2019年7月13日 更新

尼崎事件の概要とその真相とは!裁判の判決とその後についても

主犯格の自殺で闇に葬られた尼崎事件を覚えていますか?親族同士での暴行や性行為などで精神を崩壊させ、金や家を乗っ取る様は、人々に恐怖心を与えました。今回は、黒幕と背乗り疑惑があり、更に警察もグルと言われる尼崎事件の真相と、裁判判決や事件のその後を紹介します。

目次

続いて行われた裁判は、角田美代子の義理の従兄弟でもあり、尼崎事件で暴力担当とまで言われていた、李正則被告の裁判です。

2015年(平成27年)5月13日(水)神戸地裁で、第一公判が開廷されました。李被告は、殺人罪や傷害致死罪など数多くの罪で起訴されていましたが、やはり詳細は不明です。しかし、李被告はほとんどの罪を否認しています。

更に一審判決に不服を申し立て控訴しますが、大阪高裁はこれを棄却。2017年(平成29年)3月17日(金)、第一審判決を維持して、李正則は無期懲役の実刑判決で確定されました。

D家次女被告裁判

Judge Court Gavel - Free image on Pixabay (474330)

最後に行われた裁判は、被害者家庭の谷本明の娘でありながら、角田美代子の次男優太郎と結婚した角田瑠衣が(旧姓:谷本)被告となりました。

瑠衣被告は、角田美代子の機嫌を取り、「お母ちゃん、お母ちゃん」と呼びながら、角田ファミリーとして実の母親である初代さんや父の明さん、そして伯父の谷本隆さん、更に姉の茉莉子さんにも積極的に暴行や虐待を行っていましたが、ほとんどの起訴内容を否認しています。

しかし、2016年(平成28年)2月12日(金)、懲役23年の判決を言い渡され、第一審で刑期が確定されました。

尼崎事件のその後

Raven Crow Night - Free image on Pixabay (474448)

事件発覚からすでに10年近く経っているこの尼崎事件。未だに闇に包まれた部分が多く、今もなお怪奇な事件として語られています。

被害者なのにも係わらず、最終的に実刑判決を言い渡された人達もいる為、一般人には理解しがたいものがあります。例え恫喝されていたとしても、何故被害届などを出さずに言うことを聞いていたのか?他人の命令で、親族の虐待や暴行に加担してしまう理由は何か?など、様々な疑問を感じる事件とも言えるでしょう。

ここでは、そんな尼崎事件のその後を紹介していきます。

角田美代子は自殺

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (474499)

何度か触れましたが、事件の主犯格である角田美代子は、逮捕後留置場内で自殺をしてしまいました。そのせいで、主犯からの供述などがきちんと把握しきれなかった為に、尼崎事件はモヤモヤが残るのです。更にこの自殺も、果たして可能なのか?という疑惑が残り、益々人々に恐ろしさを感じさせてしまいます。

2012年(平成24年)12月12日(水)午前6時20分頃、巡回していた巡査長が角田の異変に気が付き、自殺が発見されました。自分の着ていたTシャツで首を絞めての自殺とされていますが、おかしな点がいくつかあります。当時留置場内には、角田も入れて3人が拘留されていました。しかし、誰も角田が自分の首を絞めていることに気が付いていません。

更に巡回していた巡査長によると、発見前の約1時間前、角田は午前5時25分にはいびきをかいて、午前5時38分と5時55分までは、寝息をたてて寝ていたというのです。自殺しようと考える人間は、直前まで爆睡して起きた瞬間に自殺を決行するものでしょうか?息が無いと気が付いたと言われる時間は、6時10分なので、角田はたった15分の間に自殺を図ったことになります。

警察は広域相談指導係を新設

Police Baltimore Officer - Free photo on Pixabay (474818)

尼崎事件は、その名の通り兵庫県尼崎市で起きている犯行が多いのですが、谷本家のあった四国の香川県にある高松市や、橋本家の長男の久芳さんが転落死したのは沖縄と、地域が幅広い為に警察も連携が中々取れずに、捜査が難航していました。

主犯格の自殺や、助けを求めていた被害者の調書も取らなかったことなどの失態もあり、当時警察も多く批判され、謝罪会見した県警もあります。

その為か、事件後警察は広域相談指導係を設置し、広域に渡る事件の連携体制や、相談するなどの体勢を整えることになったのです。

精度が高く計画性があった事件

Target Goal Success Dart - Free photo on Pixabay (474853)

尼崎事件は、角田美代子がターゲットを見つけることが上手かったことと、目的が金や家庭破壊にしっかり定められていた為に、計画性があると言われる事件です。

しかし、果たして計画性はあったのでしょうか?少なくとも地元では、角田美代子は難癖や因縁を付けてくる厄介で有名な存在であり、李正則などの取り巻きの男は、金髪で小太りの男が多く、「金髪デブ軍団」と呼ばれて忌嫌われていたのです。

義理の妹である美枝子の話によれば、美代子は我慢することが出来ない性格で、集めた金はすぐにパチンコやギャンブル、旅行や宝石などにつぎ込み、湯水のように使っていたということから、あまり計画性は無かったのかもしれません。ここでは、もう少し角田美代子について考察していきます。

マインドコントロールに長けていた角田美代子

Eye Iris Pupil - Free photo on Pixabay (474943)

角田美代子は、マインドコントロールに長けていたと言われていますが、被害者家族の中にも逃走した者が何人もいることを考えれば、心の弱い一部の人間には効果があったという程度でしょう。

誰かを殴らねば、今度は自分が殴られてしまう、虐待や死体遺棄などに少しでも係わってしまえば、自分も罪に問われるかもしれない、また暴力団が押しかけてくるかもしれないという恐怖など、弱い心や恐怖心が強い人にとって、角田美代子の洗脳は効果を発揮するのです。

怒鳴り方に威勢があっても、いくら取り巻きがいたとしても、相手は60代の女です。隙を見て、被害者の男達が一斉に角田に反撃をすれば、ここまで大きな事体にはならなかったでしょう。また、罪を隠そうとする弱い心ではなく、居直れるくらいの強い気持ちがあれば、脅されたりすることも無かったかもしれません。

計画性の高さから暴力団幹部が黒幕との噂も

Gangster Cool Urban - Free photo on Pixabay (474996)

角田美代子は幼い頃は弱虫で泣き虫だったと、昔を知る人は話していました。しかし、とある時期に暴力団幹部のMという男と知り合ったことにより、マインドコントロールのやり方などを学んだと言われているのです。

冒頭でもお伝えしましたが、この国は戦後GHQ(ユダヤコミンテルン)が置いていった、工作員代わりの在日朝鮮人や在日韓国人、そして中国共産党員のスパイなどが闇世界も支配しており、当然暴力団にも多く存在していました。

国民分断方法として、ユダヤコミンテルンが考えた方法は、世界中で踏襲されており、ターゲットにされた国や人種は団結しないように、家庭や学校、医者、弁護士、マスコミ、官僚に政治家などにも入り込み、二元論で対立を常に煽ります。○○VS○○の法則は、禁煙や男女、与党野党など、多岐にわたり今も使われているのです。
Protest Action Group Of - Free photo on Pixabay (475042)

戦後この国は、団結してまた歯向かって来ないように、あらゆる分断方法や恫喝、ハニートラップ、差別利権などを使い、在日朝鮮人や在日韓国人、それに従う反日左翼の日本人達がこの世を未だに仕切っています。その為、警察が手を出せない闇の部分はまだまだ多いのです。

話が逸れてしまいましたが、あなたの周りにもいないでしょうか?陰口や告げ口をして、仲良しの2人や3人のグループを壊そうとする人や、弱い者にはとことん強く出る人、大きな声でこちらが呆れるまで口撃する人などがいれば、その人はなりすまし日本人かもしれません。

角田美代子は少なくとも、家庭を分断させる方法は知っていましたが、計画的だったとは言えないでしょう。しかし、弱い人間を見抜く目は長けていたと感じます。そして、彼女の生い立ちから見えてくるのは、やはり家族の愛に飢えていたことや、幸せそうな家庭が羨ましかったという本音です。

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