2019年7月15日 更新

リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の犯人市橋達也の生い立ちと現在

「市橋達也」を皆さんは覚えているでしょうか。2007年の凶悪な殺人犯。「市橋達也」に狂わされた、親や姉の現在は?殺人犯にファンがいた?動機は?下された判決は?「市橋達也」の生い立ちや事件の詳細を詳しくまとめました。今だから明るみになった真実を見ていきましょう。

目次

裁判では、殺意がなかったのなら3分間も首を絞めるという行為はしないはずだ、と検察側が主張してきました。しかし、その主張に対し「市橋達也」は、リンゼイさんが抵抗したから咄嗟に絞めてしまった、その後焦って人工呼吸をした、と主張してきました。

そして、担当の弁護士には「自分の言っていることは事実なのに、どうして信頼できないと言われるのか」などと怒りを抑えながら話したといいます。

暴行目的で家に連れてきたわけではない

Bad Apartment Natural Stone - Free image on Pixabay (438801)

リンゼイさんを殺害した事件では「市橋達也」が、リンゼイさんに性的暴行を加えたことも事件のポイントとして言われてきました。裁判でも争点とされた暴行。「市橋達也」の供述は、暴行を目的として家に連れてきたわけではなく、あくまでレッスン料を渡したくて家に寄ってもらった。そう発言しています。

では、なぜ性的暴行に及んだのか、との質問には、好意を寄せていた知り合いの白人女性にリンゼイさんが似ていて欲求を抑えきれなかった、と答えています。しかし、「市橋達也」は暴行目的ではなかったと最後まで強く主張していたとされています。

毛布をかけてあげた

Sunday Bed Lazing Around - Free photo on Pixabay (438876)

「市橋達也」の自宅マンションへリンゼイさんがレッスン料を貰いに行った際に行われた性的暴行後、浴室を和室へ移動した「市橋達也」は、洋服を着ていなかったリンゼイさんに自分の洋服や毛布を上からかけてあげたとも供述しています。寒そうだったからと。

衝動的に性的暴行をしたと主張している「市橋達也」は、暴行をしたあと一度冷静になり毛布などをかけてあげたと主張したかったのだと思います。

拘束を解くこともあった

Bath Tub Bathroom - Free photo on Pixabay (438882)

監禁の際、結束バンドなどを使い拘束をしていたとされていますが、それについて「市橋達也」は、監禁の最初から最後までを拘束をしていたわけではなく、一時的に拘束を解いていたと主張しています。拘束を解いた際には、リンゼイさんと英会話や様々な話をし、喉が渇いたというリンゼイさんにジュースなども飲ませたとされています。

他にも、口をふさいだ際に絡まってしまった髪の毛を切ったらリンゼイさんに怒られた、なども供述したと言われています。逮捕直後は、黙秘していた「市橋達也」も、時間が経つにつれ少しづつ供述するようになってきたのです。

逮捕後の市橋達也について

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (439293)

2009年11月、長い逃亡生活が終わりを迎えた「市橋達也」は、逮捕後どのような様子だったのでしょうか。何名もの捜査員を振りほどき、日本警察・国民の目から逃げ続ける日々は、精神的にも体力的にもダメージがあったことでしょう。

「市橋達也」は何を語り、どのような態度だったのでしょうか。逃亡生活に終わりがきて、逮捕された「市橋達也」の様子をまとめてみました。ご覧ください。

2週間の絶食

Fence Freedom Prison - Free photo on Pixabay (439294)

逮捕されてから2週間、「市橋達也」は食事を摂ろうとはしませんでした。食事を摂らなかった2週間の間の事情聴取は、黙秘を続け、リンゼイさんを殺害した動機について何も語らず、警察も困っていました。しかし、「市橋達也」が食事を摂らなくなって2週間経った時、昼食にでた≪豚の生姜焼き弁当≫を初めて口にしたのです。

その昼食を口にしてから、供述も少しづつしてくるようになりました。しかし、2週間もの間、警察の厳しい取り調べを毎日受け、食事もとらないというのは、普通の精神力では簡単なことではありません。「市橋達也」は、その2週間もの間なにを思い、何を考えていたのでしょうか。

「殺意はなかった」

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (439296)

「市橋達也」は、逮捕されてから裁判まで、強く最後まで主張していたことがあります。それは【殺意はなかった】ということ。リンゼイさんに対して、本当に英会話を教えてもらうつもりだった、ただ仲良くなりたかった、殺すつもりではなかった、これらを最後まで言っていたと言います。

また、裁判でも、「殺意はなかったが、結果的にリンゼイさんを死なせてしまった。その責任は取るつもりです。」そう、裁判で言いました。この際、「市橋達也」の目には、涙が溜まっていたそうです。

当時の交際女性の証言

Person People Man - Free photo on Pixabay (439346)

「市橋達也」の印象は、運動神経が良く、頭脳明細、多少切れやすい、そんな周りからの印象がありました。しかし、恋人というものは、友達や家族に見せない別の一面を出すものです。さて、「市橋達也」は恋人にはどのように接していたのでしょうか。

事件当時、「市橋達也」には交際していた恋人がいました。リンゼイさんを殺害し、多くの捜査員を振り切った際、その恋人に一番に連絡をしたと言われています。その恋人は、裁判でも証言台にたって発言しています。では、さっそく「市橋達也」の恋人から見た「市橋達也」とはどのような人物だったのか見ていきましょう。
Lonely Man Sitting - Free photo on Pixabay (439710)

恋人が語った「市橋達也」は、スポーツ万能で、成績優秀、など周りから見た「市橋達也」となんの変りもなかったようです。しかし、その反面、頭が切れる分悪知恵が働いたり、両親が医者なこともあり、なんでも手に入ると思っていたり、仕事をしなくてもお金が手に入る、そのような一面もあったようです。

そして、精神面では空手を学んでいたこともあり、強かったと話しています。やはり、精神的に強く忍耐があったのは昔からだったということでしょう。外国の女性への興味もあった、と恋人は主張しました。

市橋達也に下された判決とは

Historical Historic Courthouse - Free photo on Pixabay (439768)

「市橋達也」は逮捕され、徐々に事件について話し始めてきて、リンゼイさんとの間にあったことや事件の詳細などが明るみになり始めました。そして、運命の時がやってきます。「市橋達也」の判決が決まる裁判です。起訴内容は、殺人罪・強姦致死罪・死体遺棄罪でした。遺族は、「市橋達也」の死刑を求めましたが、検察側は無期懲役を結果的に求めるという判決でした。

しかし、「市橋達也」と「市橋達也」の弁護団共に、殺意はなかった、と強く主張します。そして、裁判所は「市橋達也」には前科がなく死刑に値するものではないと、判断し、検察側が求めた【無期懲役】という判決を下しました。

事件後の市橋達也の家族

Geese Goose Family - Free photo on Pixabay (439811)

リンゼイさんを殺害し、世間を騒がせた事件を起こした「市橋達也」は、今までの恵まれた人生から一変、殺人犯という人生を送ることになりました。しかし、人生が変わってしまったのは「市橋達也」だけではありません。それは、「市橋達也」の家族です。

「市橋達也」が事件を起こしてしまったことで、血のつながりのある家族の人生も変えてしまうことになりました。「市橋達也」は、本人も含め四人家族。父親、母親、姉がいます。事件後、家族はどのように扱われ、どのような人生を歩むことになってしまったのでしょうか。

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