2019年6月14日 更新

瀬戸内シージャック事件の概要!犯人川藤展久の生い立ちや動機とその後

瀬戸内シージャック事件は当時20歳であった川藤展久という男性により起きた事件です。当時、日本中を震撼させ恐怖に陥れました。被害の中で死亡者は出なかったものの、多くの被害者を出しました。今回は川藤展久が起こした事件・川藤展久の生い立ちなどについて紹介をします。

目次

瀬戸内シージャック事件で被害者の中に死者は出なかったものの、最終的に民間人の5人が重軽傷を負うことになりました。そして攻防中に川藤展久が放った流れ弾を受けた警官がいました。

その警官は半身不随になってしまう被害を受けてしまったのです。半身不随とは、体の左右のいずれかが麻痺して思うように動けなくなってしまうことをいいます。リハビリなどで改善をすることも可能ですが、後遺症として何らかの症状が残ってしまうことがほとんどです。

事件のその後、狙撃手は弁護士に訴えられることに

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犯人死亡により瀬戸内シージャック事件は終息へと向かっているかに思われていました。近隣住民やメディアで事件を確認していたひとのほとんどがそう思っていたでしょう。ですが実際は、瀬戸内シージャック事件は終わっていなかったのです。

犯人の死亡は警察の狙撃によるものでした。「近隣住民が被害に合うかもしれない」「死者が出てしまうかもしれない」という精神で動いていた警察でした。犯人への狙撃は致し方なかった行為ともいえるでしょう。どうにかして犯人を逮捕したかったのです。

ですが、犯人が狙撃手に撃たれ緊急手術が行われ、死亡が確認されて「犯人死亡」と報道されてから、世間の声は一気に変わってしまいました。

マスコミからの誹謗中傷

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犯人の狙撃に成功をした狙撃手は、周囲から賞賛の声を投げかけられることとなりました。ですが、犯人の死亡が確認された後にはマスコミからの誹謗中傷が後を絶たなくなってしまったのです。

「本当に殺すべきだったのか」「生かしておいてもよかったのではないか」「犯人は更正の余地があったのではないか」「狙撃手の狙撃は正しかったのか」など多くの意見が飛び交いました。マスコミは狙撃手の顔・氏名などを公表。多くのバッシングが狙撃手へと注がれたのです。狙撃手は多くのバッシングを受け、精神的にも追い込まれていったといいます。

「射殺は見せしめ」と問題視される

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さて、犯人である川藤展久は狙撃手の活躍により逮捕に至ります。瀬戸内シージャック事件は幕を閉じたのです。狙撃の瞬間、多くのメディアで生中継放送されていました。大きな銃声と共に川藤展久は船の上で倒れこみます。

逮捕後、緊急手術が行われますが死亡が確認されました。そのような結果に周囲は「射殺は見せしめだったのではないか」と疑問を抱く声も多く出てきたのです。画面を通していた狙撃の瞬間が、結果的には射殺の瞬間となってしまっていたからです。

警察は見せしめの為に行ったわけではありません。周囲の安全を確保する為に行った行為だったのです。ですがそのような主張も虚しく、犯人の射殺は大きく問題視されることとなりました。

広島地検に告訴

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犯人の川藤展久を狙撃し、射殺をした警察側は告発をされることになりました。当時の県警本部長・狙撃手を殺人罪などで告発をしたのは札幌弁護士会所属であった弁護士の2名でした。この弁護士は北海道自由人権協会にも所属していました。

広島地検は狙撃手の行為を警察官職務執行法第7条と刑法36条の正当防衛及び刑法35条正当行為とし、不起訴処分にしました。瀬戸内シージャック事件を取り上げたとある番組で犯人射殺について船長は「犯人への狙撃は仕方ない。やむを得ない」と語りました。告発により、狙撃手は長期休職の上に退職をすることとなりました。

犯人遺族の言葉

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犯人川藤展久の父・姉は、川藤展久がシージャック事件を起こしている最中、投降するように呼びかけました。ですがその呼びかけ虚しく、銃を乱射。多くの人を傷つける事態となってしまったのです。

狙撃手が川藤展久の狙撃を行った瞬間。犯人の家族達は何を思ったのでしょう。これまでの育児の仕方、接し方、多くの後悔を胸に抱いていたことでしょう。「更正をしてくれたら」という願いもあったはずです。が、川藤展久は警察の狙撃後間もなく死亡。そんな悲しすぎる事件の終結に犯人の遺族である父親はこう言葉を残しています。

「死んでくれてせめてもの償いができた。警察に抗議するつもりはない」この言葉を聞いた国民、マスコミは犯人の射撃についてどんどん沈静化していきました。

瀬戸内シージャック事件を起こした動機

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犯人・川藤展久はどうして瀬戸内シージャック事件を起こしてしまったのでしょうか。川藤展久は幼少時から周囲も認める「悪」でした。が、どんな事件にも「きっかけ」はあります。いくら悪とは言え、すべての人がシージャック事件を起こすのかと言ったらそれは違います。

川藤展久の行動は常に計画性のないものばかりでした。犯人死亡により瀬戸内シージャック事件を起こした動機は語られることはありませんでした。が、事件を振り返った犯罪心理学者など専門家の意見が出始めると、どうして川藤展久が瀬戸内シージャック事件を起こしたのかが浮き彫りになってきたのです。

警官を襲ってしまった

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川藤展久が瀬戸内シージャック事件を起こした大きなきっかけは「警官を襲ってしまった」ということです。川藤展久が福岡県にて乗用車を窃盗し、窃盗車を運転している際に警察に窃盗車であることがバレてしまいます。

バレたときに猟銃で警官を脅し、ナイフで警官を刺してしまっています。殺人未遂罪を起こしてしまったという事実が川藤展久の心に染み付いていたのでしょう。「何を起こしても大きな罰で裁かれてしまう」という意識が生まれていたのでしょう。罪から逃げられない気持ちが瀬戸内シージャック事件を起こしてしまうきっかけとなってしまったのです。

よど号ハイジャック事件

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瀬戸内シージャック事件が起きる2ヶ月前「よど号ハイジャック事件」が発生していました。よど号ハイジャック事件とは、1970年3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空便ハイジャック事件です。日本でのハイジャック事件の始まりは「よど号ハイジャック事件」でした。

7時33分羽田空港発板付空港行きの日本航空351便が富士山周辺を飛行中、日本刀・拳銃・爆弾などを持った犯人グループは9人によってハイジャックされました。よど号は北朝鮮へ向かい、平壌市内のホテルに収容されました。犯人の数名は羽田空港に帰着をしましたが、残る数名は北朝鮮への亡命を成功させました。

事件から30年絶ったあと、老後の不安から無罪帰国を希望しているとも言われています。犯人達は現在も国際手配中です。2014年には犯人の一部がツイッターを始めたことでも騒ぎになりました。

川藤展久が残した最期の言葉

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川藤展久は瀬戸内シージャック事件を起こしている最中、耳に残るような言葉を発していました。川藤展久は事件の最中、船長と様々な会話をしていたようです。船長は何度も川藤展久に「こんなことはやめたほうがいい」など、諭すような発言をしていたようです。様々な交渉も船長を通して行われていたということもあり、船長は川藤展久の声を近くで聞いていたのです。

シージャックが行われている際、当時のマイクで川藤展久の声を捉えることは出来ませんでした。また、波の音や銃声・マスコミが手配していた飛行機などの騒音でその声が、こちら側の人間に生で届くことは無かったのです。

近くに居た船長・事件後の解析により分かった川藤展久が残した最期の言葉について紹介をして参ります。

「こらえんぞ!あしたじゅうでやったったらぁ」

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