目次
- 宇都宮病院事件とは?
- 第1の殺人
- 第2の殺人
- 翌年に事件が公に
- 当時の宇都宮病院
- 宇都宮病院の開院
- 無資格の死体解剖
- 作業療法と称して患者に労働させる
- ベッド数を上回る患者数
- 不正経理
- 東大医学部との癒着
- 事件発覚までの院内死
- 事件の背景にあった精神病院の実態
- 精神病院の増加
- 医師や看護師の人員不足や知識不足
- 精神病院の利率のよさ
- 宇都宮病院事件発覚の経緯
- 入院患者の告発
- 調査チームにより事件発覚
- 事件発覚が遅れた理由
- 閉鎖された病院
- 面会の制限
- 外部との連絡も不可能
- 不十分な病院監査
- 事件に対する世間の反応
- 精神保健法が成立
- 世界から非難が殺到
- 宇都宮事件のその後
- 看護職員の判決
- 院長の判決
- 東大医学部の対応
- 現在の宇都宮病院
- 当時の宇都宮病院院長石川文之進について
- プロフィール
- 1人で948人を診察
- ゴルフのアイアンで患者に暴行
- 石川文之進院長の現在
- 事件関連書籍
- 判決東大病院精神科の30年
- 新ルポ精神病棟
- 現在でも問題視されている人権問題
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1983年6月29日、安井は交際相手の女性である渡辺美代子との連絡を取ることに成功し、ついに退院。約5年という長い入院期間でした。 安井は、退院後すぐに警視庁目黒署、東京地方検察庁特別捜査部などに宇都宮病院事件における殺人を訴えますが、告訴は拒絶されます。安井は報道機関や国会議員などに連絡を取り、宇都宮病院での出来事を訴え続け、その過程で朝日新聞社や社会党の代議士とつながり、そこから東京大学精神神経病棟へと接点ができていきました。
調査チームにより事件発覚
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安井は、東京大学医学部付属病院精神科病棟を訪れ、宇都宮病院内の悲惨な内情を暴露し、告発する意思を伝えました。告発をうけて東大精神科医師連合は、宇都宮病院問題担当班を設置、弁護士や社会党と協力しながら朝日 新聞宇都宮支部と情報交換を行いつつ社会問題化のための用意を続けました。その間、宇都宮病院で は、1983年8月22日の朝に患者1名が不審死しており、同年12月30日にも患者(前述したアルコール依存患者)が殺害されました。朝日新聞の記者は、鉄格 子の間から患者が紙飛行機にして投げた手紙を見つけ出し、ついに1984年3月14日、記事にこぎつけたのです。
事件発覚が遅れた理由
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事件の発覚が遅れた理由は、閉鎖された空間で起きたことと、宇都宮病院の管理体制に問題がありました。
閉鎖された病院
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事件の背景には、精神科病院内での入院医療の実態が、外部から見えないことが大きな要因としてあります。入院患者の通信・面会の自由が制限されており、入院患者が外部と接触する機会が非常に限られているか、あるいは不可能な状況にあった。た[35]。宇都宮病院に他の病院と同程度の通信・面会の自由があれば、本事件は起きなかったかもしれない
面会の制限
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面会の自由なく制限されていました。家族などとの面会を制限したり、面会する時にはかならず”見張り”の看護職員がついていました。また、手紙についても検閲がなされてたようです。
もし、これで余計な事を口走ったのがばれてしまうと保護室とリンチが待っており、更には入院延長などの処分もあったそうです。
もし、これで余計な事を口走ったのがばれてしまうと保護室とリンチが待っており、更には入院延長などの処分もあったそうです。
通信、面会も厳しくかつ巧妙に制限や妨害をされています。以前に病院から「あいつと会うな」と迫られ、 会えなくさせられた患者さんがいました。しかし面会を続けてきた中で、今では患者さんの方から電話をしてく れるという関係もできてきました。今なお多くの仲間は小遣い銭を持たされていないし、だから電話も自由には かけられません。 更に外出などもいろいろ制限されています。同じ病棟から二人以上一緒でないとダメだとか、傘は「危険だから」 ダメと雨の日は外に出られません。買い物は、三千円以上だと看護人付きでないとダメのようです。そして外出 中は外の仲間と会うことも認めないという有り様です。(宇都宮病院を糾弾する栃木県連絡会議 1989: 4)
外部との連絡も不可能
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宇都宮病院の閉鎖病棟内には、公衆電話(赤電話)が設置されていましたが、病院が入院患者の所持金を管理しており、入院患者に十円硬貨を持たせなかったため、患者が外部と連絡を取ることは不可能でした。
不十分な病院監査
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地方公共団体の行政(都道府県)による病院監査も不十分であったため、実態の把握ができませんでした。さらに、宇都宮病院には「必要悪」としての社会的存在意義が生じており、宇都宮病院では、対応困難と見なされた患者を積極的に受け入れ、収容施設の様相を呈していました。
関東一円の福祉事務所や保健所に「アル中歓迎」と印刷されたビラが郵送されていました。「アルコール中毒で困っている患者さんがあれば、お電話下さい。車でお迎えにあがります。報徳会宇都宮病院」などと記載されており、世界でもこのようなビラは例はありません。
しかし、各福祉事務所、保健所は嬉しがったそうです。こんな状況であれば、病院監査も甘いものとなっていたのではないかと疑いの目を持ってしまいます。
関東一円の福祉事務所や保健所に「アル中歓迎」と印刷されたビラが郵送されていました。「アルコール中毒で困っている患者さんがあれば、お電話下さい。車でお迎えにあがります。報徳会宇都宮病院」などと記載されており、世界でもこのようなビラは例はありません。
しかし、各福祉事務所、保健所は嬉しがったそうです。こんな状況であれば、病院監査も甘いものとなっていたのではないかと疑いの目を持ってしまいます。
事件に対する世間の反応
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宇都宮病院事件に対する世間の反応は、どういったものがあったのでしょうか。
精神保健法が成立
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宇都宮病院事件をきっかけに、1987年 精神衛生法から精神保健法へ改正され、大きく変わった点は以下の通りです。
① | 精神障害者本人の同意に基づく「任意入院」制度の創設 | これまで医師によってコントロールされていたものが、患者本人の意思で入退院出来るようになった |
② | 入院時の書面等による「権利等の告知」制度の創設 | 入院時に書面で告知することが義務化された |
③ | 第三者委員会の設立 | 入院の必要性や処遇の妥当性についての審査する精神医療審査会を創設し、第三者の目で審査するようになった |
その他、精神科病院に対する厚生労働大臣又は都道府県知事による報告徴収、改善命令に関する規定や、精神障害者の社会復帰の促進を図るための精神障害者社会復帰センターに関する規定などが新たに加えられました。
世界から非難が殺到
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