2019年6月14日 更新

瀬戸内シージャック事件の概要!犯人川藤展久の生い立ちや動機とその後

瀬戸内シージャック事件は当時20歳であった川藤展久という男性により起きた事件です。当時、日本中を震撼させ恐怖に陥れました。被害の中で死亡者は出なかったものの、多くの被害者を出しました。今回は川藤展久が起こした事件・川藤展久の生い立ちなどについて紹介をします。

目次

一般人を狙撃する

Soldier Uniform Army - Free photo on Pixabay (385397)

瀬戸内海で逃走を続ける川藤展久は、逃走中に偶然にもモーターボートで楽しそうに遊んでいた一般人を発見します。そして川藤展久はその一般人2名に対しても銃口を向け、狙撃をしたのです。

川藤展久は追ってくる警官・自分を報道しているラジオ・ゆっくりとしか進むことのできない船に対して大きな苛立ちを覚えていたのでしょう。そんな身勝手な気持ちのせいで、事件に何もかかわりの無い人々が命の危機に晒されてしまったのです。

一般人を狙撃する姿を目の当たりにした、船長・乗組員・乗客は「次は自分なのではないか」と大きな不安・恐怖を抱いたことでしょう。

セスナ機を銃撃する

Military Raptor Jet F-22 - Free photo on Pixabay (385398)

一般人を狙撃した後、川藤展久はぷりんす号上空を飛んでいた飛行機の音を気にするようになりました。そしてライフルを持ちながら空の下へと現れた川藤展久は、地元の中国新聞・中国放送がチャーターをしたセスナ機を銃撃したのです。

弾丸がセスナ機に当たったものの墜落など、銃による被害者を出すことはありませんでした。が、セスナ機を後に確認した際に燃料タンクに弾丸が当たっており、燃料が漏れ出していることが発覚しました。被害はなかったものの最悪の場合、セスナ機が墜落をしていた可能性もあったのです。川藤展久は銃の扱いが上手かったのか、偶然にも燃料タンクに当たったのかは定かではありません。

乗客を解放する

Airport Transport Woman - Free photo on Pixabay (385399)

ぷりんす号は船長の「燃料が無いので給油しなくてはならない」という内容の誘導により、松山観光港に午後9時40分ごろに入港することになりました。交渉役として、ぷりんす号の船長であった男性が選ばれたのです。その時の交渉内容は「代わりの船か給油をさせれば乗客を解放する」といった内容でした。県警は給油をさせることを選びました。

給油の際に乗組員に扮した警察官を船に乗せようとの計画を立てますが、船長は「油をつんでも、人間はつむなと要求されている」「川藤展久は警戒をしている。助かる命が助からなくなってしまう可能性もある」と言われ、計画を断念することになりました。

そして川藤展久は交渉内容通り、乗客全員を解放しました。が、船長を含む乗組員は解放されることはありませんでした。そして事件発生の翌日の午前0時50分ごろ松山観光港を出発したのです。

逮捕された仲間を連れて来いと要求

Man Boy Portrait - Free photo on Pixabay (385401)

ぷりんす号は松山観光港を出発した後、一時は来島海峡に向かい今治市沖に到達しました。到着するや否や、針路を変えて午前8時50分に広島港に戻ったのです。川藤展久は、警察に向けて「逮捕された仲間を連れて来い」と要求しました。

川藤展久がシージャック事件を起こす前に、共に行動をしていた仲間です。この仲間は、シージャックを起こす前に既に逮捕されていました。シージャックをしている時間の経過と共に、川藤展久に恐怖・心細さが芽生えていたのでしょうか。人質が半数以上減ったこともあり、焦りもあったのかもしれません。

が、実は川藤展久が仲間を連れてくるように申し出たのは理由がありました。シージャックを行う前、警察を刃物で刺した川藤展久でしたが、報道では仲間が警察を刃物で刺したというような報道がされていたのです。その報道を正すべく、仲間との合流を求めていたのです。

父親・姉が投降を呼びかける

Bullhorn Communication Female - Free vector graphic on Pixabay (385403)

13日未明には、川藤展久の父親・姉が川藤展久に投降するように呼びかけました。実の息子・実の兄弟が「まさかシージャックを行うとは」という気持ちがあったことでしょう。これ以上の被害者を出さない為にも、そして何より川藤展久自身の為にも投降をしてほしかったというのが家族の願いだったのです。

罪を重ねるごとに川藤展久へ向けられる世間の目はより冷たく、罪の重さはどんどん重くなっていきます。家族は川藤展久が投降したあとの帰る場所を必死に作ろうとしていたのです。5月というまだ肌寒さが残る中、川藤展久の父と姉は必死に手を差し伸べていたのです。

呼びかけ虚しくライフル乱射

Silhouette Soldier Gun - Free vector graphic on Pixabay (385404)

そんな家族の思いが川藤展久に届くことはありませんでした。父と姉の呼びかけには応じる事なく、そんな光景を目の当たりにし逆に刺激をされてしまったのか、「帰れ」という声とともに家族、そして周囲に向けてライフル銃を乱射しました。

この時に川藤展久が放った銃弾は、警察官に当たり重傷を負ったのです。そして強行偵察中であった警察のヘリコプターも狙撃され、墜落寸前と追い込まれました。「逮捕された仲間を連れて来い」という要求に対し「分かった」と要求を飲んだ警察でしたが、一向に連れて来る気配は無かったといいます。多くの苛立ちがライフル乱射への行動となったのでしょう。

「警察隊と撃ち合いになって死にたい」

Air Force Academy Cadet Military - Free photo on Pixabay (385405)

広島港に戻った川藤展久は船長に「警察隊と撃ち合いになって死にたい」という要求を伝えるように指示をしました。そして船長は警察に要求を伝えたのです。川藤展久は既に逃げられないことを予感していたのでしょうか。

「死ぬくらいなら大きいことをやりたい」というような途方も無い夢を持っていたのかもしれません。川藤展久が以前より銃に興味を抱いていたなどの情報はありません。多くの発砲を繰り返している中で、銃に対する意識が変わっていったのでしょうか。警察への憎悪が生み出した感情だったのでしょうか。

狙撃隊員が川藤を狙撃する

Submachine Gun Rifle Automatic - Free photo on Pixabay (385406)

瀬戸内シージャック事件を引き起こすまでの犯行、瀬戸内シージャック事件での犯行で、川藤展久に対して殺人未遂罪・強盗罪・公務執行妨害罪・逮捕監禁罪・艦船損壊罪・器物損壊罪・強要罪・暴力行為等処罰に関する法律および航空法違反の罪が重なっていました。

そんな川藤展久は広島港に戻ったにも関わらず、再びぷりんす号を出航させる気があることを船長に伝えました。それを聞いた県警はこれ以上の被害をおそれ、県警本部長が現場確認をした上で「場合によっては緊急避難借置として射殺も致し方ない」とし、発砲を許可しました。

午前9時52分、武器を持っていない川藤展久が船のデッキに出て何かを叫んでいる際、40mほど離れた防波堤で定期をしていた選ばれた大阪府警察の狙撃手が川藤展久に向け、一発射撃をしました。弾丸を受けた川藤展久は、衝撃によりその場に崩れ落ちたのです。

左胸部に銃弾が貫通する

Man Muscle Fitness - Free photo on Pixabay (385408)

崩れ落ちた川藤展久の左胸部には狙撃手が打ち込んだ銃弾が貫通していました。崩れ落ちた後も、ライフルに手をかけ立ち上がろうという動きを見せますが、痛みに耐え切れず倒れこみました。狙撃手が川藤展久を狙撃した瞬間は、テレビによって生中継されていました。

多くの人々が瀬戸内シージャック事件に関心を寄せており、生中継をリアルタイムで見た人も大勢いました。人が銃を撃ち込まれる瞬間を見たことのある人はごく稀でしょう。多くの人々はこの衝撃的な光景が鮮明に脳裏に焼きついていることもあり今現在も忘れられない、過去のハイジャック事件となったのです。

搬送され緊急手術を受けるも川藤死亡

Surgery Hospital Doctor - Free photo on Pixabay (385410)

川藤展久の崩れ落ちた姿を確認した警察一同は、ぷりんす号へ一斉に突入しました。そしてすぐさま川藤展久をパトカーで病院に搬送をしたのです。「どうしてこのような事件を起こしてしまったのか」「事件を起こすとき何を考えていたのか」など、多くの疑問が残されていました。

川藤展久が生きていなければこの事件の真相にたどりつく事はできないと考えた警察は、川藤展久の命を救おうと必死だったのです。狙撃手が撃ち放った銃弾は、川藤展久の横隔膜を通り肝臓を貫通していました。大動脈も切断されていたといいます。

病院に運ばれた川藤展久は緊急手術を受けますが、手術の甲斐虚しく5月13日の午前11時25分川藤展久は死亡しました。

3 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪

日本や世界の不思議な事件まとめ!中には未解決の事件も?

日本や世界の不思議な事件まとめ!中には未解決の事件も?

日本や世界では不思議な事件が多く起きています。未解決の事件もたくさんあり、発生理由がわからなかったり行方不明のまま見つからなかったりするものもあります。どのような事件が起きているのか日本編と世界編に分けて詳しくご紹介していきます。
光市母子殺害事件の詳細と判決!大月孝行の壮絶な生い立ちと現在は?

光市母子殺害事件の詳細と判決!大月孝行の壮絶な生い立ちと現在は?

1999年に発生した光市母子殺害事件の犯人は大月孝行(旧姓・福田)という男性でした。犯人の男は18歳という若さで主婦・乳幼児を殺害したのです。今回は光市母子殺害事件について詳細を紹介すると共に、死刑に至るまでの経緯、そして大月孝行の生い立ちを紹介して参ります。
ホモフォビアの意味と原因とは?同性愛の歴史と日本で起きた事件

ホモフォビアの意味と原因とは?同性愛の歴史と日本で起きた事件

性について寛容と言われる日本でも多く存在する『ホモフォビア』という思想をご存じでしょうか。同性愛などの性的思考と関係が深いその言葉が生まれた歴史的背景や、原因について、また世界での捉え方も同時に触れて、性的志向への議論に関しても考えて行きます。
アメリカの有名ギャング「アル・カポネ」の生涯!逮捕された理由とその後も

アメリカの有名ギャング「アル・カポネ」の生涯!逮捕された理由とその後も

アル・カポネは、20世紀のアメリカを代表するギャングです。アメリカで禁酒法が施行された時代に犯罪組織の近代化に成功し、絶大な権力を誇りました。その影響は現在まで続いています。今回は、アメリカ史上最も有名なギャング、アル・カポネの生涯に迫ります。
底なし沼は日本にも実在する?沼の仕組みや脱出法と死亡事故も

底なし沼は日本にも実在する?沼の仕組みや脱出法と死亡事故も

底なし沼は国外だけのものではなく、日本にも実在しています。ここでは、底なし沼の深さや仕組みについて解説、脱出方法・救助方法や悲しい死亡事故、また、底なし沼がある場所の特徴や底なし沼がでてくる映画や童話なども紹介していきます。

この記事のキーワード