目次
- 宇都宮病院事件とは?
- 第1の殺人
- 第2の殺人
- 翌年に事件が公に
- 当時の宇都宮病院
- 宇都宮病院の開院
- 無資格の死体解剖
- 作業療法と称して患者に労働させる
- ベッド数を上回る患者数
- 不正経理
- 東大医学部との癒着
- 事件発覚までの院内死
- 事件の背景にあった精神病院の実態
- 精神病院の増加
- 医師や看護師の人員不足や知識不足
- 精神病院の利率のよさ
- 宇都宮病院事件発覚の経緯
- 入院患者の告発
- 調査チームにより事件発覚
- 事件発覚が遅れた理由
- 閉鎖された病院
- 面会の制限
- 外部との連絡も不可能
- 不十分な病院監査
- 事件に対する世間の反応
- 精神保健法が成立
- 世界から非難が殺到
- 宇都宮事件のその後
- 看護職員の判決
- 院長の判決
- 東大医学部の対応
- 現在の宇都宮病院
- 当時の宇都宮病院院長石川文之進について
- プロフィール
- 1人で948人を診察
- ゴルフのアイアンで患者に暴行
- 石川文之進院長の現在
- 事件関連書籍
- 判決東大病院精神科の30年
- 新ルポ精神病棟
- 現在でも問題視されている人権問題
宇都宮病院事件とは?
via pixabay.com
宇都宮病院事件を知っていますか?この事件は、報徳会宇都宮病院という精神科で起きた精神障害者への差別的思考から生じた殺人事件です。現在の精神保健法制定へとつながるきっかけにもなった事件でした。
報徳会宇都宮病院事件とは、どんなものだったのでしょうか。
第1の殺人
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1983年4月24日、当時32歳で統合失調症で入院していた男性患者が、看護職員から鉄パイプで暴行を受け死亡しました。夕飯を食べず残波入れに捨ててしまった患者に腹を立てた看護職員は数発殴打し、その患者は抵抗する中で看護職員の怪我をしていた腕を掴んでしまいます。そのことで更に腹を立てた看護職員は、他患者の前で背中や腰を20分に渡り殴り続けました。
全身を殴打され顔面蒼白となった男性患者は、患者仲間がベッドに運び込みましたが、嘔吐を繰り返し死亡しました。その日の当直医師は石川院長でしたが外出しており不在、看護師が心臓マッサージを繰り返しましたが蘇生することはありませんでした。石川院長は家族に、てんかん発作による心臓衰弱と説明していました。
全身を殴打され顔面蒼白となった男性患者は、患者仲間がベッドに運び込みましたが、嘔吐を繰り返し死亡しました。その日の当直医師は石川院長でしたが外出しており不在、看護師が心臓マッサージを繰り返しましたが蘇生することはありませんでした。石川院長は家族に、てんかん発作による心臓衰弱と説明していました。
第2の殺人
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1983年12月、当時35歳だったアルコール中毒で入院していた男性患者が、見舞いに来ていた家族に対して、病院の待遇についての不満を漏らします。家族が帰宅後にその話を聞いていた古参の患者と口論となり、その口論に看護職員が加わり集団リンチしました。
その結果、翌日までに男性患者は血を吐き死亡しています。石川院長は、遺体には暴行を思わせる傷がなく病死としたと釈明しました。
その結果、翌日までに男性患者は血を吐き死亡しています。石川院長は、遺体には暴行を思わせる傷がなく病死としたと釈明しました。
翌年に事件が公に
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1983年に宇都宮病院で入院していた患者が、東京大学医学部付属病院精神科病棟を訪れ、そのときに、その患者は宇都宮病院内の悲惨な内情を暴露し告発する意思を東大病院に伝えました。告発を受けた東大病院は調査を行い、告発した患者の証言が決め手となり、事件発覚へとつながりました。
1984年3月に朝日新聞が、リンチを受け死亡していたというスクープを報じました。さらには大勢の患者の前でこのようなリンチが日常的に行われていると報じ、世間の注目を浴びることになります。
1984年3月に朝日新聞が、リンチを受け死亡していたというスクープを報じました。さらには大勢の患者の前でこのようなリンチが日常的に行われていると報じ、世間の注目を浴びることになります。
当時の宇都宮病院
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当時の宇都宮病院とは、どんな病院だったのでしょうか。
宇都宮病院の開院
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石川文之進は、1952年(昭和27年)に、石川医院を開院。改組を経て、1961年(昭和36年)に報徳会宇都宮病院を開院しました。石川自身は内科医で、精神科医の経験は無かったものの東大医学部精神科の研究生となり、この指導を通して東大医学部との人脈作りの窓口となっていきました。宇都宮病院開院の翌年には、石川は理事長に就任。1965年(昭和40年)には、精神衛生鑑定医の資格を得ました。
無資格の死体解剖
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宇都宮病院には解剖室があります。
アルコール依存症や薬物依存症といった廃人に近い重症患者を集めてきて、医療費を稼ぎながら、死亡した際は脳を摘出して東大に送っていたのです。「死んでも問題ない患者を集めて、人体実験をしていた」ということかもしれません。
そのでは、脳の収集が行われおり、特異な患者が宇都宮病院に入院し死亡すると、届け出もせず資格のない看護師やケースワーカーが解剖し、回収した脳などをホルマリン漬けにして研究材料として提供していました。
アルコール依存症や薬物依存症といった廃人に近い重症患者を集めてきて、医療費を稼ぎながら、死亡した際は脳を摘出して東大に送っていたのです。「死んでも問題ない患者を集めて、人体実験をしていた」ということかもしれません。
そのでは、脳の収集が行われおり、特異な患者が宇都宮病院に入院し死亡すると、届け出もせず資格のない看護師やケースワーカーが解剖し、回収した脳などをホルマリン漬けにして研究材料として提供していました。
作業療法と称して患者に労働させる
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1970年代になると宇都宮病院は作業療法という名目で入院患者に労働をさせ、患者の処遇の悪化に拍車がかかります。作業療法として患者に自宅や病院の増築・造園を手伝わせ、同族企業の自動車学校やスイミングスクールの用務員として無給で雑役係をやらせていました。乱脈として際立っていたのは、症状の軽い患者を準職員扱いにして、病院業務を手伝わせていました。
患者は白衣を着せられ、食事の配膳・温度版・看護日誌・脳波・心電図さらには注射や点滴などの看護業務までさせていたのです。患者が病院職員と同じ様に働き、患者がいなければ病院は機能しないとまで言われていました。
患者は白衣を着せられ、食事の配膳・温度版・看護日誌・脳波・心電図さらには注射や点滴などの看護業務までさせていたのです。患者が病院職員と同じ様に働き、患者がいなければ病院は機能しないとまで言われていました。
ベッド数を上回る患者数
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摘発を受けた当時の入院患者数は、920床に対して入院患者948人でした。詰め込めるだけ詰め込み、入院環境としては最悪でした。しかも、実質、院長である石川一人で診察を行っていたという有様です。
不正経理
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