそのままこの世を去りました。夫である谷本明さんは、その後逃げ出すことに成功し、無事に生き残ることとなりますが、家族を崩壊させられてしまったことに変わりはありません。

主犯女の同居人女性死体遺棄

Hand Finger Pointing - Free photo on Pixabay (471574)

主犯格の同居人女性とは、角田美代子の兄の交際相手…分かりやすく言えば、元カノであった安藤みつゑさんです。角田と安藤さんは、少なくともそのことがきっかけで1966年(昭和41年)頃に、角田美代子18歳、安藤さん25歳頃に出会っていました。

尼崎事件に巻き込まれた人々の中で、義理の妹となった美枝子と同じくらいの長い間、角田美代子に支配され続けていたのが安藤さんで、彼女も又親族に借金を頼みに回ったりと、逃げ出すチャンスもあったのにも掛からわず、角田の側から離れることが出来ませんでした。

家政婦代わりにも使われていた安藤さんは、2008年(平成20年)11月、角田美代子の孫を叱ったという理由だけで、美代子に激しく暴行をされ、バルコニーにある物置に監禁され死亡したのです。安藤さんの遺体も、空き家となっていた皆吉ノリさんの家の地下に埋められていました。

D家長女死体遺棄

3 / 7

関連する記事 こんな記事も人気です♪