目次
- 961日間、逃亡し続けた殺人犯「市橋達也」
- リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の概要
- リンゼイさんが行方不明の相談を受ける
- リンゼイさん宅を捜索
- 市橋達也の電話番号・メールアドレス・似顔絵メモを発見
- 市橋達也の家宅捜査へ急行する
- 捜査員が部屋に入ろうとするが市橋は逃亡、取り逃がす
- 浴槽の内部でリンゼイさんの遺体を発見
- 潜んでいた市橋は一度は羽交い絞めにされるが逃亡
- 市橋達也の逃走劇の幕開けに
- 市橋達也の生い立ち
- エリート一家に誕生
- 小学生時代
- 中学生時代
- 高校時代
- 大学生時代
- 事件の背景
- 親所有のマンションに住み家賃はタダだった
- 仕送りだけで生活を送っていた
- 事件直前に父親に仕送り停止を通告されていた
- マンションを出て行くように言われていた
- 市橋達也とリンゼイさんの出会い
- 3月20日に市橋がリンゼイさんに声をかける
- リンゼイさんに対し「英語を教えて欲しい」
- リンゼイさんが市橋を家に招く
- 英語を教えてもらう代わりに似顔絵を描く
- 連絡先の交換をする
- 1時間3500円の英語個人レッスンを約束
- 3月25日喫茶店で英語のレッスンが行われる
- 市橋達也がリンゼイさんを殺害するまでの経緯
- レッスン料を忘れたと自宅に招く
- 部屋に入ると押し倒し拘束、性的暴行を働く
- 浴槽を和室に移動させ監禁
- 市橋が0時頃に交際相手にメールで連絡
- 26日逃亡しようとしたリンゼイさんを窒息死させる
- 死亡確認後ホームセンターで道具を購入
- ベランダに遺体の入った浴槽を移動し土を投入
- リンゼイさんの司法解剖の結果
- 舌骨骨折
- 皮下出血
- 頚部圧迫による窒息死
- 市橋達也が事件を起こした動機
- リンゼイさんと親密な関係になりたかった
- 市橋達也の逃亡劇の全貌
- 逃走時の所持金は5万円だった
- 当時交際していた女性に連絡をとる
- 自転車・自動車を利用し秋葉原へ
- 障害者用トイレで鼻翼を縫って縮めた
- 北関東から熱海・青森へ
- 四国へ向かいお遍路を歩く
- 無人島生活の為にオーハ島へ
- サバイバルの本を参考に生活
- 沖縄本島の建設会社で労働者として働く
- 資金稼ぎには住み込み労働をする為に大阪へ行っていた
- 名古屋で眉間の形成手術を行う
- ほくろを切り落とし、下唇をはさみで切る
- 名古屋で美容整形を行った際、不審に感じたスタッフが通報
- 抜糸の際に市橋は現れなかった
- 美容整形医院が顔写真を警察に提出、公開へ
- 写真を見た雇用主の建設会社が警察に通報
- フェリーの乗り場のスタッフが市橋を発見、通報
- フェリー乗り場に滞在する市橋の身柄が確保される
- 市橋達也の供述
- 帰してあげたかった
- 人工呼吸をした
- 暴行目的で家に連れてきたわけではない
- 毛布をかけてあげた
- 拘束を解くこともあった
- 逮捕後の市橋達也について
- 2週間の絶食
- 「殺意はなかった」
- 当時の交際女性の証言
- 市橋達也に下された判決とは
- 事件後の市橋達也の家族
- 父親
- 母親
- 姉
- ファンクラブまで作られた「市橋達也」
- 水嶋ヒロに似ていると話題に
- スペックが高いからと人気に
- 無罪を信じているファン
- 「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」を出版
- 2011年1月26日に幻冬舎から出版
- 2011年7月までに印税は1100万円に
- 912万円を遺族に渡したいと伝えるが拒否される
- 周囲が語った市橋達也の性格
- 母親が語る性格
- 恩師が語る性格
- 市橋達也は現在も服役中
- 風化してはいけない残酷な事件
「市橋達也」の自宅から発見された、捜索中の女性の遺体が発見されたことにより、容疑者となった「市橋達也」。犯行の詳しい状況も掴めぬまま、逃亡したことにより、世間は大変驚きました。共に、警察のミスだと、警察はバッシングを受けることになります。
たくさんの捜査員の手を振りほどき、日本中を不安と恐怖にさせた「市橋達也」当時28歳でした。2007年3月26日、全力で現場から逃げだした「市橋達也」の逃亡劇はここから幕開けとなるのです。
たくさんの捜査員の手を振りほどき、日本中を不安と恐怖にさせた「市橋達也」当時28歳でした。2007年3月26日、全力で現場から逃げだした「市橋達也」の逃亡劇はここから幕開けとなるのです。
市橋達也の生い立ち
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「市橋達也」によるリンゼイ・アン・ホーカーの殺害の概要を少しは把握して頂けたでしょうか。事件は、「市橋達也」が逃亡したことにより、真実が謎めいたまま、解決できない状況が続きます。そして、ここから長い長いとうが幕開けとなるのです。
その逃亡劇をご紹介する前に、殺人犯となり日本中を騒がせた「市橋達也」の生い立ちを振り返ってみましょう。女性を無残に殺害し961日間もの間、日本警察を振りほどき、長い逃亡生活を送った「市橋達也」とは一体どのような環境で育ち、どのような人物だったのでしょうか。
その逃亡劇をご紹介する前に、殺人犯となり日本中を騒がせた「市橋達也」の生い立ちを振り返ってみましょう。女性を無残に殺害し961日間もの間、日本警察を振りほどき、長い逃亡生活を送った「市橋達也」とは一体どのような環境で育ち、どのような人物だったのでしょうか。
エリート一家に誕生
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昭和54年(1979年)生まれで身長180㎝の長身、それが、今回の事件の容疑者「市橋達也」です。「市橋達也」は、幼少期から何不自由なく育ちます。「市橋達也」の父親は外科部長、母親は歯科医と両親共に医者の、俗に言う【エリート一家】。
「市橋達也」本人の学歴も高学歴で、彼のIQは抜群に高いと言います。両親ともに医者で、彼自身高学歴なはずですが、何故か大学を卒業してから一度も就職に就くことはありませんでした。誰から見ても、エリート一家。「市橋達也」は、そんなエリート一家の長男として育ちます。
「市橋達也」本人の学歴も高学歴で、彼のIQは抜群に高いと言います。両親ともに医者で、彼自身高学歴なはずですが、何故か大学を卒業してから一度も就職に就くことはありませんでした。誰から見ても、エリート一家。「市橋達也」は、そんなエリート一家の長男として育ちます。
小学生時代
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「市橋達也」の母親の実家は岐阜県で、小学校時代は岐阜県で育ちました。「市橋達也」は、運動神経が抜群で、勉強もでき、何をしても上手にこなす器用な少年だったようです。運動や勉強ができるため、他の子供より目立っていた「市橋達也」ですが、小学校の同級生は口を揃えて「キレると怖い」「怒らせたら何をするかわからない」などと言うのです。
その理由は、「市橋達也」の通知表に「がんばりましょう」と書かれていた時、担任の先生の前で通知表を破り捨てるなどの行為があったため。また、小学校の卒業文集では、【夢はオリンピックに出ること、生まれ変わったら・・秀才になりたい】と書いています。
その理由は、「市橋達也」の通知表に「がんばりましょう」と書かれていた時、担任の先生の前で通知表を破り捨てるなどの行為があったため。また、小学校の卒業文集では、【夢はオリンピックに出ること、生まれ変わったら・・秀才になりたい】と書いています。
中学生時代
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「市橋達也」の中学校時代は、小学生時代と同じく、勉強も大変よくでき頭がいいと評判でした。そのため、先生からも好かれており、学校での立場も不自由ないものでした。また、部活動もバスケ部に所属し、副キャプテンを務めるなど目立つ存在だったのです。
リーダー気質なところもあり、明るい性格だったことも加え、男女問わず人気があり友達関係は良好でした。しかし一方で、同級生からは「怒りっぽいやつ」など、小学校時代から変わらず、【きれやすい】【怖い】などのイメージのままだったようです。
リーダー気質なところもあり、明るい性格だったことも加え、男女問わず人気があり友達関係は良好でした。しかし一方で、同級生からは「怒りっぽいやつ」など、小学校時代から変わらず、【きれやすい】【怖い】などのイメージのままだったようです。
高校時代
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高校の進学先は、県内有数の進学校。高校に入学するときには既に、【医者になる】という目標が「市橋達也」の中にはありました。高校の中でも成績優秀者しか所属できない国立大学理系学部志望クラスに所属し、勉強を頑張っていたようです。勉強以外にも、足の速さを生かし、陸上部に入部するなど、文武両道な高校生活を送ります。
しかし、高校でも友達からは、【自我が強い】【お山の大将】【自分の自慢しかしない】【人の上に立ちたがる】など言われていて、裏では≪嫌な奴≫と思われていたようです。
しかし、高校でも友達からは、【自我が強い】【お山の大将】【自分の自慢しかしない】【人の上に立ちたがる】など言われていて、裏では≪嫌な奴≫と思われていたようです。
大学生時代
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小学・中学・高校と順風満帆な学生時代を送ってきた「市橋達也」ですが、大学時代で初めての挫折を味わうことになります。それは、【大学受験失敗】。医者になるのを目標に頑張ってきた「市橋達也」ですが、第一志望だった医学部の受験に失敗してしまうのです。
そして、四浪し千葉大学園芸学部に入学します。大学では、空手部に入部。空手をしている「市橋達也」の態度は、とてもまじめで、空手の能力も高く、ここでも運動神経の良さが光っていたようです。また、大学では留学生の交流会のリーダーを務めるなど、この時から外国人に興味があったのではないかと言われています。
そして、四浪し千葉大学園芸学部に入学します。大学では、空手部に入部。空手をしている「市橋達也」の態度は、とてもまじめで、空手の能力も高く、ここでも運動神経の良さが光っていたようです。また、大学では留学生の交流会のリーダーを務めるなど、この時から外国人に興味があったのではないかと言われています。
事件の背景
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先程の記事では、「市橋達也」の生い立ちを簡単に説明してきました。「市橋達也」の育ちや環境、学校生活など、何一つとして不自由なく、むしろ、順調な生い立ちだと言えるでしょう。しかし、周りから見れば順調な人生でも、犯罪に手を染めたのには「市橋達也」の人生の背景に、様々な事情があるからなのです。
今回の事件の背景には、どのような事情があったのでしょう。「市橋達也」が起こした事件の詳しい背景をご説明していきたいと思います。
今回の事件の背景には、どのような事情があったのでしょう。「市橋達也」が起こした事件の詳しい背景をご説明していきたいと思います。
親所有のマンションに住み家賃はタダだった
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「市橋達也」の自宅はマンションでした。殺害当時の「市橋達也」は無職です。お金もないのにマンションに住めた理由は、そのマンションは「市橋達也」の医者である両親所有のマンションだったからです。
そして、両親や周りには、庭園デザイナーを勉強したい、そう説得し、親の所有するマンションで生活を送っていました。しかし、実際のところ、実現のために勉強をしたり行動したりなど、「市橋達也」が夢の為に動こうという姿勢は見られませんでした。
そして、両親や周りには、庭園デザイナーを勉強したい、そう説得し、親の所有するマンションで生活を送っていました。しかし、実際のところ、実現のために勉強をしたり行動したりなど、「市橋達也」が夢の為に動こうという姿勢は見られませんでした。
仕送りだけで生活を送っていた
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四浪し入学した千葉大学園芸学部を、「市橋達也」は26歳(2005年)に卒業しましたが、就職もアルバイトもしない日々を送っていました。どうやって生活していたかというと、医者である両親からの仕送りで生活を成り立たせていたのです。両親には、「まだ勉強したいことがある」そう言い仕送りを懇願していたようです。
この仕送りは、リンゼイさん殺害当時まで続いていたと言います。仕送りの金額は15万円。15万もの金額は、一生懸命アルバイトをしても簡単に手に入る金額ではありません。この15万円もの仕送りを普通に手にしていた「市橋達也」は、何でも簡単に手に入る、そう思っていたことでしょう。
この仕送りは、リンゼイさん殺害当時まで続いていたと言います。仕送りの金額は15万円。15万もの金額は、一生懸命アルバイトをしても簡単に手に入る金額ではありません。この15万円もの仕送りを普通に手にしていた「市橋達也」は、何でも簡単に手に入る、そう思っていたことでしょう。
事件直前に父親に仕送り停止を通告されていた
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