2019年6月2日 更新

アイルトンセナの衝撃の事故とその後!ヘルメットがオークションに?

伝説的なF1レーサーとして名を馳せ、レース中の衝突事故で非業の死を遂げたアイルトン・セナ。あの悲劇から20年以上経った今でも、遺品のヘルメットがオークションに出展されるなど、セナの世界的人気は今もなお衰えません。ここではセナの生涯や事故原因を解説していきます。

目次

歴代の搭乗F1マシンは以下の通り。

【トールマンTG183(1984)】
セナがF1デビュー時に乗ったマシン。カーボンファイバーモノコック(骨組みに炭素繊維を用いたもの)製で、旧式のTG181よりもエンジンの信頼性が向上しています。
第5戦からは後継者のTG184に乗り換えました。

【ロータス97T(1985)】
チーム・ロータスに移籍後、セナが乗ったF1マシン。これにより、ロータスは3年ぶりのチーム優勝を果たしました。

【ロータス98T(1986)】
97Tの発展型。タイトル争いに最終戦まで絡む活躍を見せました。

【ロータス99T(1987)】
念願のホンダエンジンを搭載したF1マシン。しかしトラブルが多発し、戦績は振るいませんでした。

【マクラーレンMP4/4(1988)】
マクラーレン所属のマシン。セナはこれで8勝を上げ、初のドライバータイトルを獲得しました。

【マクラーレンMP4/5(1989)】
MP4/4の発展型。翌年にはMP4/5Bという改良モデルも投入されました。

【マクラーレンMP4/6(1991)】
ホンダV12エンジンを投入した最初のマクラーレン車。当時のエンジンはパッケージ型が主流になりつつあったため、調整に若干の不備を残しました。

【マクラーレンMP4/7(1992)】
1992年シーズン第3戦ブラジルGPから最終戦まで実戦投入されたF1マシン。セナはシーズンを通して3勝するも、計7回もリタイアを喫してしまいました。

【マクラーレンMP4/8(1993)】
MP4/7の発展型で、フロント周りの空力デザインに改良が加えられています。フォードHBエンジンを搭載した事でホンダパワーが失われたものの、軽量化によって想定以上のポテンシャルを発揮しました。

【ウィリアムズFW16(1994)】
チーム・ウィリアムズが投入したF1カー。空力と安定性に優れるも、セナを事故死させる悲劇のマシンとなっていまいました。

アイルトンセナ、事故死の経緯

Levitation Stuntman Stunt - Free photo on Pixabay (334063)

数々のレースで華々しい成績を打ち立て、ワールドチャンピオンの座を不動の物としたアイルトン・セナ。

ところが『イモラの悲劇』と称される1994年サンマリノグランプリの第3戦。首位を独走していたセナの車が突如コースアウト。クラッシュを起こし、帰らぬ人となってしまいます。

あらゆる手を尽くしても防げなかったセナの死。ここでは事故の経緯、レース前日のセナの精神状態、死因の内容について詳しく紹介していきます。

サンマリノグランプリ

Black Flag Formula - Free vector graphic on Pixabay (334066)

サンマリノグランプリは1994年5月1日、イタリアのイーモラにある『イモラ・サーキット』で開催された世界選手権です。アイルトン・セナら多くの事故者を続出させたことから、BBCの解説者マレー・ウォーカーに「私の知る限り、グランプリレース史上で最も悲しい日」と形容されました。

こうした経緯から、最終的に優勝を勝ち取ったミハエル・シューマッハでさえ「満足感もなく、ハッピーでもない」と、自身の成果を素直に喜べませんでした。

また、このレースはカースポーツの安全性を重視する転換期にもなりました。F1マシンのスピード制御、サーキット場を安全基準に満たすための改修、ドライバーのサイドプロテクター設置などはその一例です。

予選1日目の大クラッシュ

Headlamp Accident Auto - Free photo on Pixabay (334069)

4月29日。レースのスタート順位を決める最初の予選中、ルーベンス・バリチェロの車が時速225kmで縁石に乗り上げ、タイヤバリアの金網に衝突。マシンが地面で数回も横転するほどの大事故になりました。

事故後メディカルセンターに搬送されたバリチェロですが、幸いにも大事には至らず、翌日にはサーキット場でドライバーズミーティングに出席しました。

参加選手の一人だったデイモン・ヒルは事故から10年経過した後、当時の気持ちについて「我々は戦車並に頑丈なクルマに乗っているんだ、多少不安に感じても怪我等しない、と自身に言い聞かせて予選を続行した」と述懐しています。

予選2日目に12年ぶりの死亡事故

Car Accident Broken Glass Splatter - Free photo on Pixabay (334071)

二日目の予選。シムテック所属のローランド・ラッツェンバーガーがカーブを曲がり切れず、時速310kmでコンクリートウォールに激突。病院に搬送されるも、ほぼ即死の状態でした。

この事故は関係者に激しい衝撃を与えました。レース中の死亡事故が起こったのは実に12年ぶりで、またカーボンモノコック製のF1マシンは極めて安全性が高く、死亡事故など起こりえないと言われていました。

これらの事件でセナは心理的に追い詰められ、電話で恋人アドリアーナに「走りたくない」と話していたことが後に明かされています。夜には落ち着きを取り戻し「心配しなくていい、僕はとっても強いんだ」と語ったそうです。
Cemetery Grave Graves - Free photo on Pixabay (341739)

当時の医療チームリーダーだったシド・ワトキンス教授は、泣き崩れるセナに翌日のレース出場を辞退するよう言い聞かせました。

「君は何をしなければいけないんだ。既に3度も世界チャンピオンになり、間違いなく一番速いドライバーだ。もうやめにして、釣りにでも行こう」

これに対し、セナは「シド、僕らの手にはどうしようもないことがある。僕はやめることは出来ない。続けなければならないんだ」と、レース続行の意志を固めるのでした。

セナの事故死は3日目に起きた

Lost Found And - Free photo on Pixabay (334073)

3日目の朝。セナはかつての宿敵であり、今はTF1のレース解説者を務めるアラン・プロストと再会。「こんにちは、僕らの親愛なる友人アラン。君がいなくなって僕たちは寂しいよ」と述べ、アランを感激させました。

その後、セナは他のドライバーたちとF1の安全性向上を目指したグループ(GPDA)の再結成について議論し、自分がリーダーになることを決意しました。
Stop Sign Character - Free image on Pixabay (342055)

ラッツェンバーガーの死を悼む形で、レースは彼の26番グリッドを空ける形でスタートしました。

その直後、J.J.レート車のエンジントラブルが原因でペドロ・ラミー車が追突。マシンパーツが飛び散り、9名の観客が軽傷を負う事態になりました。

セーフティカーが破片を回収した後、レースは無事再開するかに思われましたが・・・。

312km/hでコースアウト

Auto Ferrari Red Motor - Free photo on Pixabay (334075)

レース再開から2周後。首位を独走していたはずのセナ車が、コーナーで直線的にコースアウト。時速312km/hでコンクリート・ウォールに激突してしまいます。

14時17分。競技場には赤肌が振られ、レースは即時中断。ワトキンス教授が駆けつけ、救命スタッフによってセナが救護される様子は、上空のヘリコプターから全世界にテレビ放送されました。
First Aid Rescue Victims - Free photo on Pixabay (342249)

レースは37分後に再開されますが、その後もミケーレ・アルボレート車のリアタイヤがピットスタッフを直撃するなど事故が多発。試合は最後まで不穏な様相を呈しました。

アイルトン・セナの死が発表されたのは、レースが終了してから約2時間後のことでした。

脳死状態に

Brain Inflammation Stroke - Free image on Pixabay (334077)

セナの頭部には目に見える損傷があり、重篤な頭部外傷であると医療班に判断されました。気管切開手術を担当したワトキンス教授は、後にこう報告しています。

「彼は穏やかな表情をしていた。まぶたを引き上げて瞳孔を確認すると、脳に大きな損傷があるのがわかった。私たちはコックピットから彼を引き上げ、地面に寝かせた。この時、彼はため息をついた。私は信心深い人間ではないが、その瞬間に彼の魂が旅立ったのだと感じた」

死亡原因が定かでなくとも、ワトキンス教授はセナが死亡した事を悟っていました。

死因の詳細

Glass Window Rosette Church - Free photo on Pixabay (334081)

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