目次
- 宇都宮病院事件とは?
- 第1の殺人
- 第2の殺人
- 翌年に事件が公に
- 当時の宇都宮病院
- 宇都宮病院の開院
- 無資格の死体解剖
- 作業療法と称して患者に労働させる
- ベッド数を上回る患者数
- 不正経理
- 東大医学部との癒着
- 事件発覚までの院内死
- 事件の背景にあった精神病院の実態
- 精神病院の増加
- 医師や看護師の人員不足や知識不足
- 精神病院の利率のよさ
- 宇都宮病院事件発覚の経緯
- 入院患者の告発
- 調査チームにより事件発覚
- 事件発覚が遅れた理由
- 閉鎖された病院
- 面会の制限
- 外部との連絡も不可能
- 不十分な病院監査
- 事件に対する世間の反応
- 精神保健法が成立
- 世界から非難が殺到
- 宇都宮事件のその後
- 看護職員の判決
- 院長の判決
- 東大医学部の対応
- 現在の宇都宮病院
- 当時の宇都宮病院院長石川文之進について
- プロフィール
- 1人で948人を診察
- ゴルフのアイアンで患者に暴行
- 石川文之進院長の現在
- 事件関連書籍
- 判決東大病院精神科の30年
- 新ルポ精神病棟
- 現在でも問題視されている人権問題
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宇都宮病院事件により、日本の人権軽視の実状が世界中に知れ渡ることとなり、国際的な問題となりました。当時は、ソビエト社会主義共和国連邦と南アフリカ共和国が、反政府的な市民を抑圧する道具として精神医学を悪用しており、そのことが人権蹂躙と重なっていた時期でした。
1984年8月、国連人権小委員会において国際法上の問題として日本政府は非難されます。1985年5月には、国際法律委員会(ICJ)が、わが国の精神医療の実態を調査するために訪れるなど、宇都宮病院事件は国際問題へと発展しました。
その結果、国連差別防止・少数者保護小委員会(第38回・ジュネーブ)において、日本代表は「精神障害者の人権保護を改善する」ことを明言しました。
その結果、国連差別防止・少数者保護小委員会(第38回・ジュネーブ)において、日本代表は「精神障害者の人権保護を改善する」ことを明言しました。
宇都宮事件のその後
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宇都宮病院事件後、関係者はどうなったのでしょうか。
看護職員の判決
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患者2人の死に関しては傷害致死罪などで4人が起訴されました。そして、1986年(昭和61年)3月20日、宇都宮地方裁判所で判決が下されたのです。
入院患者のKさん殺害を主導した元看護職員のAには、傷害致死と暴行行為等処罰に関する法律違反で懲役4年の実刑判決が下されました。他の元看護職員の2人には、同法律違反で執行猶予つきの懲役3年が言い渡されました。そして、もう1人の元患者は、執行猶予つきの懲役1年6カ月の判決が下されました。死刑には程遠い懲役刑でした。
裁判では、被告側は患者の死は薬の副作用による影響が大きいと主張しましたが、裁判官はそれを認めず、被告たちの暴行と患者の死との間には因果関係があると認定しました。また、この裁判の中では、患者軽視と人権無視の宇都宮病院の経営や看護・治療体制の実態が明らかとなり、それを裁判官が認めることになりました。
入院患者のKさん殺害を主導した元看護職員のAには、傷害致死と暴行行為等処罰に関する法律違反で懲役4年の実刑判決が下されました。他の元看護職員の2人には、同法律違反で執行猶予つきの懲役3年が言い渡されました。そして、もう1人の元患者は、執行猶予つきの懲役1年6カ月の判決が下されました。死刑には程遠い懲役刑でした。
裁判では、被告側は患者の死は薬の副作用による影響が大きいと主張しましたが、裁判官はそれを認めず、被告たちの暴行と患者の死との間には因果関係があると認定しました。また、この裁判の中では、患者軽視と人権無視の宇都宮病院の経営や看護・治療体制の実態が明らかとなり、それを裁判官が認めることになりました。
院長の判決
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石川院長への判決は、懲役1年。罪状は、病院の管理に関する法律違反のみでした。それでも、その判決に不服を申し出た石川院長は控訴します。その結果、最高裁判所は実刑8カ月を言い渡します。
それとは別に、医道審議会では石川院長に、医業停止を2年言い渡しています。
宇都宮病院内での暴行行為・220名に不審死・金銭搾取などが知られているにも関わらず、他の病院が受け入れない患者を受け入れたことが社会貢献と評価され実際に裁判に問われたのは4つ(診療放射線技師および診療エックス線技師法違反・保健師助産師看護師法違反・死体解剖保存法違反・食糧管理法違反)だけでした。
それとは別に、医道審議会では石川院長に、医業停止を2年言い渡しています。
宇都宮病院内での暴行行為・220名に不審死・金銭搾取などが知られているにも関わらず、他の病院が受け入れない患者を受け入れたことが社会貢献と評価され実際に裁判に問われたのは4つ(診療放射線技師および診療エックス線技師法違反・保健師助産師看護師法違反・死体解剖保存法違反・食糧管理法違反)だけでした。
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2件のうち「診療放射線技師および診療エックス線技師法違反」と「保健婦助産婦看護法違反」は、無資格医療行為について問われたものです。事件発生当時、宇都宮病院にはベッド数920床を上回る948人が入院していたにも関わらず、医師は事実上、石川一人で、医療資格のない看護婦や古株の患者に医療行為をさせていました。
石川は「死体解剖保存法違反」でも起訴されています。特異な患者が入院すると、「あの患者の脳は必ずもらえ」と職員に命じ、その患者が死亡すると、看護士やケースワーカーに執刀させ、脳を収集していました。
最後は「食糧管理法違反」です。病院はかなりの面積の農地があり、患者に”作業療法”と称して、農作業をさせていましたが、その収穫物を患者のために消費せず、病院職員に販売させていたことが食管法違反になると判断されました。
石川は「死体解剖保存法違反」でも起訴されています。特異な患者が入院すると、「あの患者の脳は必ずもらえ」と職員に命じ、その患者が死亡すると、看護士やケースワーカーに執刀させ、脳を収集していました。
最後は「食糧管理法違反」です。病院はかなりの面積の農地があり、患者に”作業療法”と称して、農作業をさせていましたが、その収穫物を患者のために消費せず、病院職員に販売させていたことが食管法違反になると判断されました。
東大医学部の対応
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1984.3.21 | 東大精神科医師連合は、第一次公開質問状で、三島済一学部長と原沢道美病院長に提出。新聞報道され、三島学部長及び原沢病院長は調査を開始した。 |
1984.5.14 | 三島学部長は、「斎藤精神科外来医長・浅香精神衛生学教授・武村脳研究施設助教授・池田脳研究施設助手・吉川放射線科助手の5名に厳重注意。逸見精神衛生学教授に注意処分を言い渡した」と発表した。 |
1984.5.31 | 東大精神科医師連合は、第二次公開質問状を提出。宇都宮問題に関与した医師と三島学部長・原沢病院長に公開討論会への出席を求めた。 |
1984.6.7 | 三島学部長は、「宇都宮病院の元入院患者には会いたくない」として、討論会への出席を拒み通した。 |
1984.6.18 | 東大精神科医師連合は、学部長室において、第1回予備折衝を行うが、三島学部長は現れなかったため「座り込み宣言」をして、座り込みを開始。三島学部長は欠勤を続け、東大精神科医師連合に応じない構えを通した。 |
1984.6.27 | 全学有志主催による「6.27三島出てこい全学集会」が開催される。 |
1984.6.28 | 全国「精神病」者集団は、抗議文を出す。 |
1984.7.10 | 第2回予備折衝で、三島学部長は「宇都宮問題に対する東大医学部の社会的責任」を認める。 |
1984.7.11 | 医学部教授会において、三島学部長は「宇都宮問題に対する医学部の責任を認め公開討論会出席」を発表した。 |
1984.7.23 | 討論会「宇都宮病院を考える」が開催。宇都宮病院と東大医師の関与について質疑が行われた。 |
1984.10.4 | 東大精神科医師連合は、脳を違法に解剖していたとされる武村助教授が討論会に一度も出席していないことから、武村助教授の自宅に押しかけ追求行動を行った。 |
1984.10.4 | 武村助教授は「僕だって、一度は話しをしたいと思っていたんだ」として公開討論会を提案。脳研究施設所長と、翌日には医学部長に公開討論会を行うことを報告。(10.18開催予定となる) |
1984.10.15 | 武村助教授は突然、出席拒否を表明し、助教授を辞職し、宇都宮病院の常勤医となった。 |
1984.12.18 | 石川退陣後に、宇都宮病院の院長職についた平畑富次郎は健康上を理由に年内辞職を表明。武村は副院長へ昇格、石川の息子の石川史人が院長に就任した。 |
現在の宇都宮病院
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宇都宮事件後も報徳会宇都宮病院は、廃院することもなく現在も通常運営されています。宇都宮病院のサイトには、宇都宮病院事件のことは一切触れていません。ですが、日本医療機能評価機構の病院機能評価を受審し、認定されたということで、患者さんに安心して利用できるように書いてあります。
しかし、宇都宮病院の口コミはあまり良くないようです。宇都宮事件を知る人からの投稿は悪いのは当たり前ですが、事件を知らない患者や働いていた職員からの評価も、良いものと悪いものがありました。宇都宮病院は精神科の他にも内科や、皮膚科、消化器科などもあるので、現在の宇都宮病院の口コミ評価は科によって差があるのかもしれません。
しかし、宇都宮病院の口コミはあまり良くないようです。宇都宮事件を知る人からの投稿は悪いのは当たり前ですが、事件を知らない患者や働いていた職員からの評価も、良いものと悪いものがありました。宇都宮病院は精神科の他にも内科や、皮膚科、消化器科などもあるので、現在の宇都宮病院の口コミ評価は科によって差があるのかもしれません。
当時の宇都宮病院院長石川文之進について
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院長だった石川文之進とは、どんな人物だったのでしょうか。
プロフィール
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1949年 | 大阪大学付属医学専門部を卒業 |
1950年 | 広瀬医院に勤務 |
1952年 | 石川医院(診療所)開設 |
1955年 | 医療法人大恵会石川病院・院長に就任 |
1958年 | 医療法人大恵会石川病院分院を開設 |
1961年 | 医療法人報徳会宇都宮病院開設・理事長に就任 |
1971年 | 医療法人報徳会宇都宮病院・院長に就任 |
1人で948人を診察
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宇都宮病院事件が発覚した時点で、病院の常勤医師は石川院長の他2名で計3名でしたが、実質的には948名の入院患者を石川院長一人で診ていました。
ゴルフのアイアンで患者に暴行
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