目次
- 兵庫県で起こった惨い事件
- 多くの犠牲者を出した
- 疑似家族での生活
- 親族同士の男女に眼の前で性行為を強要
- 警察の初動調査の遅れが事件の深刻化を招いた
- 尼崎事件の関連人物
- 主犯女の義理の妹
- 主犯女の内縁の夫
- 主犯女の義理の長男
- 主犯女の次男
- 主犯女の義理の従兄弟
- 主犯女の同居人女性
- 主犯女の同居人男性
- A家(母/長男/次男)
- B家(母/母の長男の長男)
- 主犯女の義理の長男の兄
- C家(母/長男/次男/次女/孫)
- D家(母/長女/次女/父の兄)
- E家(父/母)
- F家(母/長女)
- 尼崎事件の経緯
- A家母失踪事件をきっかけに
- B家母不審死事件・B家母の長男の長男転落死
- C家母死体遺棄
- D家父の兄死体遺棄
- A家長男転落死、保険金詐欺
- D家母連れ去り事件
- 主犯女の同居人女性死体遺棄
- D家長女死体遺棄
- D家母不審死
- A家次男の死体遺棄
- F家母死体遺棄事件
- C家長男、母年の年金窃盗
- B家乗っ取り(1998年3月~)
- 親族同士で虐待をそそのかす
- 様々な手段で金を奪う
- B家親族は共同生活を強いられる
- 異常事態に近所の人も気づいていた
- C家・D家乗っ取り(2002年~)
- 主犯女がC家親族らを連れて押し掛ける
- D家が主犯女に2000万円を渡す
- C家母が死亡
- D家にC家の親族を呼び居座らせる
- D家父が監視の隙を付いてD家母らを逃がす
- E家・F家乗っ取り(2009年~)
- E家父を引っ越しさせる
- F家の母が連れ戻される
- 自殺直前で警察が駆けつけ自体は収束
- 角田美代子の生い立ち
- 2度の離婚を経験
- 家は裕福であった
- 背乗りを利用していた
- 裁判の判決
- F家母死亡・死体遺棄事件裁判
- 主犯女の次男被告裁判
- 主犯女の同居人男性被告裁判
- 義理の妹、内縁の夫、義理の長男
- 義理の従兄弟
- D家次女被告裁判
- 尼崎事件のその後
- 角田美代子は自殺
- 警察は広域相談指導係を新設
- 精度が高く計画性があった事件
- マインドコントロールに長けていた角田美代子
- 計画性の高さから暴力団幹部が黒幕との噂も
via pixabay.com
皆吉家と谷本家が被害に遭うのは、2002年(平成14年)の頃でした。元々、角田美代子とは余り関係の無い家でしたが、たまたま皆吉家の長男が、中学時代の後輩の妻だった美代子や、美代子の内縁の夫である鄭頼太郎とも知り合いで、2001年(平成13年)頃に再会してしまいます。
更に、悪いタイミングが重なり、同時期に角田美代子は、李正則と知り合いになりました。最初は人をたらしこめる為に、コミュニケーション能力は高い美代子は、李正則の生い立ちを聞き出すことで、彼の義理の父親が皆吉家の長男だったということに気が付いてしまうのです。
李正則は、幼い頃在日韓国人の母親と、義父であった皆吉家の長男に育てられていましたが、高校卒業後、鉄鋼メーカーに就職した頃に、両親が李正則名義で借金をしていたことが判明します。そこから悪の道へと転がって行くのですが、その結果角田美代子の手下となっていきました。ここでは、皆吉家と谷本家がどのように乗っ取られていったのかを説明します。
更に、悪いタイミングが重なり、同時期に角田美代子は、李正則と知り合いになりました。最初は人をたらしこめる為に、コミュニケーション能力は高い美代子は、李正則の生い立ちを聞き出すことで、彼の義理の父親が皆吉家の長男だったということに気が付いてしまうのです。
李正則は、幼い頃在日韓国人の母親と、義父であった皆吉家の長男に育てられていましたが、高校卒業後、鉄鋼メーカーに就職した頃に、両親が李正則名義で借金をしていたことが判明します。そこから悪の道へと転がって行くのですが、その結果角田美代子の手下となっていきました。ここでは、皆吉家と谷本家がどのように乗っ取られていったのかを説明します。
主犯女がC家親族らを連れて押し掛ける
via pixabay.com
皆吉家の長男は、学校公務補の仕事をしていたようですが、角田美代子に退職を勧められ、やはり退職金も取り上げられてしまいます。更に、皆吉家の長男と次男は、角田美代子のマンションで共同生活を強いられ、軟禁状態にされました。
この時、李正則も一緒に住んでおり、度々皆吉家の長男は母に「角田美代子に借金がある」と金の無心をして、皆吉ノリさんと次女が金策に走っていたとも言われています。
2003年(平成15年)2月になって、正月に実家に帰省していた皆吉家の長女でもあり、谷本明さんの妻でもあった初代さんから、夫に泣きながら「迎えに来て」と電話がきたことで、明さんは皆吉家に向かったのです。その時すでに居座っていた角田美代子から、李正則の更生の為に預かってくれとしつこく頼まれ、明さんは李正則を一度谷本家に連れて帰りました。
この時、李正則も一緒に住んでおり、度々皆吉家の長男は母に「角田美代子に借金がある」と金の無心をして、皆吉ノリさんと次女が金策に走っていたとも言われています。
2003年(平成15年)2月になって、正月に実家に帰省していた皆吉家の長女でもあり、谷本明さんの妻でもあった初代さんから、夫に泣きながら「迎えに来て」と電話がきたことで、明さんは皆吉家に向かったのです。その時すでに居座っていた角田美代子から、李正則の更生の為に預かってくれとしつこく頼まれ、明さんは李正則を一度谷本家に連れて帰りました。
D家が主犯女に2000万円を渡す
via pixabay.com
李正則は、角田美代子が帰った後、谷本家で風俗の金をせびったり、家の中で暴れたりと角田の指令通りの暴君っぷりを見せていました。
谷本明さんは、「もう面倒を見切れない」と、角田に李正則を引き取りに来てくれと連絡したのです。連絡を受けて谷本家を訪れた角田は、10人程の男達を連れて現れました。
そして、そのまま居座り谷本家の親族も集めて、またしても家族会議を始めます。角田は李正則の更生を放棄したことや、皆吉家の長男の借金などを理由に、谷本家にも金策に走らせて2000万円も奪い取りました。
谷本明さんは、「もう面倒を見切れない」と、角田に李正則を引き取りに来てくれと連絡したのです。連絡を受けて谷本家を訪れた角田は、10人程の男達を連れて現れました。
そして、そのまま居座り谷本家の親族も集めて、またしても家族会議を始めます。角田は李正則の更生を放棄したことや、皆吉家の長男の借金などを理由に、谷本家にも金策に走らせて2000万円も奪い取りました。
C家母が死亡
via pixabay.com
40日間居座った後、角田は初代さんと明さんを離婚させます。そして母初代さんと、娘の茉莉子さん、瑠衣さんを連れ、角田は自宅へと戻って行きました。
この間、皆吉ノリさんと皆吉さんの次女は自宅にいたはずですが、知らぬ間にどちらも行方不明になっていたのです。次女はどうしているのかは不明ですが、皆吉ノリさんは角田達に連れて行かれており、2003年(平成15年)3月頃に暴行や虐待などによる衰弱死をしていました。
この間、皆吉ノリさんと皆吉さんの次女は自宅にいたはずですが、知らぬ間にどちらも行方不明になっていたのです。次女はどうしているのかは不明ですが、皆吉ノリさんは角田達に連れて行かれており、2003年(平成15年)3月頃に暴行や虐待などによる衰弱死をしていました。
D家にC家の親族を呼び居座らせる
via pixabay.com
家族が皆連れて行かれてしまった谷本明さんの元へ、約1か月後に角田美代子から電話が来ました。元妻となってしまった初代さんが「だらしがないから迎えに来い」という内容だった為、明さんは尼崎の角田の家まで初代さんを迎えに行きました。
明さんは高松にある自宅に帰り、妻を取り返してホッとしたのも束の間、直後に角田美代子は明さんの娘である、茉莉子さんと瑠衣さんを引き連れ明さんの家にやってきたのです。「挨拶をしなかった」という理由で、娘達2人に父母を暴行をさせ軟禁しました。
美代子はすぐに、李正則や皆吉家の長男、次男、そして明さんの兄の隆さんなどを谷本家に呼びつけ、そのまま居座り始めたのです。
明さんは高松にある自宅に帰り、妻を取り返してホッとしたのも束の間、直後に角田美代子は明さんの娘である、茉莉子さんと瑠衣さんを引き連れ明さんの家にやってきたのです。「挨拶をしなかった」という理由で、娘達2人に父母を暴行をさせ軟禁しました。
美代子はすぐに、李正則や皆吉家の長男、次男、そして明さんの兄の隆さんなどを谷本家に呼びつけ、そのまま居座り始めたのです。
D家父が監視の隙を付いてD家母らを逃がす
via pixabay.com
谷本家に角田美代子らが居座ってから約3か月経った頃、明さんは監視の隙を付いて、元妻の初代さんと長女の茉莉子さんを逃がしました。
先程も述べたように、初代さんはしばらく住み込みの旅館で働き、身を隠すことに成功していましたが、その後発見されて衰弱死させられています。長女の茉莉子さんは、逃走後すぐに発見され、暴行を受けてやはり亡くなってしまいました。
逃がしたことで、明さんも激しく暴行を受けることになり、次女の瑠衣はすっかり角田に洗脳されてしまっていたことから、家を諦め、2003年(平成15年)9月に脱出に成功し親戚の家に潜伏していました。ある程度時間を置き、自宅の様子を見に行ったところすでに家には誰もおらず、兄の隆さんも連れていかれていたのです。
先程も述べたように、初代さんはしばらく住み込みの旅館で働き、身を隠すことに成功していましたが、その後発見されて衰弱死させられています。長女の茉莉子さんは、逃走後すぐに発見され、暴行を受けてやはり亡くなってしまいました。
逃がしたことで、明さんも激しく暴行を受けることになり、次女の瑠衣はすっかり角田に洗脳されてしまっていたことから、家を諦め、2003年(平成15年)9月に脱出に成功し親戚の家に潜伏していました。ある程度時間を置き、自宅の様子を見に行ったところすでに家には誰もおらず、兄の隆さんも連れていかれていたのです。
E家・F家乗っ取り(2009年~)
via pixabay.com
E家こと川村家と、F家こと大江家の乗っ取りが、角田美代子達の犯行の最後となりました。何度か触れていますが、この一家は、2009年(平成21年)4月、当時阪神電鉄に勤めていた川村博之がクレーム対応したことから、角田美代子のターゲットにされてしまいます。
「ベビーカーが挟まった」というクレーム対応後も、川村は上司と共に何度も角田の家に謝罪する為、通うはめになりました。その側には必ず李正則を控えさせ、「この子はヤクザだ」と恫喝しつつも、角田は川村が駅で1度も時計を見なかったことや、真摯な対応などを褒め、川村に取り入ることに成功したのです。
心を許した川村はやがて、喫茶店をやりたいという夢や、家族のことなどを話し始め、角田は川村家に出入りするようになりました。最終的には、川村の妻である裕美さんの実家である大江家も巻き込み始めます。ここでは、川村家と大江家を乗っ取るまでの角田の動きを説明していきます。
「ベビーカーが挟まった」というクレーム対応後も、川村は上司と共に何度も角田の家に謝罪する為、通うはめになりました。その側には必ず李正則を控えさせ、「この子はヤクザだ」と恫喝しつつも、角田は川村が駅で1度も時計を見なかったことや、真摯な対応などを褒め、川村に取り入ることに成功したのです。
心を許した川村はやがて、喫茶店をやりたいという夢や、家族のことなどを話し始め、角田は川村家に出入りするようになりました。最終的には、川村の妻である裕美さんの実家である大江家も巻き込み始めます。ここでは、川村家と大江家を乗っ取るまでの角田の動きを説明していきます。
E家父を引っ越しさせる
via pixabay.com
家の乗っ取りを開始する為には、まずは家族の分断を始めるのは同じです。川村家と懇意になった角田は、夢をちらつかせながら、やはり川村博之に退職を勧めました。
川村家と大江家は、二世帯住宅に住んでいましたが、妻とも知り合いになった後、角田は川村がかつて浮気をしていたこと、約束を破って競馬に行ったなどの愚痴を聞き、またしてもこの夫婦に離婚するように仕掛け、家族会議という名の軟禁生活を開始させます。
2010年(平成22年)夏頃から、まずは川村博之を角田のマンション近くのワンルームに引っ越しをさせ、退職金を奪い取り、2011年(平成23年)11月に裕美さんと離婚させたのです。しかし、角田はこのワンルームに大江さんと元妻、そして子供2人も呼び寄せ、連日の家族会議を始めました。
川村家と大江家は、二世帯住宅に住んでいましたが、妻とも知り合いになった後、角田は川村がかつて浮気をしていたこと、約束を破って競馬に行ったなどの愚痴を聞き、またしてもこの夫婦に離婚するように仕掛け、家族会議という名の軟禁生活を開始させます。
2010年(平成22年)夏頃から、まずは川村博之を角田のマンション近くのワンルームに引っ越しをさせ、退職金を奪い取り、2011年(平成23年)11月に裕美さんと離婚させたのです。しかし、角田はこのワンルームに大江さんと元妻、そして子供2人も呼び寄せ、連日の家族会議を始めました。
F家の母が連れ戻される
via pixabay.com
F家の母、大江和子さんは途中で、「これ以上はこの暮らしに耐えられない」と親戚の家に逃げ、この生活から離脱していました。しかし、2011年(平成23年)6月頃、角田達に発見され連れ戻されてしまいます。
狭いワンルームマンションの中に、大江和子さんと長女の香愛さん、次女であり川村家の妻でもある裕美さん、そして夫の川村博之さんと、子供2人が閉じ込められます。更にそこへ角田美代子や李正則、手下にされていた他の家の人なども入り込み、暴行や食事睡眠、トイレなどの制限などの虐待が行われていたのです。
子供2人はいつしか角田に懐き、角田のマンションに連れていかれていましたが、大江和子さんは暴力のターゲットにされてしまい、2011年(平成23年)9月11日(日)に死亡してしまいました。そして、遺体をドラム缶にコンクリートを詰められ貸倉庫に放置されていたのです。
狭いワンルームマンションの中に、大江和子さんと長女の香愛さん、次女であり川村家の妻でもある裕美さん、そして夫の川村博之さんと、子供2人が閉じ込められます。更にそこへ角田美代子や李正則、手下にされていた他の家の人なども入り込み、暴行や食事睡眠、トイレなどの制限などの虐待が行われていたのです。
子供2人はいつしか角田に懐き、角田のマンションに連れていかれていましたが、大江和子さんは暴力のターゲットにされてしまい、2011年(平成23年)9月11日(日)に死亡してしまいました。そして、遺体をドラム缶にコンクリートを詰められ貸倉庫に放置されていたのです。
自殺直前で警察が駆けつけ自体は収束
via pixabay.com
大江和子さんが死亡してしまうと、次のターゲットは大江家の長女である、香愛さんになりました。エスカレートする暴行に香愛さんは耐え切れなくなり、川村が寝込んだ隙を見て、2階の窓から飛び降り逃走することに成功します。
香愛さんが逃げ出したことで、事件の発覚を恐れた角田達は、なんと川村夫婦に自殺を強要したのです。遺書を書かせ、事件の責任を被せた上で、車で海に飛び込めという命令をした角田達と共に、車にいたところを警察に発見され、2011年(平成23年)11月4日(金)、ようやくこの一連の事件は終止符を打つことになりました。
香愛さんが逃げ出したことで、事件の発覚を恐れた角田達は、なんと川村夫婦に自殺を強要したのです。遺書を書かせ、事件の責任を被せた上で、車で海に飛び込めという命令をした角田達と共に、車にいたところを警察に発見され、2011年(平成23年)11月4日(金)、ようやくこの一連の事件は終止符を打つことになりました。
角田美代子の生い立ち
5 / 7