2019年7月13日 更新

尼崎事件の概要とその真相とは!裁判の判決とその後についても

主犯格の自殺で闇に葬られた尼崎事件を覚えていますか?親族同士での暴行や性行為などで精神を崩壊させ、金や家を乗っ取る様は、人々に恐怖心を与えました。今回は、黒幕と背乗り疑惑があり、更に警察もグルと言われる尼崎事件の真相と、裁判判決や事件のその後を紹介します。

目次

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1948年(昭和23年)に角田美代子は兵庫県尼崎市に産まれました。父親は建設現場の人材を手配する手配師をしており、母親は芸者だったと言われています。

両親は角田が幼い頃に離婚し、角田は父親に引き取られて育ちました。角田の家は裕福だったと言われ、金に困ることは無い生活をしていたのですが、彼女は中学時代からクレーマー体質で、子分のような者を引き連れてあちこちに因縁を付けるような人だったのです。

ここでは、角田美代子の生い立ちを、簡単に紹介していきます。

2度の離婚を経験

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角田美代子は、地元の小中学校を卒業後、私立の女子高へと進学しますが、1学期中に辞めてしまいます。中学時代も、ほとんど学校には来ておらず、目を付けた女子をすぐに恫喝するなど元々素行は悪かったようです。

高校を中退してすぐに、美代子は最初の結婚をしますが離婚。更に、もう1度結婚しますが、これも長くは続かずに離婚してしまったのです。

美代子は18歳頃から、スナックを開店し、管理売春などもして稼ぎ始めていました。のちに義妹となる美枝子も、ソープランドで働かされるようになり、美代子に多額の金を貢ぐ暮らしをしていたのです。

家は裕福であった

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先程も少し触れましたが、美代子の家庭はお金に困っていなかったと言われています。しかし、両親共に美代子には無関心で、放任されて育っていました。

小さい頃は泣き虫で弱気な子供だったとも言われていますが、中学時代からグレ始めたのは、両親の関心を向けたかったのかもしれません。

金には困らずとも、のちに執着とも言えるほどの金の無心や、家庭クラッシャーに変化していくのは、もしかすると普通の家庭が羨ましく、そして妬ましく感じていたからということも考えられるでしょう。

背乗りを利用していた

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冒頭でも背乗り(はいのり)について説明しました。背乗りだけではなく、元々GHQ(ユダヤコミンテルン)の日本人分断工作員として放置されてきた、在日韓国人や在日朝鮮人は、日本名をたくさん利用する習性があります。在日中国人は、意外とこの通名制度を利用しません。

その為、今もなお日本人のフリをして凶悪犯罪を犯す在日は多いのですが、それとは別のやり方に、背乗りがあるのです。こちらは、戸籍や家を奪い取り、その家の日本人に成りすますという方法です。

角田はスミダと呼びますが、これは在日がよく使う通名の1つです。角田美代子は、父親に引き取られていたので本来は、月岡という姓を名乗っていたのですが、何故か母方の姓を使って後半の人生を過ごしています。また、内縁の夫である鄭も東(アズマ)という姓を名乗っていたこともあることから、いかに在日朝鮮人や韓国人が通名を日常的に利用しているということが窺えます。
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角田美代子が通名を利用していたということも考えられますが、背乗りも疑われています。背乗りは、戦後の混乱期に、疎開に行って留守中の家や、一家全滅してしまった家など多くが乗っ取られてしまいました。

311の際も、行方不明になっていた人が突如現れ、住民票を作り直そうとするような怪しい輩がいたのです。戦後であれば、もっと容易く乗っ取ることが出来たでしょう。パチンコ屋が一等地にあるのも、それが理由です。

話は逸れましたが、何故角田美代子が背乗りを疑われるかと言えば、彼女が逮捕された際にマスコミが最初に流した写真が、角田とは全く別人の写真だったからです。その後すぐに写真がすり替えられ、報道では何事も無かったかのように、最初に報道した写真とはまるで違う角田美代子の顔写真を報道しました。このことで、背乗りが疑われているのです。

裁判の判決

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主犯格の角田美代子が自殺してしまったことで、裁判は残された角田ファミリーとなった者達に対して行われました。実行部隊ではありますが、元々は恫喝や洗脳を受けてしまった被害者の立場もあって、裁判が長引いたものもあったのです。

更に被害者家庭が多いことで、裁判も複雑なものとなりました。角田美代子が生きていれば、もう少しスッキリとした解決が出来ただけに、何とももやもやするのが尼崎事件と言えるでしょう。ここでは、そんな尼崎事件の裁判判決について紹介していきます。

F家母死亡・死体遺棄事件裁判

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尼崎事件に係わる裁判で、一番始めに行われたのは、事件発覚のきっかけとなった大江和江さんに対する傷害致死罪、監禁罪、死体遺棄罪などの裁判が開かれました。

被告になったのは同じく被害者でもあった、大江香愛、大江裕美、川村博之の3人です。争点となったのは、家族でもあり被害者でもあるこの3人が、角田美代子によって洗脳され、善悪を判断する能力が無くなるほどの心神喪失状態だったのか?または、自主的に悪意のある行為をしたのか?ということです。

2013年(平成25年)9月25日(水)~10月31日(木)までの間に、計13回の公判が神戸地裁で開かれました。結果、一審判決で川村博之には懲役3年6ヶ月、娘の香愛は懲役3年執行猶予4年、裕美には懲役2年執行猶予3年の実刑判決が下されます。3人とも不服申し立てをして控訴をしますが、最終的に川村だけは3年執行猶予5年に減刑されましたが、娘2人は上告するも棄却され、刑期は第一審の判決で確定されました。

主犯女の次男被告裁判

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次に行われた裁判での被告は、角田美代子の義理の妹が産んだと言われ、美代子の次男として育てられた角田優太郎です。

彼は1件の死体遺棄罪のみを認めましたが、2件の殺人罪やその他の罪は避妊していました。初公判は、2014年(平成26年)11月19日(水)に、神戸地裁で開かれました。

2015年(平成27年)3月18日(水)、神戸地裁は全ての事件を有罪として、懲役17年の判決が下され決定したのです。この裁判では、控訴されずにあっさりと一審判決で終了しています。

主犯女の同居人男性被告裁判

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続いて行われたのは、角田美代子の同居人だった仲島康司被告の裁判です。第一回公判は、2015年(平成27年)1月29日(木)、神戸地裁で開廷しました。

中島被告は、橋本次郎さんの死亡・死体遺棄罪については認めましたが、その他の皆吉(谷本)初代さん、安藤みつゑさんの死亡・死体遺棄罪は認めずに「共謀であり、幇助だった」と訴えます。

しかし、2015年(平成27年)3月19日(木)、神戸地裁は懲役15年の実刑判決を下し、こちらも控訴せず一審で刑が確定しました。

義理の妹、内縁の夫、義理の長男

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次に開かれた裁判は、角田美代子の義理の妹である角田美枝子、内縁の夫である鄭頼太郎、そして被害者家庭でもあり、角田美代子の遠縁の猪俣家から、美代子の義理の息子となった角田健太郎の3人が被告となりました。

2015年(平成27年)5月13日(水)、神戸地裁で第一回公判が開かれます。この3人は、殺人罪など9つの罪で起訴されていたようですが、詳細は分かっていません。資料として確認出来るものは、美枝子の夫にさせられた橋本家の長男、久芳さんの自殺強要や殺人については否認し、橋本家次男の次郎さんの死亡・死体遺棄については認めたということです。

また、久芳さんの保険金詐欺についても認めています。2015年(平成27年)9月16日(水)、神戸地裁は3人に対して、懲役21年の判決を下しましたが、鄭被告と健太郎は控訴したのです。健太郎はすぐに控訴を取り消しますが、鄭は不服を申し立て上告します。しかし、最高裁はこの上告を棄却し刑が確定されました。

義理の従兄弟

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