2021年5月14日 更新

コスモリサーチ事件とは?事件の判決や死刑制度についても

まるで令和に引きずっていたくないように、とつぜん異例の年末に死刑執行がなされた2人の死刑囚がいました。死刑囚が犯した事件の名前は『コスモリサーチ社殺人事件』です。暴力団らが、ある日突然他人を拉致し金を奪い、首を絞めて殺害しコンクリート詰めにしたのです。

目次

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遺体を処理しようと思うことがない素人には、遺体の処理は思った以上に大変です。捨ててしまえば良いと言っても、捨てる方法もわかりません。スーツケースにおさまりきらないほど大きな人間の体は、殺害することができても、処理するとなるとプロでない限り難しいでしょう。

切り刻んで分解しようとしても、人間の体は簡単に分解できるものではありませんし、焼却するにも凄まじい異臭と時間がかかった上に骨なども残ってしまいます。

腐敗臭や体液を防げるという思い込み

Background Blood Stain - Free image on Pixabay (682535)

遺体をコンクリート詰めにしてしまえば、きれいサッパリ腐敗臭や体液を防げるという思い込みは素人考えのようです。しかし、ネット社会ではなかった昭和の時代には、ありとあらゆる情報が少なすぎました。

今でこそ、ネットを見ることができれば誰でも、世界中のあらゆるところから、あらゆる情報を知ることができますが、殺しのプロでもない限り、遺体をコンクリート詰めにすると犯した殺人まできれいサッパリ消えてしまうと思う人が居ても不思議ではなかったでしょう。

発見されないという思い込み

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コンクリート詰めにしてしまえば発見されないという思い込みは、とりあえず誰の目の前からも見えないようにしてしまえば、永遠に罪を犯した殺人がバレないという安易な思い込みです。

小さな虫でもないのに、コンクリート詰めにしたところで、死体からはガスが出てコンクリートは割れてしまい、その割れた隙間から凄まじい腐敗臭と共に液体化した人間の体が出てきてしまうそうです。

殺しのプロの世界では、遺体をコンクリートに詰めたり、海に捨てたりしないそうです。

コスモリサーチ事件の判決

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日本のバブル経済真っ最中の1988年に起きた『コスモリサーチ事件』でしたが、大阪地裁の一審で「死刑判決」が下されたのは7年後の1995年で、時代は昭和から平成に変わっていました。

そこからさらに控訴され、 大阪高裁の控訴審で「控訴棄却」「死刑判決支持判決」が下されたのが1999年。そこからさらに上告され、最高裁で上告棄却され「裁判官全員一致の意見で死刑確定」されたのが2004年でした。  

この、信じられないほど単純な殺人事件の判決が出るまでに、なぜこれほどの時間がかかったのでしょうか?

論点は強盗殺人罪か強盗と殺人の二罪か

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1994年11月14日の論告で検察側は「面識のない人物を標的に一獲千金を狙った計画的、悪質な犯行。殺害方法なども冷酷、残忍で厳罰に処すべき」と厳しく指弾し、弁護側は「三被告の殺害の共謀は現金強奪後で、強盗殺人罪ではなく刑の軽い強盗と殺人の二罪に該当する」としました。

しかし、谷村裁判長は「末森被告や尹被告は、河村被告の提案を受け入れ、暗黙の共謀が成立したとするのが相当」とし「自らの生命で罪をあがなうほかない」と判断。両被告は「殺害の共謀は現金強奪後で、強盗殺人罪でなく刑の軽い強盗と殺人の併合罪が適用されるべきだ」として控訴し、死刑の違憲性まで訴えました。

西田裁判長は「犯行前から殺害計画をたてていたことは明らか。被告らの捜査段階の供述など各証拠から、一審の強盗殺人罪の認定は正当で、疑いを差し挟む余地はない」と退け「強奪金額もばく大だが『すぐ帰してやる』と嘘をつき、首を長時間絞めるなど残忍で冷酷な犯行で人の命を奪ったことは重大」と述べました。

主犯はどちらか

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1994年11月14日の論告で、検察側から「面識のない人物を標的に一獲千金を狙った計画的、悪質な犯行。殺害方法なども冷酷、残忍で厳罰に処すべき」と、河村被告が主犯として厳しく指弾されました。

末森被告に対しては「分け前は河村被告と同額。犯罪の重要な役割を担当しており、量刑上、格段の差はない」と述べられました。

河村被告は犯行を思いつき末森被告誘っておいて、ことあるごとに共犯者の末森被告に責任を押し付けようとしていたそうです。

最高裁が上告を棄却し死刑確定

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2004年7月26日の最高裁弁論で、カネ目当てで「すぐ帰してやる」と嘘をつき、首を長時間絞めるという残忍で冷酷な犯行で無関係な人の命を奪った河村被告と末森被告は、罪を償う姿勢を見せるどころか死刑破棄を訴えました。

しかし福田裁判長は「多額の現金獲得をもくろんだ計画的犯行で、冷酷、非情、残忍だ」と指摘し「両被告とも犯行に積極的に関与して重要な役割を果たしており、死刑とした判断を最高裁も是認せざるを得ない」と判決を述べたのです。

河村啓三死刑

Gallows Hang Penalty Capital - Free photo on Pixabay (682544)

事件から7年後の1995年3月23日、大阪地裁で谷村裁判長は河村被告に死刑判決を下しました。しかし河村等の弁護側は「三被告の殺害の共謀は現金強奪後で、強盗殺人罪ではない」「刑の軽い強盗と殺人の二罪に該当する」と主張し控訴しました。

1999年3月5日、大阪高裁で西田裁判長は控訴を棄却し、河村被告に死刑判決を下しました。2004年9月13日、最高裁で福田裁判長は、河村被告の上告を破棄し、裁判官全員一致の意見で死刑が確定しました。しかし!河村被告はさらに、再審を請求していたのです。

末森博也死刑

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事件から7年後の1995年3月23日、大阪地裁で、検察側は「河村被告が主犯」とし、末森被告に対して「分け前は河村被告と同額で犯罪の重要な役割を担当しており、量刑上、格段の差はない」と述べました。

谷村裁判長は、河村被告と同じく末森被告に死刑判決を下しました。しかし河村等の弁護側は「三被告の殺害の共謀は現金強奪後で、強盗殺人罪ではない」「刑の軽い強盗と殺人の二罪に該当する」と主張し控訴しました。

しかし、1999年3月5日の大阪高裁でも死刑判決が支持され、2004年9月13日の最高裁でも、裁判官全員一致の意見で死刑が確定されました。

尹敬一のみ無期懲役

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事件から7年後の1995年3月23日、一審の大阪地裁で、谷村裁判長は「尹被告は、河村被告の提案を受け入れ、暗黙の共謀が成立したとするのが相当」「事案の重大性からみると自らの生命で罪をあがなうほかない」と死刑判決を下しました。

1999年3月5日、控訴審の大阪高裁では、西田裁判長が「尹に関しては従犯である」と認定し無期懲役が確定されました。2018年12月27日、河村被告と末森被告に死刑執行されましたが、尹被告は今でも服役中です。

河村啓三は執筆活動を行っていた

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